"シューベルト"という天才の苦悩
オーストリアが生んだ偉大なる音楽家:シューベルト。
彼は25歳のある日、彼は友人達を呼んで自分の新作発表会を開いた。しかしシューベルトはミスを連発。ついには
「こんな作品は悪魔にでも弾かせてしまえ!!!」
と叫んで楽譜をビリビリに破いてしまいました。
その曲がかの有名な「さすらいびと幻想曲」という曲です。
【父の抑圧から生まれた名曲】
シューベルトは1797年、オーストリアのウィーンにて、小学校教師の父のもと第12子として誕生しました。
シューベルトの父は大変厳しい教師で、幼い頃から徹底的に勉強を叩き込まれます。
6歳の時、父が教壇に立つ、エリート小学校に入学しますが、この頃音楽にハマったシューベルトは、学業よりも音楽や作曲活動に熱中するようになります。
父はそんなシューベルトの作曲活動を禁止してしまいます。自分と同じように安定した教師の職に就くことを強要し、シューベルトが17歳の時に学校の助教員とします。
それでも音楽への情熱を捨てきれないシューベルトは、父に逆らうかのように一つの名曲を生み出します。
それが皆さんも一度は聴いたことがあるでしょう「魔王」です。
シューベルト18歳の時の作品です。
「魔王」は父との関係を反映した曲なのです。
そんなシューベルトを支えたのが、学校の先輩だったシュパウンです。
シュパウンは、今で言えばシューベルトのスポンサーでした。
貴族や音楽関係者を集めた演奏会を何度も開き、シューベルトの魅力を広めていきました。「魔王」の出版にもたずさわり、シューベルトの作曲家人生に大きな影響を与えた人でした。
【居場所を求めたシューベルト】
冒頭の「さすらい人幻想曲」の元となる曲を19歳の時に作曲しています。
「さすらい人」です。
自分の幸せを求めて主人公がひたすらさまよう曲です。すごく重々しい曲なのですが、そこには自分の居場所を追い求め苦しむシューベルトの姿が重なります。
・ぼくはこの世でいちばん不幸で惨めな人間のような気がする。
・苦悩は心を強くする。それに対し、よろこびは心を甘やかすか軽薄にする。
・この人生を、このわたしを殺せ。
シューベルトの日記に出てくる彼自身の言葉です。20代にしてなかなかハードな心境に陥っています。
ただ、シューベルトは自分の居場所を音楽の世界に見つけていました。
生涯1000曲を超える作品を世に送り出したシューベルトですが、孤独や苦悩から逃げず、とにかく真っ直ぐに、人間が感じる"苦悩、孤独、葛藤"をそのままを曲にぶつけています。
またこのころからシューベルトは大病をよく患い、31歳の若さでこの世を去ります。腸チフスだったと言います。
死を意識するような時期(26歳以降)になっても、シューベルトは絶望はしませんでした。というのも、シューベルトの作品は未完成の作品があるからです。
そこにはこれからも自分は音楽を通して人間の感情を真っ直ぐに描き続けるんだという意思すら感じます。寧ろ最晩年は凄味すら感じる作品:歌曲集「冬の歌」「白鳥の歌」を発表しています。
こういったシューベルトの真っ直ぐな心が、現代に彼の作品を伝えているのだと私は思えてなりません。
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