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「黒影紳士」season3-4幕〜秋、深まりて〜 🎩第二章 闇深まりて


――第二章 闇深まりて――

「涼子さん、本当に良いんですか?」
 穂は「たすかーる」に届いた「夢探偵社」からの休業届けを見乍ら、不安そうに聞く。
「ああ、構わないよ。最近の事件と言っても、旦那から回って来たのは調査が殆どだし、「たすかーる」の技術があれば、あたい一人で何とか出来そうだ。
 其れより穂に今は休んで貰った方が、此の仕事が落ち着いたらあたいもゆっくり休めるからね。
「夢探偵社」が元通り再開したら、此方はサダノブも借りられるし、大物事件が入っても黒影の旦那もいるし、一石二鳥だよ」
 と、涼子は言う。
「二人で休むなり、ツーリング行くなり、息抜きしておきな。中々サダノブも最近は忙しいんだから、時間は大切にするもんだよ」
 付け足して。
「……其処迄言って下さるのなら、お言葉に甘えちゃいます」
 穂はにっこりと笑顔で答えた。
「ん、素直な女はモテるよ」
 と、涼子も笑顔になった。

 サダノブの休みに、何だかかんだと言って涼子は、休みを合わせてくれる。元々、「たすかーる」は涼子一人で切り盛りしていたのだから、当然心配する事は無いのだが、事業を広げ忙しくなって穂を雇ったのもあり、少しは心配だ。けれど、涼子の優しさに、きっと断っても”あたいが信用出来ないのかい?”と、言われるのが分かるから、穂は今回も其の優しさに甘える事にした。

「涼子さんって……本当に優しいんですね」
 穂は涼子の側でセキュリティの勉強をするのが、本当に幸せだと思う。
 其の高い技術は、最愛の人を何時か守ってくれる道具に変わるのだから。
「煽てても何も出やしないよ」
 と、涼子は今日も良く笑ってくれる。

 ――――――――――――――――
「涼子さんが二人でゆっくりして来なって、私もお休み頂きました。サダノブさんはお一人の方がゆっくり出来ますか?」
 穂は心配そうに聞く。
「何言っているんですかっ!穂さんもいてくれたら充実した休暇になりますよ!癒し度100倍ですっ!俺、ちょっと行きたい所あるんです。一緒にツーリング行きましょう!」
 サダノブはルンルンでスマホで穂さんと話している。
「良いんですか?黒影さんが大変な時なのに?」
 と、穂が聞くとサダノブは、
「だから、先輩に良い物を取りに行くんですよ。其れでも良いですかね?」
 サダノブは何か考えている様だった。
「其れなら気兼ねなく私も行けます」
 穂は心配症なところがあるので、其れを聞いてホッとしてくれた様だ。
「良し!じゃあ決定で。明日の朝、迎えに行きます。朝ご飯は何処かで一緒に食べましょう。じゃ……また明日」
 サダノブが言う。
「はい、では楽しみにしておりますね。お休みなさい」
「お休みなさい」
 サダノブはワクワクし乍ら、タブレットで行き先迄の道を検索していた。
 ――――――――――――――――――

