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「黒影紳士」season3-3幕〜誰も独りなどにはしない〜 🎩第一章 君を独りなどにはしない

マガジン黒影紳士世界のProdigyはもう読みましたか?
後ろの二人…連鎖していますよ^ ^

――第一章 君を独りなどにはしない――

 プレリュード(今回は本編に関わって来ます)

 カウンター横に、青い小さなステンドグラスが揺らめく其のバーに帰って来た。
 私は独り珍しくバーボンを注文し、カウンター椅子に座ると夢を見ている様な虚な瞳で、ステンドグラスが織り成すテーブルの上の青さを眺めている。
「愛しい青だ。どんな夜でも繰り返せば青空を想い浮かべる……」
 と、ぼんやりバーボンを口にした。
「……そうか。そんなに経ちましたか」
 カウンターの中のマスターは、そう言うなりグラスを拭くのを止めて、自分の前にグラスを置き後ろの棚から酒を探す。奥にあった少しだけ埃の付いたボトルを出し、埃を丁寧に拭くと私の前に出した。

「ほら、マスター。グラス持って」
 と、私は言って微笑んだ。
「……じゃあ、お言葉に甘えて」
 マスターはグラスを差し出す。
 「ロック?シングル?ダブル?……何割にする?まさか、ストレートかい?」
 マスターが酒に強い事を知っていた私は、聞いて笑った。
 「……今日は未だ店を開けたばかりだからね。水割りで良いかな」
 と、マスターが言う。
「そうか。じゃあ水と氷もくれ。作って上げよう」
 私が微笑むとマスターは氷を自分のグラスに入れ、瓶に入った水とマドラーだけ出して来た。
「おいおい、折角稼がせてやろうと思っているのに、律儀にも程があるよ。こう言う時は素直に受け取っておくのが礼儀だぞ」
 と、不満そうに私は言う。
「……礼儀知らずは今に始まった事じゃないさ。君がいれてくれるだけで価値がある」
 そうマスターは笑う。
「……全く、仕方無い人だ」
 私はマスターの氷入りのグラスを取り、バーボンを注ぎ、水を入れるとマドラーで下から上へと三度だけ、カランカラン……カランと混ざり気ない澄んだ音を3回奏で混ぜ合わせ、マドラーをぴたりと止めると、氷をスーッとマドラーに吸い付く様に静かに並ばせた。
 マスターの前にグラスの下を2本の指先で押して渡す。
「……やっぱり、元バーテンの所作は違うな」
 マスターは笑顔でグラスを受け取った。

「律儀な礼儀知らずと……」
「想い出に……」

「……献杯」
「……献杯」

 祖母と母が死んだ年から落ち着いて、こんなにのんびりした命日を迎えたのは初めてだった。
 不思議だ……こんな日は、もう来ないと思っていたから。
 母の好きだったバーボンのボトルの薔薇が好きだった。
 強く厳しかった母の女性らしく優しい一面に思えたから。

「……あ」
 マスターがステンドグラスで見えなくとも、表通りの方を向く。私は其の靴音に耳を傾けて目を閉じたまま微笑んだ。
「来たね」
 と、言って。煉瓦の上に響く、此の弾む様な靴音は彼奴しかいない。
 ……カランカランと店のドアが開き、来客のベルが鳴る。其の隙間からは真っ黒な影が見えた。
 其の影は中に入って来ると鮮明に姿を現した。
「……あ、先に一杯引っ掛けていたんですね。今日は此れでも急いで来たつもりだったのに」
 と、コート掛けに帽子とコートを掛け、少しだけ息を切らして黒影は私の隣に座った。
「なんだ、そんなに治安が悪かったのか?」
 私は黒影に聞く。
「……何時も通りですよ」
 黒影はそう答えて私と同じ物を頼んだ。
「弔いに来てくれたのだね」
 私は儚さと言うものを感じながら、小さく笑った。
「……ただ、酒が飲みたかっただけですよ」
 と、黒影は見え透いた嘘を吐く。
「嘘付き……。でも、其の嘘は嫌いじゃない」
 私は微笑んだ。

