season7-4幕 黒影紳士〜「黒水晶の息吹」〜第二章 夢に独り
第二章 夢に独り
「……では、最後に別れて其の儘爆風に巻き込まれて亡くなったと?……良いですか?窓の外を一度ご覧なさい……」
病院で目覚め、暫くすると勲が尋ねて来た。
私が光輝との最後の記憶を辿って話すと、そう言って窓の方へと歩む。
ゆっくりと開かれて行くカーテン……。
随分と久しぶりの様な……懐かしい光が溢れ、勲の姿は逆光でくっきりとした漆黒の影になる。
勲はそのまま窓の外を見て続けた。
「……寄子さん、此方まで来れますか?もうご自分の足で歩ける筈です。……逃げずに、ゆっくりとでも良い……。現実を……見て下さい」
……現実?……何の事だかさっぱり意味が分からない。
此の病院は何処か遠くの病院だろうか……。
私は辺りを見渡した。見上げると点滴が繋がっている。
一歩一歩確かめて歩き始めた。……病院にいただけあって、逃げる迄とは行かないけど、歩けそうだ。
大丈夫……此の儘病院にいれば、走れる様になる。
そうすれば勲を巻いてまた逃げれば良いじゃ…………
「……もう、逃げないで良いんですよ」
勲が私の心を見計らった様なタイミングで言うから、ドキッとして思わず肩を竦めて歩みを止めた。
恐る恐る一度俯いた顔を上げたが、勲は私を見てもいない。
只々……何処までも深い闇を背負っているかの様に、其れは光の温もりに相反して言った。
「私の影……踏んでいます。どの道、逃げられません」
何故背後が見えるのか分からなかったけれど、勲の背後の影を見ると、確かに私は踏んでいる。
……きっ、きっと点滴を引き摺っているから、どの辺にいるかぐらい分かったんだわ…。
早まる鼓動を抑えて、そっと足元の影から一歩離れ外に出る。
「申し訳無いのですが、同じ事を二度と言うのはあまり……」
そう、謙虚に勲は言うのだが、足元を見たまま私は硬直した。
……避けた筈の影が時間が経過や日が延びた訳でもなしに、スーッと……再び私の足元に伸び、包むのだ。
「なっ、何これ!?」
急にあれだけお人良しだと思っていた勲が怖くなって、其の恐怖から叫ぶ様に言った。
「……影ですよ、私の。お話があるので、今逃亡されたら困りますから。逃げようとしなければ、何もしません。……怖がる必要も無いのです。寄子さんにお見せしたい物があるだけなのですよ。如何ぞ、お気を悪くされません様……」
そう言って、勲は少しだけ振り向き横顔を見せた。逆光から光を受けた半身がゆっくりと漆黒の影から姿を表す。私を救ってくれた時と同じ微笑み……。
不器用だけれど、私を怖がらせない様に笑顔を作った事だけは分かる。
恐怖からの緊張が解け再び歩き、
「……見せたいもの?」
そう私は聞き乍ら勲の横に並ぶ。勲が窓の外を見たので、同じ様に視線をやっと外にやる。
「……あれは?」
病院の窓から見えたのは、何年も其の儘だったかの様に、静かに侵食された森に佇む、あの見知った破壊された観光地だった。
「光輝!……光輝っ!」
……見たくは……無かった。
勲から聞かれても、私は繁華街へ行くだけで避けて来たから其の後は知らない。
壊れた大きなビル群……。
もう光輝は死んだのだと……追っては来てくれないのだと、まざまざと見せ付けられた様に思えた。
「……良くご覧になって下さい。真実は時に残酷かも知れない。けれど私は寄子さんに諦めろだなんて言いません。私も……諦めてはいません。ご遺体が出ていないのですから。きちんとご遺族の元へ返すか、弔う迄は捜さなくては……。寄子さん……あの森が、貴方の知らなかった事実です。私の懐中時計です……」
勲は胸ポケットから懐中時計を取り出し見せる。
美しい花の装飾がされて純銀に鈍色の時計。