 翌日の夕方頃だった。
 穂とサダノブがツーリングの帰りに、何やら大荷物を持って風柳邸を訪れる。
「あっ!穂さん、いらっしゃーい!サダノブお帰り」
 可愛いスリッパをパタパタ鳴らし、白雪が玄関を開けにっこり笑って言った。
「今晩は。すっかり遅くなって……御免なさい」
 と、穂は言う。
「何処に行って来たの?」
 白雪は二人の大荷物を見て聞いた。
「まあまあ、後のお楽しみです。白雪さん、先輩に此れで珈琲作って上げてくれませんか?此れで作ると珈琲が凄く美味くなるらしいんですよ」
 と、サダノブはにこにこし乍らペットボトルを渡して言う。
「別に構わないけれど。……なかなか黒影の熱が下がらなくて……。飲めるかしらん」
 と、白雪は不安そうだ。
「じゃあ、俺が持って行きますよ。未だ飲めない様なら、俺が飲んじゃいます」
 と、笑った。
「サダノブ、珈琲飲めるの?いつも緑茶じゃない?」
 と、白雪が聞くと、
「あ、えっとカフェインを気にしていただけで、少しは飲めますよ」
 そう少しわたわたし乍ら言う。
「そう?……分かったわ。今、作るから穂さんもどうぞ上がって。荷物は風柳さんに任せると良いわ」
 と、白雪は言う。其れを聞いていたリビングの風柳は玄関に来て、
「今晩は。やあ、今日は何処迄バイクを転がしたんだい?さあ、荷物は持つから、中へどうぞ」
 風柳は二人をリビングへ通した。
 風柳は荷物を持つ時に中身が見えて、今日二人が行って来た場所が分かった。
 ひょいと荷物を軽々担ぐと、其れらをパントリーに入れる。
 そしてリビングに行くなり、
「二人は飲んで来たのかい?」
 と、楽しそうに聞いた。
「ええ、少しですけど。巡るのも楽しかったですよ」
 と、穂は答える。サダノブは、
「いやぁ……掻き集めるの、大変でしたよ。でもついでに観光もしたし、神社があれば先輩の病気が早く治る様にお願いもしたし、此れで少しは元気になってくれると良いんですが……」
 そう言って二階を見上げた。
「二人共、本当に優しいね。黒影は幸せ者だよ」
 風柳は微笑んだ。
 そんな事を話している間に、白雪が珈琲を持って、
「じゃあ、頼んで良いかしら?」
 と、サダノブにトレイに乗せた珈琲入りのカップ&ソーサーを渡した。
「有難う御座います!先輩、喜んでくれるかなぁー?」
 るんるんで二階に上がって行く。
「そうだ。因みに、笑う狛犬って知ってます?」
 穂がそんな事を言い始めて、白雪にスマホで撮った各地の狛犬の写真を見せた。
「何これー!サダノブそっくり」
 と、色んな狛犬を見て、どれが似てるだの、穂と話して笑っていた。
 ――――――――――――――
「先輩、調子如何ですか?」
 サダノブはノックしてから黒影の部屋に入り聞いた。
「ああ、もう随分良くなった」
 サダノブは其れを聞いて頬を膨らませる。
「風柳さんから聞いてますから。嘘は苦手なんだから、無理して言わなくて良いです」
 と、言う。黒影は上体を起こして、
「じゃあ聞かなくて良いじゃないか」
 と、不機嫌そうだ。早く熱が下がらないものだから、仕事を此の儘「たすかーる」の涼子さんに頼ると思うと、申し分が立たないのだろう。
「そろそろ、珈琲飲みたくありません?」
 サダノブが聞くと、手元の珈琲をじっと黒影は見ている。
「でもなぁ……」
 断わろうとすると、何故か珈琲から甘い香りがするではないか。
「粗目でも入っているのか?」
 黒影は何時もと何が違うと思い、サダノブに聞いた。
