コロナ禍で注目された古代料理

コロナ禍で全国の学校が休校処置となり全国に給食が余りまくったというのは皆さんの記憶に新しいだろう。そんな折に注目された料理があることを皆さんは知っているだろうか?

"蘇(そ)”

である。

聞いたことねーよ!そんな料理!という人に解説しておくと、これは古代日本(飛鳥時代~奈良時代)の貴族の料理だ。
休校による学校給食停止で牛乳が余りまくったためにスーパーなどで牛乳が大量に溢れかえった。それを知った一部のネット民が牛乳を大量に購入しよう!という呼びかけとともに、注目されたのがこの"蘇"という食べ物であった。

古代中国発祥の牛乳を用いた食べ物であるのだが文献が少なく、唯一と言っていい文献は平安時代の法令集である「延喜式」に書かれている。それによると、

「18リットルの牛乳を煮れば1.8リットルの蘇を作ることが出来る」

とだけ書かれている。
作り方じゃねーじゃん!!!そう、詳しい作り方は載っていないのである。朝廷への貢ぎ物であったことと、貴族が好んで食べていたこと以外、製法も無ければ絵にも残ってないしまさに古代の幻の食品なのだ。チーズやヨーグルトのようなものだという人もいれば、バターや練乳だという人もいる。研究者によってもマチマチなのが現状だ。

しかし今は令和時代。みんな各々考えて自分だけのオリジナル"蘇"を作ってツイッターやインスタグラムに載せた。ハッシュタグで"蘇チャレンジ"というものまであった。完全では無いにせよ文字通り、令和に蘇った"蘇"なのであった。

無論だが研究者は今も本来の作り方を研究している。古代中国の文献では世界最古の料理本である「斉民要術」に日本の"蘇"の元となった"酥(そ)"の作り方が書かれている。ただしこれはあくまで古代中国の"酥"であり、日本の"蘇"は加熱方式で作る日本オリジナルの食品であり、斉民要術には記載は無い。
東野治之氏と池山紀之氏が昭和56年に発表した論文があるので引用としておく。

【"蘇"についての基本的な知識】
そもそも原料となる牛乳は古代では「薬」とされていた。
現存最古の医学書である 「医心方」には、牛乳の効用が記載されていると共に、蘇は「全身の衰弱をおぎない、大腸を良くし、口の中の潰瘍を治療する」と書かれているくらいだ。「唐大和上東征伝」には鑑真が来日した際に蘇を持っていたなど、医薬品としてや、仏教儀礼でも用いられていたと考えられている。釈迦の伝記の中でも、釈迦が苦行により衰弱していました時に、村の娘スジャータから差し出された「乳粥」で体力を戻し、その後、瞑想によって悟りを開くエピソードがある。この乳粥は現代のインドでは「乳粥(キール)」というデザートとして現代に伝わっている。

 孝徳天皇の時代には乳長上という役職が設けられ、その後、典薬寮(今でいう総合病院)に乳戸という牛の世話と搾乳を専門とする機関まで設けられ、平安時代には乳牛院と発展、名称を変えている。
675年、天武天皇が「肉食禁止令」を出す。これは仏教の考えに基づいて肉食(牛、馬、鶏、猿、犬)を食べることを禁止したのだが、これによって動物性たんぱく質を取る機会が失われてしまった。これに注目されたのが"蘇"を始めとする乳製品であった。乳製品の消費が上がったことにより、700年頃、文武天皇が諸国に命じて蘇を作らせ、献上することを義務づける。これを貢蘇(こうそ)という。これは鎌倉幕府が滅亡する1333年まで続いた。その後、乳製品の消費は一度途切れる(それでも貴族などの富裕層では消費されていた)が、江戸幕府になって将軍の滋養強壮のために再び乳製品が注目されるようになる。

このように"蘇"は歴史の中で一度消えてしまったが、時代と文化の発展に伴い乳製品の一部として現代に伝わっている。当時の形や味の再現はほとんど不可能かもしれないが、皆さんも自分だけの"蘇"チャレンジをしてみてはいかがだろう?

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