懐中時計なんて中々見れない代物なので、軽い興味を持って覗き込む。
「……此の時計の針が、寄子さんのお住まいに行った時、左回りに動き、止まりました」
「……止まった?……其れに、あの森はいつの間に……。また何か建築中なの?」
私がそう言って聞こうと、懐中時計から顔を上げて勲を見上げた時だ。
「おっと……、失礼。……気を悪くしないで下さい」
顔が近かったのか、勲が半歩だけ大袈裟に下がって驚く物だから、私はクスッと思わず笑ってしまう。
「誰が……とかでは無く、苦手なんです。……其れより……何故、時が逆になり止まったか?です。不思議に思って寄子さんのお住まいの付近を観察していたのですよ。そうしたら他の周囲と違い、半径数メートルで堺となり木々の年輪が違ったのです。……詰まりはですね、時が止まっているのですよ。……変な話しをと思うかも知れませんが、確かにそうでした。寄子さんを此の村やあの破壊された地……今は「正義崩壊域」とされています。……から、離して病院に連れてくると、懐中時計が正常に動き出したのです。寄子さんだけが……過去にいるんですよ」
と、勲は聞いた事も無い地名や時が狂うなんて言い出すのだ。
「……そんな訳……無いわ!幾ら私がずっとあの家から繁華街を往復して、村や観光地を避けていたとしても、たった数日よ?村だって焼けたばかりなのに……。さっきから勲さんは何を言っているのだか……」
私はやはりさっきの影と言い……怪しい人物では無いかと勲を訝し気に見た。
「……では、貴方は此れを如何説明しますか?この病院も寄子さんだけ個室にして貰いました。……理由は簡単です。寄子さんの周辺だけ、過去になるから。此の部屋だって他とは今、違います。改装前の佇まいになっています」
そう言った勲が私に渡したものは……新聞だった。
「……嘘……でしょう?」
そんなありきたりな言葉しか、出て来ない。
未来の新聞を勲は見せ、私が其れを手にするとその日付が変わった。
「私は……狂った時の変化の影響は受けないのですよ。あの森も……破壊された後徐々に時を経て、自然に侵食して出来上がったもの。……不安に思うかも知れませんが、私は以前も此の様な事件を見た事があります。僕にそっくりの男に依頼中です。寄子さんを通常の時に戻せないかと。」
「勲さんにそっくりの男?」
「ええ……其の者は「黒影」と呼ばれる探偵です。私の……未来。……予知夢を見て、この懐中時計を反映させた「時夢来(とむらい)」を作りました。未来と過去のズレを正常に戻してくれます。我々は然程遭遇していませんが、そんな多種多様な能力が原因不明の自然発生をしています。……大凡20年後……それが当たり前になる。其の中に時を操れる者も出て来ている様です」
と、勲は答えるのだ。
……20年後の未来?……そんな様変わりする訳……
そう思ってまた視界に入った、今「正義崩壊域」と呼ばれるらしい、元観光地を見詰めた。
……あれは……だったら何だと言えば良いのだろう……
――――――― 一方、前日の事である。
……其れは微睡む夢の中。
黒影はあの予知夢のギャラリーにいる。
一人……硬い靴の音を響かせた。
フェルメールの絵画を模した、チェス模様の床は白黒の磨き上げられた大理石で出来ている為、黒影の姿を鏡の様に写した。
ゆっくりと迷わず向かう、大広間への廊下。横から差し込む優しい光……。
突如、黒影の真っ黒なコートが漆黒の花の様にふんわりと音も無く、広がった。
黒影は冷たい大理石の上に倒れ、先の大広間にある筈の予知を示す筈の絵画を想い、息も絶え絶えに其方に残された力を振り絞り手を伸ばす。
……何故だ?予知夢の「真実の絵」が観るなと言っているのか?