「もっと良い物が入っていますよ」
 そう答えサダノブはにこにこしている。
「……まさか……。汲んで来てくれたのか?」
 黒影は其の甘さに気付いて顔を明るくした。
「さあ、飲んで。早く元気になって下さい。先の事件では随分と力を使い過ぎてしまいましたからね。其れもあるんじゃないかと思って」
 サダノブの説明も聞き終わらぬ間に、黒影は珈琲を一気に飲み干してしまう。
「あーあ、折角苦労して汲んで来たのに……。でも、穂さんといっぱい持って帰ったから、お代わりならいっぱいありますよ」
 と、サダノブは言う。
「有難う。一人では持ち帰りの限界があるし、今は持ち帰れない場所も多くなったから助かるよ」
 黒影は嬉しそうだ。
「如何ですか?霊水?少なくとも鳳凰になった時の傷には効きませんかね?」
 と、サダノブが聞く。黒影は空いた珈琲のカップ&ソーサーを持って、呆然と体の様子の変化を感じている様だ。
「ああ……鳳凰になって軽い怪我が残った儘だった。足も腕も軽い。……其の所為で熱なんか出したのかな?」
 黒影は傷を放っておいたのを思い出して、また体温計で熱を測る。
「37.4°だ。結構下がった。さっきまで熱冷ましを飲んでも38°代だったんだよ。此れは穂さんとサダノブに感謝だな。有難う。此の調子なら、明日には平熱になるかもなっ」
 と、喜んではいるが、きっと仕事の事を考えているに違いないので、サダノブは、
「調子に乗らないで寝ていて下さいよ。過労だってあるんですから。其の熱なら悪夢も見ないんでしょう?」
 と、聞いた。
「ああ、これでバラバラにならずに済みそうだ」
 黒影はそう言って笑う。
「だから、そんな事しませんからね!」
 サダノブの其の言葉に安心したのか、黒影はまた横になったかと思うと眠り始めた。
「全く……心配症なんですから」
 良かったと思い、サダノブはそう言って微笑むと一階に降りて行った。
 ――――――――――――
「やっと、寝ましたよ。熱も37.4°まで下がりました。きっと先の戦いで鳳凰に成った時の傷を放ったらかしにしていたからかもって。今更気付くなんて、如何言う神経しているんだか……」
 呆れ乍らサダノフは言った。
「え?もしかして二人共、甘水を汲んで来てくれたの?」
 と、白雪は聞く。
「ええ、そうですけど……」
「何かお役に立てればと思って」
 二人は白雪に言った。
「デートすれば良かったのに。二人共、黒影の為に有難う!」
 そう言うと、白雪は穂にハグをする。
「俺は?」
 と、サダノブが聞くと、
「サダノブはハグしたら黒影が怒るから駄目ー。お手製の緑茶で我慢しなさい」
 と、白雪は笑った。
 ――――――――――――――
 穂が帰って三人は夕食を食べ終える。
 探偵社側の出入り口のインターホーンが鳴った。
 サダノブはもう閉店だと伝えようと、出入り口に向かう。
 強化硝子の自動ドアの先に、真っ黒な着物を羽織った、黒影の「古い友人」さんが立っている。
「あっ、先輩に用ですか?」
 と、言うとこくりと頷く。
「此処、締まっているんで、横の玄関からどうぞ」
 サダノブは言う。
 サダノブは風柳邸の玄関の鍵を開けるなり、
「サダノブ、久々だな。今日も見事に愛らしい犬っぷりだ」
 と、ガンっとドアを引っ張り言うと、にっこりするなり其の人は靴も脱がずにバタバタと上がり込んで行く。
「サダノブ、黒影は何処だ」
 リビングを見渡しても風柳と白雪の姿しかないので、其の人はサダノブに聞いた。