「嘘嫌いな嘘付きに……」
「貴方の大事な想い出に……」

「献杯」
「献杯」

 グラスとグラスを交わすのに理由など要らない。
 キスをするのに理由が無いのと同じ。
 其れが最愛であろうが、友愛であろうが、憐れみであろうが、悲しみであろうが……喜びであろうが、再会だろうが、祝福だろうが。
 他愛もない理由で構わない。
 だから其の一瞬が好きだ。
 ……出逢ったと言う此の瞬間に祝福の鐘が鳴る。
 酔いが覚めるまで……期限付きの夢の中。

「……此の間のプレゼント、随分頭を悩ませた。然し、楽しかった。有難う」
 私は思い出して伝えた。
「喜んでくれたのなら良かった。……唯の忘れ物でしたがね」
「唯の、が余計なのだよ」
 私は黒影に良いか、と言う様に人差し指を見せ言って笑った。
 そして私は今度は、何時ものと言ってウィスキーを頼む。
「お前も飲むか?」
「ええ、じゃあ此れを飲んだら。……其れにしても、今日は早いですね」
 黒影は私のグラスを見て言った。
「……酔いに覚めたくない日もある。……偶にはね」
 そう言うと氷が薄まったグラスを手に取り、カランと一周回わしマスターに渡す。
「こりゃ、後が大変だな」
 マスターは微笑み受け取ると、黒影に言った。
「此の人、強いですからね。店のウィスキーボトルが何本消えるか楽しみですよ」
 と、黒影は苦笑いする。

 ……ああ、まるで夢の中だ。何故世界はこんなにも歪み美しのか。何故此の闇夜はどんなに嫌っても、どんなに蔑んだとしても、心奪われてしまうのだろうか。

「ほら、帰りますよ」
 黒影はコート掛けから帽子を取って被り、コートも着るとすっかり酔いの回った私をおぶって店を出る。
 煉瓦にまたあの靴音が響く。
 時々照らす小道のお洒落な洋燈を模した街灯も、背中の温もりも、優しく揺れる揺籠の様で、私は安心した。
「……生きてくれているのだな、ちゃんと……」
 私は、其の喜びに酔いもあってか涙した。
「……ええ、多分……ちゃんとね」
 と、黒影は泣いている事に気付いたからか、優しい声で答える。
「……少し甘えていたかっただけだ。重いのに悪かった。……今夜は気分がとても良い。お詫びに一つ、秘密の近道を教えてやろう。道の前を塞ぐ様に影を作ってくれまいか?」
 私が頼むと黒影は立ち止まり、影を小道いっぱいに伸ばして塞ぐ。
「通れる程で良いのに。……まあ、上出来だ」
 私はそう笑うと、おぶられたまま黒影のシルクハットを避け、肩と其の間から前方の手を伸ばす。
 黒影は影の中に出来た世界を見ると、歩き始めた。
「何故、こんな世界を選ぶんです?貴方には美しい湖の闇夜もあるのに、気付けば此処を選んでいる」
 黒影はそう聞いた。其処はまるで廃墟になった……人、一人いない、ビルも道路も崩れ掛けのスクランブル交差点だったからだ。何時も僕らは此処で出逢っては別れる。静寂だけが染み込んだ此の地で。
「……此の世界の名を、そろそろ教えてやろう……」
 黒影の肩をポンポンと軽く叩き降りると、私は其の自分に相応しき場所に降り立ち、其の名を伝える。

 ……正義崩壊域(せいぎほうかいいき)……

 ……と。
 黒影は一匹の烏が其の世界の闇に消えゆく姿を追い掛けて叫んだ。
「……嘘だ!……貴方はあんなにも人を救って来たのに!何故?!」
 烏の羽ばたきに追い付く訳も無く、黒影は其の果てしなく全てが死んだ街で絶望する。

 ……私には救いも助けも無かった。其れが現実だ。もうとっくに孤独なんて忘れていたと思っていたのに。
 すまない、黒影。私は何時か必要悪としてお前の前に立ちはだかる、最大の敵になってしまうかも知れない。
 だからもう会えないんだ。分かっておくれよ。
 さよなら。……お前がまた、私を必要とする時まで。