如何足掻こうとも、身体中の力が抜けて動けない。反比例して心臓の鼓動と息だけが上がる。
此の事件自体が、黒影を拒んでいるかの様だった。
「……解明…するなと…言いたいのか?」
黒影はもう死んでいない、その絵を残した父と母に問う様に、息を荒げ言う。
其れは何かの警告である事は確かだった。
然し、此の儘では、夢の中から現実に戻れない。
もし、此処で息絶えるような事や、気絶してしまえば、ずっと現実の己は寝たきりになってしまうではないか。
黒影は伸ばした手の力を抜いた。
体力を温存しなければ、大理石の冷たさにどんどん体温を奪われてしまう。
「……痛っ!……何だよ寝て…………」
……此の声は……。
黒影は其の声を聞いて、助かると確信してふっと口元だけ微笑ませた。
「あれ?!先輩!……如何したんですか?此処、夢の中ですよね?」
意識を失う寸前に、鳳凰を護る狛犬の魂を持ったサダノブが、鳳凰の魂を持つ黒影が危険に晒されている事に気付き、吹っ飛ばされて来たのだ。
何時も着地が上手く行かず、頭を強打している。
勿論、夢とは言え……サダノブは痛がって頭を掻き乍ら、黒影の様子を見る為覗き込んだ。
黒影は薄らと長い睫毛を開いてサダノブを見る。
其れでも「真実」が知りたいと、此の目で見たいと瞳を真っ赤にさせた。
「……奇襲じゃないみたいですね」
辺りも警戒して見ていたサダノブが言った。
黒影はそうだと伝える為に、ゆっくり目を閉じて開き、アイコンタクトを返す。
「何だか良く分からないけど……取り敢えず、予知の絵を見て戻りましょう。先輩、また過労かなんかじゃないんですかぁー?全く……」
サダノブは黒影のシルクハットを取り被ると、背に担ぎ運ぶ。
自分の大事な帽子を取られた黒影は不服ではあったが、今は仕方無いと諦めた。
「先輩、見えます?」
「……ああ」
サダノブが帽子を被った頭が邪魔になるだろうと、頭を横に倒し、背負った黒影からも絵が良く見える様にする。
「……此処は……」
黒影も知っている場所だ。
だからこそ、影絵でも直ぐに分かった。
「正義崩壊域じゃないっすか?」
「……の、様だな」
正義崩壊域とは、二つある。
一つは其れを模して作られた、移動する世界領域で創世神や「Prodigy」の世界のMother核(マザーコア)だけが動かせる領域の事。
そして、そのモデルとなった現存する場所だ。
何方もビル群が崩壊した街並みである。
少し違うのは、移動する世界領域の方は閑散とした死んだ街の様であり、現存するオリジナルの方は長い年月で緑が生い茂っている。
「……此れはオリジナルの方だ」
黒影はビル群の周りに等に見えた蔦等の影を見て言った。
先程よりかは息も整い、普通でいられる。
「あれ?先輩……もう、大丈夫なんですか?」
と、サダノブは心配して聞いた。
「ああ……お前が守護だから、多少鳳凰の力で何とか喋れる。ビル群と木々で余り見えないが、此処だ。被害者が倒れている」
黒影は指差し、木々の間に倒れている人影をサダノブにも分かる様に教える。
「良くわかりますね。絵本のシマシマ叔父さんを探せ!みたいな難問みたいじゃ無いですか」
と、サダノブが言うのだ。
「見慣れているからだよ!ギリ…でも無いが、そもそもあのシマシマ男は未だお兄さんじゃないか?」
「えー?そんな設定ありました?」
と、サダノブは言うではないか。
「そんな事は如何でも良いよ!其れよりもだ。此れでも未だ身動き出来ないんだ、縮尺を見るから少し下がれ!」
黒影は早くしろと、身体が動かないのでサダノブの肩に噛み付いた。
「痛っ!何するんですか、子供みたいに。わかりましたよ!もうお兄さんで良いですよ!」
と言い乍らも、サダノブは黒影が何時もする様に数歩下がる。
「……其処で良い」
黒影は丁度良い場所で止める。