 風柳は其の人の姿を見るなり立ち上がり、
「靴は脱いでくれ。黒影なら二階の自室だ」
 と、慌てて言う。
「分かった。有難う」
 其の人は靴を脱ぐと二階へ上がり、黒影の部屋をノックもせずにズカズカ入って行く。
「なんだ、怪我か。……サダノブ、もう一杯水をくれてやれ。珈琲じゃなくて甘水だ。さあ、急いで!」
 急に言われたが、何が何だか分からなくても、黒影の古い友人が言うのだから間違いは無いだろうと、サダノブはコップに霊水を入れ戻ると、手渡した。
「だから力に頼るなと言ったんだ。……良し、此れで良い。有難う。さあ、黒影……もう少しで楽になる」
 そう言うと、其の人は勝手に黒影の上半身を起こすと、甘水を少しずつ与えた。
 黒影がぼんやりと其の人を見ている。
「此処は夢でも……世界でもない筈だが?」
 黒影は飲み終えると言った。
「お前だって夢でも世界でも現実でも行けるだろう?私は滅多に来ないだけだ。……良いか、良く聞け。涼子さんが捕まった。無実の罪でだ。直ぐに涼子さんを助けろ!あの人を捕まえられるのは黒影、お前だけだ!涼子さんとの約束を果たせ、紳士だったら」
 其の人はそんな事を言う。サダノブは耳を疑った。
「で、でも先輩は未だ!」
 そうサダノブは言ったが、其の人はいきなりサダノブをぎゅっと抱き締めて、
「大丈夫。大丈夫になったのだよ。私が保証する。安心しろ」
 と、慈しむ様に言った……。
 黒影はやっと状況に気付き、
「ほら、貴方がそうすると厄介事が増える。穂さんが激怒するよ」
 黒影は其の人に言って笑うのだが、
「穂さんかぁ……。会ってみたかったなぁ……。穂さんからの嫉妬なら私は殺されても至福だよ」
 と、笑顔で答えサダノブを離す。
「ああ、下にお姫様がいたね。ずっと会いたかったんだ。嗚呼、可愛らしいぬいぐるみのお土産でも持って来てやりたかった。……何せ、急ぎだったからね」
 其の人は白雪に会いたい様だ。
 サダノブはキョトンとしている。
「サダノブ、気にしなくて良い。此の人は世界を愛し過ぎて、愛し方が少し歪んでいるだけだ」
 と、黒影が説明する。
「失礼なっ!私の愛は歪んでなどいない!もう、良い!さっさと白雪に会いに行く!何時迄も寝ていないで仕事だぞ!」
 ツンとすると其の人は階段を駆け下りて行く。
「嗚呼……君が……。なんて、美しい。何て愛らしい。純真無垢な儘だ。其の隠れた闇さえ輝いている」
 白雪を前に感動を抑えきれず、其の人はそう泪を恥じらう事無く流し始めた。白雪はボーっとし乍ら風柳に、
「此の人だあれ?」
 と、聞く。風柳は新聞を急に読み始め無視し乍らも、
「黒影の古い友人さんだ」
 と、だけ答える。其の言葉を聞いて其の人は少し怒って、
「風柳、酷いじゃないか!お前だって私と古い友人ではないか」
 そう言った。
「嗚呼……然し平和だなぁ……此処は。ずっといたくなる。こんなに素晴らしい世界を見た事が無い。……人間とは美しいものだ。……びっくりさせて御免ね、お姫様。黒影と末永くお幸せに。では、私は行くよ。風柳、失礼した」
 と、更に続けて出て行こうとしたので、風柳は慌てて言った。
「ほら、靴!靴を忘れる!」
 と。其の人は靴を見ると、
「ああ、有難う。優しいのだな、時次。ではっ」
 靴を手に持ち履きもせずそう言うと、慌ただしく夜の中へ烏に也て今日も去って行った。
「ほんと……黒影が言った通り、良く分からない人ね」
 と、白雪は微笑んだ。
 ――――――――――――――