額縁の模様等から、何年も見ている間に、縮尺が分かる様にしていたので、容易にその人物の大体の身長等は分かる。
「ショートヘアの女か……上半身しか草木から見えないからはっきりは言えないが、体付きからみると男の可能性が高いな。全身が見えないから身長は不明だ。……余り特徴的な特徴も無いな……。四つの同じ太さの線が均一に並んでいる。ご遺体に比べるとかなり大きい。人工物だな。……先は丸い……此れ重機のショベルカーの先じゃないか?……犯人が運転していたのだろうか。……運転席は草木で見えない。……変だな。此の影絵が犯人の姿を見せないなんて。例え実際は草木で見えなくても、何時もならば周りを反転させたぼんやりした白枠で浮かび上がらせて見せる筈なのだが……」
黒影は不思議がって言った。
「予知が正確じゃないなんて……何か理由が無いと、確かに変ですね。先輩が倒れたのも過労じゃなかったら、何か関係あるんじゃないですか?」
サダノブも、時々黒影の夢に入り込んで予知の絵を見たりするので、同意見の様だ。
「……完璧じゃないから、僕に見せたく無かった訳でもあるまいし。……大体把握はした。一先ず目覚めるぞ」
黒影は此処で考えても無駄だとそう言った。此処から出て目覚めた時、己の身体が如何なっているかも気になる。
「……そうですね」
サダノブは納得して絵の前に戻り、黒影が伸ばした手を絵に触れさせ、自分も片手で手を当て目を閉じた。
黙祷すると、目覚めが待っている。
――――――――
「何ら問題ないな……。否、待てよ……」
黒影は両手をヒラヒラさせ身体に異常が無いと確認した後、頭を抱えて辺りを見た。
「先輩!……大丈夫ですか?」
サダノブが、黒影の部屋のドアをせっつく様にノックしている。
「五月蝿いなぁ……。良いからさっさと入って帽子を返せ!」
と、黒影は帽子が無いのに気付き、不愉快そうに眉間に皺を寄せてサダノブに怒鳴る。
「あれ?ああ……そうだ」
サダノブは不機嫌なのが分かって、そろりと部屋に入ると帽子を脱ぎ、黒影にそっと出す。
「さっさとしろ!」
黒影は帽子を剥ぎ取る様にサダノブの手から奪い取ると、自分の頭に被せた。
「……此れが無いと落ち着かないんだよ、サダノブだって分かっているじゃないか」
と、黒影は文句を言う。
「人が心配してダッシュで隣マンションから来たのに。さっきは頭ぶつけてまで助けて上げたのに……。我儘!神経質!」
サダノブも此れには少しムッときて、言い返す。
「お前、一応にも社長に向かってそう言う……」
「パワハラ」
黒影の言葉をサダノブが一言で一刀両断した。
黒影は今迄の事件の資料を纏めて、其の儘昨晩は何時の間にか寝てしまっていたので、疲れもマックスに憤り、勢い良くデスクチェアからガバッと立ち上がり、
「お前なぁ!此の何時もの格好と場所見て良く言うよ!大体、もうパワハラだの労基だのゴタゴタ言わないって、前に言ったよな?……僕なんか、オーバーワークだぞ!それも黙ってりゃあ、良くもぬけぬけとっ!さっき迄、過労が如何ので心配していたのは何処の何奴だ!」
と、黒影は当たり散らす。
「……其れは、心配しましたけど……。だからってそんな言い方しなくても。疲れてるから当たるんでしょう?……そもそも、先輩あれですよ……えっと……」
「何だよ」
余りにもサダノブがはっきりしないので、黒影が急かす様に言った。
「ああ!……仕事効率が下手って……あれ?」
サダノブは悪気があった訳でも無いが説明下手なので、まるで黒影の経営手腕が下手な様な言い方をしてしまう。
此れには流石の黒影も片眉を引き攣らせた。
「貴様……今、馬鹿にしたのか?僕の事を……」
地を這う様な低い声で、今にも火力全開で怒りに燃え盛る勢いで黒影が言うではないか。
「ちがっ……違いますって!間違えた、間違えたの!だから、自分で抱え込み過ぎって意味で。えっと……ほら、経営は上々なんだし、外注すれば良いじゃ無いですかって……」
と、サダノブは其れも事務仕事なのだから、悪魔か「たすかーる」にでも頼めば良いと、言いたかった様だ。
「……ふんっ……説明下手が」
黒影は急にそう言うと、さっき迄の怒りをスッと消し去り、またデスクに向かった。
「先輩……だから……」
サダノブは心配して、またカタカタと事件の詳細や其の後の情報を更新している黒影に、恐る恐る話し掛ける。
パソコンは得意だが、黒影は根本的にパソコン作業中はストレスを溜め易いので、また逆鱗に触れたら溜まったものではない。
「此れだけは……僕が目を通して、打ち乍ら覚えなくては意味が無い……」
黒影は手を止めずに言った。そして、
「一見終わった様に見える事件も、終わっていない時もある。将又、息を吹き返す時もある。……継続捜査は常に必要だ。他の誰かの脳に入っていても意味が無い。僕の脳に入ってなければ、此の事件があの事件と繋がったと気付く事も無い。警察に協力していた時よりも、無期限に今は其れが出来る。誰よりも事件について知っていたい。僕の探究心を埋める趣味だ」
と、更に続ける。
「……趣味……ね。……趣味が仕事になっているんですから、何も文句は言えませんけど……」
サダノブは其処で言葉を詰まらせた。
「けど……なんだ?」
黒影は相変わらず、少しの時間も惜しむ様に手を止めない。
「……けど、朝御飯は食べて下さいよ」
と、少しの間を空け、サダノブは返す。
本当は……無理しないで下さいねと、言いたかった。
それでも、此の人は無理を厭わずやるだろう。
其処にたった一つの信念があるから。
事件で悲しむ人を減らしたい……其の為に捜し続けている「真実」を。
良くも悪くも変わらない。
自分の為だ、我儘なだけだと言うが、結局は……人の為にしか本気を出さない。
だから、どんなに強いと崇められた聖獣より、俺は此の人を護ろうと思った。
自分以外の他人を先輩が護るのなら、俺が先輩を護れば見渡せる限りは、護られていない人がいなくなる。
信じたんだ。……もし、俺に何かあっても、先輩が俺を護ってくれるって。
今は信じて良かったと思う。
この人だけは、俺を見捨てはしなかった。
この社会や世界が……俺を見捨てた時もだ。
「……サダノブ」
「はっ、はい?」
考えていた事が聞かれていた様に思えて、急に声を掛けられ、サダノブは声を裏返らす。
黒影は振り向きもしないが、クスッと笑い一度手を止め、天井に映ったアンティーク硝子が反射させた光を見詰める。
「……何だ、其の馬鹿みたいな声は。もう怒ってないよ。サダノブの説明下手なんか、今に始まった事じゃないだろう?」
「いや……そんな事じゃ……」
黒影の言葉に、怒っているか如何かを気にしているのでは無いと言おうとしたが……。
「……さっきは有難うな。約束の場所だった。偶然にも倒れた場所……」
と、黒影が言うのだ。
……約束の……場所……。
「あっ……本当だ……」
サダノブが気付くと、黒影はまたクスッと笑いパソコンのキーの音を響かせた。
あれは黒影が未だ、予知夢に入る度にあのギャラリーの燃え盛る炎に苦しみ乍らも、予知の絵を見に行っていた頃の事だ。
其の火を凍らそうと、待ち合わせにした廊下。
大広間に続く一本道の二人の白く綺麗な石像の前。
焼け死んだ、腹違いの兄の風柳さんの母親と、黒影の父親のご遺体。黒影には其の寄り添う二人が黒い墨の像に見えていたと言う。
あのギャラリーの火が夢から消えるまで。
「此れが終わったら朝飯を食べるよ。サダノブも久々に食って行くか?」
黒影が聞いてきた。
「……あっ、ええ。白雪さんが良いなら……」
と、答える。
「喜ぶよ、きっと。僕がそうしたいんだ。其れに、あの予知夢の話もある。仕事だからと白雪に伝えておいてくれ」
黒影はそう言った。
「分かりました……じゃあ、素直にご馳走になります」