 黒影は暫く考えていた。
 ……滅多にあの人が来ないのは何でだ?
 やっぱり世界を創る方に熱中しているのだろうか?
 それにしても涼子さんが逮捕されるなんて……如何して?
「サダノブ、取り敢えず一階に下りよう。涼子さんに何かあったのは確かな様だ」
 二人は一階に行く。
「黒影、あの人もう帰っちゃったわよ?」
 白雪は言った。
「ああ、分かっている。伝える事があって来ただけの様だ。……風柳さん、涼子さんの身柄は今何処ですか?あの人が捕まったと言っていましたが……」
 黒影は風柳に聞いた。
「あの人が?……まあ、一応確認しておこう」
 ――――――――――――――――

 あの温厚で滅多に表情を変えない風柳が、スマホで話を聞き乍ら眉間に皺を寄せている。
 ……やっぱり、何かあったのには間違いない。
 と、黒影は思った。
「……風柳さんっ!」
 黒影は、風柳が通話を切るなり、食い入る様に見詰める。
「涼子さんは今、重要参考人として署にいる。あまりに現役だった頃の手口が似ているんだ。盗まれたのは……顧客情報。其処に薄桃色の昼顔の花の栞迄丁寧に置いてあったらしい。顧客情報の被害総額五千万。カード会社の顧客情報。……そんなもん、盗めるのは確かに「昼顔の涼子」しかいなそうだが、俺は知っている。
「昼顔の涼子」は、真っ赤な姿で堂々と昼間に現れ盗む。其れに黒影以外に捕まえられはしない。……待ってるんだ。黒影が迎えに来るのを」
 風柳はそう言った。
「涼子の奴、僕にタダ働きをさせる気か?他に捕まるなんてっ!」
 黒影は涼子がすんなり自分以外に捕まったのが気に入らない様だ。
「良いじゃない、あんな魔女放っておけば」
 白雪は黒影に言った。
「そうはいかないよ。熱の間もうちの仕事を引き受けてくれたし、「夢探偵社」には涼子さんの「たすかーる」の存在が必要不可欠だ。其れに僕は未だ……涼子さんに果たしていない約束がある」
 黒影はそう言うと少し深刻そうな目をする。
「約束……?」
 白雪が聞くと、
「ああ……忘れた訳じゃないが、お互い忙しくて。……何となく目を背けてしまっていた。
 涼子さんの亡くなった元夫、鷹代 萄益(たかしろ とうま)さんが殺害された事件の犯人逮捕だ。……萄益さんは僕と同じ探偵だったが、僕等みたいに「たすかーる」に外注したりせず、独自のセキュリティシステムも一から設計し、作り上げた人なんだよ。
 其れが殺害されると同時に盗まれた。僕がFBIに行く前の事さ。
 涼子さんが僕にタダ働きをさせて大人しく捕まったのは、萄益さんを殺害した犯人が現れたとみているからだ。
 涼子さんが盗み続けていた物は、萄益さんが作ったセキュリティの設計図だった。僕は其れを知り、其の設計図を集め犯人逮捕を約束したのだよ。……じゃなかったら、涼子さんは誰にも捕まえられる様な人では無い」
 昔を思い出し乍ら、白雪にそう説明する。
「頭良かったのね、ろくでなしさん」
 と、白雪は少し悲しそうにぽつりと言う。
「白雪が気にしても涼子さんは喜ばないよ。……確かに鷹代 萄益さんは、涼子さんや僕よりかは、少なくとも頭のキレた人だったみたいだ。今の「たすかーる」の基本技術だって、萄益さんが残したほんの一部に涼子さんが改良を加えたものだ。悪用すればカード会社のセキュリティも軽々突破出来る。元々、売り物じゃないんだ。使う人を選ぶ。犯人は欲に溺れている……」
 黒影は涼子の身を案じ、庭を眺めていた。
 何を想い囚われているのだろう。
 ……あの真っ赤な自由なる蝶は……。
 追い掛けても捕まりゃしない。……気紛れ過ぎて、心が悼む。
 ――――――――――
「あの場所で……僕は待っています」