何処か呆然としてサダノブは答える。
「サダノブが白雪を気にするなら、僕も穂さんを気にしなくてはな。……家長の風柳さんが言っただろう?サダノブは家族だ。だから其の家族の穂さんも僕等にとっては家族だ。何にも変わらない。気を遣うだけ損をするだけだ」
黒影はそんな言葉で気を遣うなと言いたいらしい。
「……そっか。それもそうっすね。今更でした」
素直に言えなくても……
素直過ぎる人だった。
――――――――――
「……久々ね、皆んなでご飯も。何だか安心するわ~♪」
「……私も丁度此れから作る所だったので、作らなくて済んじゃいました」
ご機嫌の白雪に、穂が言った。
サダノブが仕事だから久々に風柳邸で朝御飯を食べて行くと白雪に伝えると、白雪はそれじゃあと、サダノブの新妻の穂も呼んだようだ。
賑やかな食卓だが、予知夢を見たのだから事件は必ず起こる。
食事の後は会議と決まっている。
束の間の安らぎを今のうちにと、楽しんでいた。
黒影は相変わらずのんびりクロックムッシュを食べる。
事件が動き出したら、否応無しに走らねばならない。
だから今は焦りよりも、冷静さを大切にする。
焦って大事な事を見失わぬ様に……。
「黒影……朝刊と一緒に、お前宛ての手紙が入っていたぞ。……それが何だか少し、変なんだよ」
毎朝朝刊を読むのが日課の刑事で黒影の兄の風柳は、不思議そうにリビングに戻って来るなり、一通の封筒をヒラヒラさせて見乍ら言うのだ。
「ちょっと風柳さん!爆発物でも入っていたら如何するんです!?」
黒影は慌てて手紙を横取りする。
「なぁ、変だろう?黒影からだ。未来へのお手紙でも書いたのか?」
と、風柳が言うのだ。
黒影は見覚えの無い手紙を訝し気に見詰めた。
耳を当ててみたり、透かしてみるが、爆発は仕込んで無さそうである。
……が、不審極まりない手紙には変わり無かった。
その理由には幾つかある。
一つは、とても古い封筒で色も褪せてきている。
一つは、切手が異常に何枚も貼ってあり、通常の届ける額の倍ぐらい程の切手だ。
一つは、以前の戦いで大破させてしまった風柳亭から、現在の風柳邸に転送経由で届いている。
表を見ただけでこんなにも不審点がある。
其れに、宛名までが「風柳様」方 黒影様とあるのだ。
夢探偵宛てでは無いのに、黒影の名を知っている。
一般の手紙はあまり来ないが、関係者か裏社会の者、若しくは一度依頼した人物意外は、大概本名の黒田 勲で届く物だ。
裏を見て黒影は納得した様に二回無言で頷いた。
「……分かりました。未来へ書いたと言えば、そうなるかも知れませんね」
と、黒影はクスッと笑い手紙を開け始める。
「先輩が?タイムカプセルみたいな遊び、していたんですか?」
と、サダノブが揶揄う。
「……違うよ。ほら……封筒の裏を見て見ろ。約20年前に僕と違う運命を辿った、もう一人の僕。……「勲さん」からだよ。住所が村の居候をしている寺からだ。他に書く名前が分からなくて、差出人に仕方無く「黒田 勲」と書いたんだよ。風柳さんの経緯を辿って風柳邸迄辿り着いたが、引っ越してるのは知らなかったんだ。其れに届くのは約20年後と考え、郵便料金の値上がりは想定したが幾らか分からない。だからこんなに大量に切手を……。ふっ……勲さんらしい。当時はPHSぐらいはあったが、僕や風柳さんの番号を知っていても最初の3桁が先ず存在していないから繋がらない。番号が増え、時代と共に変わったのだからね。今度、事務所の固定電話なら繋がるかも知れない。試してもらわないとね。もう二度と時を変えてしまうかも知れないから会わないと思っていましたが、まさか……向こうから要件なんて。よっぽど大事な…………そうか。依頼だな」
と、黒影は最後の一言は笑わずに言った。
「依頼って……まさか……」
サダノブも何かに気付いた様だ。