 黒影は川沿いの広い煉瓦の歩道でずっと待っていた。
 月を見上げて、昼にしか姿を現さないと言う大泥棒を。
 黒影は鷹代 涼子と言う一人の人物を、ただの大泥棒の「昼顔の涼子」ではなく、一人の人間として真実を探し、一連の窃盗事件の動悸が鷹代 萄益の高値で裏取引きされた設計図だと分かった時、そう言って二人が良く行ったと言う其の場所にいた。
 ……今でも鮮明に思い出す。
 あの日がなければ、今の幸せな僕等の日々は無かったのだから。

 風の少し強い夜だった。
 川の水が騒めいているのに、妙に雲は流され……月だけが綺麗に輝いていた。
 真っ赤な着物を着た涼子が現れ、黒影は振り向いた。
「……其の儘、月でも見上げていりゃあ良いさ。あたいは逃げも隠れもしない」
 そう言って涼子は悲しそうに笑う。
「……そうだな。……その真っ赤な着物は萄益さんの為に?」
黒影は再び月に視線を移す。「萄」は葡萄の木の意味だ。海老赤はワインの様に紫を帯びた暗い赤色。其れに比べたら、涼子の「赤」は真紅で少し明るく感じる。
「ろくでなしへの皮肉だよ。血反吐吐いても分からない程、全部奪い返してやるって。甘い考えで人様から物が頂戴出来る程、そんな楽な道じゃないと分かって始めた事だからね」
 と、涼子は言った。
「……僕は貴方を逃がしたい。けれど其れでは、貴方がまた心に血を見る。……赤を着る理由がそうであるならば、僕は貴方を止めずにはいられなくなってしまった。
 罪が貴方を許さないと云うならば、僕は貴方を許します。疲れ果てているから此処に来たのでしょう?
 少し休むと思えば、時はあっという間だ。
 其の間に、僕が少しでも多くの設計図を探しましょう。そして、探偵社を立ち上げる。塀から出たら協力して欲しい」
 黒影がそう言うと、涼子は目を険しくし、
「またあの設計図を狙う輩が増えただけ……か」
 と、言った。
「いいえ。もし結果そうならば仕方無いが、涼子さんの腕を買って言っているのです。僕は能力者だ。僕も狙われ続けるのが、もう疲れたんですよ。そう……此の儘川に飛び込んでしまいたいぐらい。
 今夜、入水心中したと思って、今度会った時は助け合いませんか。
 だって……こんなに月が綺麗な夜なのに、あまりに勿体ない」
 黒影は何にも考えず、そう言って涼子に微笑んだ。
「悲しそうに燃えてる其の目……最後にあの人が見せた目、そっくりだ。月が珍しく赤くて……きっと、殺されるのが分かっていたんだろうね」
 涼子も月を見上げる。今夜の月は白く輝き、あの日とは全く違った。
 黒影の瞳が赤く見えたのは、偶然にも真実に照らされていたからだろう。
「……アンタになら……捕まっても良いか……。あのろくでなしも、きっと許してくれるよねえ」
 そう言って涼子は両手を差し出した。然し黒影は、
「未来のビジネスパートナーに手錠なんか掛けられません。然も、亡き萄益さんと貴方の思い出の場所なら尚更。少し散歩するだけですよ……そう思って下さい」
 と、黒影は慌てて断る。
「此の「昼顔の涼子」を捕まえたとなりゃあ、少しは有名になるだろうに、とんだ変わった人だねぇ。あんた、名前は?」
 涼子は自首扱いにしようとする黒影を、不思議そうに見た。
「……黒田 勲。……黒影と呼ばれています」
 そう黒影が言うと、涼子は笑い出した。
「そうかい。アンタがあの有名人の黒影かい。そりゃ、随分と敵が多いだろうさ。アンタと組むんなら、塀の中でも色々と準備で忙しくなりそうだ。……退屈しないですみそうだよ」
 と。
「好きで有名人になった訳じゃありませんよ。涼子さんだってそうでしょう?……でも、僕らが組めば犯罪抑止力は格段と上がる。……僕は休暇が欲しい。此の儘生きていても予知夢の所為で、どの道過労死しそうだ」
 黒影は背伸びをして息を吸う。
「おやまあ、あたいが出る迄は生きてもらわにゃ困るよ。ビジネスパートナーだろう?」
 と、涼子は笑った。
「あっ、やっぱり笑ってる方が似合う。……萄益さんの件、犯人は未だ雲隠れしています。雲が流れたら、其の時は必ず僕が真実に引き摺り出します」
 黒影は月が雲に隠れると、其の瞳に業火を激らせそう誓った。

 ……やっぱり笑っている方が似合う……。

 萄益が良く涼子に言った口癖。
 酒を飲んで楽しそうに帰って来ると、膨れっ面して涼子は叱るのだが、酒の席のおかしな話を聞かせては涼子を笑わせ、そう言って機嫌良くしようとしたものだ。

「さあ……連れて行って下さいな」
 涼子は其れを思い出して、長い疲れからやっと解き放たれた様に安堵した。
 黒影は少し驚き乍らも、帽子の鍔を少し下げ、会釈し腕を貸す。
「僕で良ければ」
 そう言って、涼子が腕を回したのを見て歩き出す。
 長く疲れ切った二人が、あの日月明かりに照らされ、肩を寄せ合い……今に至るのは、帽子の中に隠された秘密の話。

――――――――
「サダノブ、急いで「たすかーる」前の監視カメラ映像を。
 後、穂さんには申し訳ないが、「たすかーる」のセキュリティグッズからロック解除ソフト、其れに顧客情報、涼子さんの設計図全部、一つ残らず無くなった物が無いかチェックして欲しい。
 売って金にした後、盗んでいるんだ。涼子さんの手口に見せ掛けて。逃亡資金が尽きた様だな……鷹代 萄益を殺した犯人を見付けるなら今しかない!涼子さんの設計図を売られたら最後だ。また雲隠れされてしまう。
 ……僕も、「たすかーる」へ向かう。風柳さん、急いでいるから社用車で行きます。此方は不在で構わない、行くぞ!」
 そう言うと、黒影は二階にバタバタと戻り支度をして来る様だった。
「デリケート何だか、タフ何だか……」
 サダノブは呆れて二階を見上げた。
「約束なら……仕方無いのよ」
 白雪は飲み物を片付けに、キッチンへ向かう。
「彼奴が社用車を使うと、また始末書が増える。そもそも幾ら早いとは言え何でスポーツカーなんだ」
 と、風柳は心配する。
 白雪は時夢来の本を持つと、
「どうせ、涼子さんとカーチェイスしたいからでしょう?……全く、子供みたいなんだから。」
 と、笑った。

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