「時を……変えてしまうかも知れない。其れを真実とするか否か……迷ったんだ。あの、予知を示す絵……「真実の絵」が。だから、僕を近付かせたくは無かった。然し、サダノブが来て僕はあの絵を既に見ている。……時が動き出した。ならば、真実を探すしか無い。勲さんが住んでいる村……正義崩壊域の直ぐ近く。予知夢が示したのは、オリジナル……詰まり、現代も現存する正義崩壊域内での殺人事件。繋がっている……恐らく、この勲さんが僕に託した事件と二つの事件が」
黒影はそう言うと、徐に手紙を開いた。
――――――
お久しぶりです。
黒影ならば私が誰だか分かりますね。
此方から連絡手段が無く、届くかも分からない手紙を書いています。
私は今、正義崩壊域が崩壊するに至った原因を捜していました。
あのビル群の崩壊当時に死亡者を調べたところ、ほぼ村の先住民だと気付きました。
然し、一人だけご遺体が後の捜索も虚しく、見付からなかったのです。
私は残った御遺族に頼まれ、その警官を捜しています。
最後に一緒にいたと思われる女を村外れの崩掛けの家で見付けました。
ところが、その女の時が止まったままなのです。
周囲数メートルをも時を止めてしまいます。
未来の能力者に詳しい黒影ならば彼女の時を戻せはしないかと筆を取りました。
我々の時代にも、とうとう能力者が出て来たのかも知れません。
詳細をお伝えしたい。
此方からは行く事が出来ず申し訳ありませんが、捜索には私が動きます。
ご意見だけでも伺いたいので、ご多忙かと思いますが一度足を運んで頂けたらと思います。
――――――――
「此方から一度出向かなくてはいけないようだな」
と、黒影は其の手紙をテーブルの真ん中に置くと、再び朝食を食べ、今度はゆっくりと白雪が淹れてくれた珈琲を口にする。
「うわぁ〜先輩より相変わらず丁寧。しかも事務的じゃない」
と、思わずサダノブは手紙を覗き込み読むと言った。
「事務的で悪かったな。探偵じ、む、しょ!だよ、僕の会社は」
と、黒影は事務所を強調して言い返す。
「……珈琲飲んでから行くでしょう?」
「ああ、急ぎでは無さそうだ。先に此方の事件を未然に防がなくてはならないからね」
と、黒影は白雪に言う。其れを聞いた風柳は、
「然し……もしもだ。先に勲さんの事件を解明したら、未来が変わるかも知れないよ。……だって、夢見がおかしかったんだろう?時を変えれば助かるのかも知れないじゃないか」
と、言い出すのだ。
「え?何を言い出すんです、風柳さん。時夢来は時を正常に動かす為にある様な懐中時計と本ですよ?時を壊す方向に動くとは、僕には到底思えませんね」
黒影はきっぱりと言い張る。
「……じゃあ、何故此の「黒影紳士」其の物の時の歪みには反応しなかったんだ?」
風柳は率直に思った事を口にした。
……そうだ。時が狂う様な事件なのに……何故時夢来は、其れだけは示さなかったんだ?
やはり創世神すら関与出来ない異変については、時夢来も関与出来ないのか?
「……だとしても、これから起きる事件を蔑ろには出来ませんよ」
黒影はだとしても、事前に助ければ良いと言う見解だ。
「……必要とされているうちに行って来なさい。場所も、特定されている。此方は警察に任せて、勲さんが困っているんだ。彼は黒影に似ていても、たった一人で事件を解決している。そんな彼が人を頼るなんて、滅多な事じゃない。時が止まる事案なら尚更、黒影にしか頼めない。他じゃ駄目なんだ。行ってやりなさい」
風柳は黒影を嗜める様に言った。
↓続きの第三章↓
この記事が参加している募集
お賽銭箱と言う名の実は骸骨の手が出てくるびっくり箱。 著者の執筆の酒代か当てになる。若しくは珈琲代。 なんてなぁ〜要らないよ。大事なお金なんだ。自分の為に投資しなね。 今を良くする為、未来を良くする為に…てな。 如何してもなら、薔薇買って写メって皆で癒されるかな。