 黒影の耳に届いた其の言葉は紛れも無く、さっきまで酒を酌み交わし笑い合ったあの人物の声だった。
「……ならば僕は貴方を独りになどしない。貴方を必要悪になど、させはしないっ!」
 崩れ掛けたコンクリートを殴り付け、己の心に刻む様に黒影は言う。
 拳から流れる血でさえ、割れた大地の隙間へと染み込んで行く。
 まるで此の世界が、黒影の血すらも飲み込んでいるかの様に。
 掌を開くと傷は何事も無く消えている。
 ……其れは、こんな世界にたった一つだけ残された、其の人物の願いだったからに違いない。

 ――――――――――――――

「……夢……じゃないのか。あの人が見せる物が唯の夢な筈はない」
 黒影は目覚めると、自分の掌を見た。
 ……何で、あんな事を……。
 黒影はぼんやりと、やはり傷などある訳は無いと思い乍ら考えていた。
 僕は正義も悪も考えた事はな無い。
 ただ、真実を探し走って来た。
 それで良かった筈ではないか。今更……それだけで精一杯だよ。
 誰かが黒影の部屋のドアをノックする。
「はい」
 黒影が出るとサダノブがコソコソ入ってきて、
「先輩、朝っぱらから何叫んでたんですか?びっくりして上がって来たら……あの人が如何のって。まさか新婚ほやほやなのに、他の人の事考えていたんじゃないでしょうねぇ?」
 と、明から様に怪しむ顔をしてくる。
「失礼だなっ!ただ夢を見ていただけだ」
 黒影はムスッとして一階のリビングへ向かう様だ。
「……なら、いーんですけど」
 サダノブも黒影と一階のリビングに行く。
「お早う、黒影」
「ああ、お早う」
 白雪は朝の珈琲を作りにキッチンへ行く。
 出会ってから殆ど変わらないが、黒影は其の変わらない毎日に安心する。     変わる時は、大抵急ぎの事件の知らせが入る時だからだ。
 どんな予知夢を見ても、最近は珈琲を飲んでからと決めている。
 何時も通りでいないと、イマイチ推理も直感も冴えない気がするからだ。
「お早う、黒影。さっきは如何した?」
 と、風柳にも叫んでいたのが聞こえていたのか、そう聞かれて黒影は、
「否、何でもない夢でびっくりしただけです」
 そう咄嗟に嘘を吐くしか無かった。
 黒影は白雪の作った珈琲を飲み乍ら、ふと風柳が読んでいる新聞を見て、
「何ですか、其の記事は。随分と変わった話ですね」
 と、黒影は言った。 
 風柳は黒影が見ていた記事に気が付いて、良く読める様にと折り直すと、一番上にして黒影に渡してやった。
「ああ、唯の病気の一種だと思われていたんだが、人数がなぁ……。其のうち、黒影のところにでも相談に来る人が出て来てもおかしくないよ」
 と、風柳は言った。
「うちは唯の探偵事務所ですよ?……幾ら「夢探偵社」だからって……」
 黒影は其処迄言って、少し考えた。
「……まさか、何かの能力者じゃないですよね?」
 そう疑い乍らも記事を読み始めた。
「能力者なら管轄内ですよねー」
 と、サダノブは言いつつ緑茶を飲んで、のんびりしている。
「……でも、依頼が来ないと動き様も無いわ」
 白雪も座ってロイヤルミルクティーを飲み始める。黒影は新聞からふと顔を上げて、
「ん?」
 と、頭を傾げた。
「……何時もと違う……」
 そう言って白雪の顔を見る。
「オレンジよ、オレンジピールを入れたの」
 白雪は黒影に教えた。
「そうか。……道理で何時もと違うと思った」
 そう言って黒影が微笑むと、白雪がソーサー&カップを手に取り、如何ぞと勧める。
「……良い香りだ。リラックスさせようと此れにしてくれたんだね。有難う」
 黒影は白雪の頭を撫で、幸せそうに言った。
「今のも推理?」
「……違うよ、香りでも観察」
 と、二人は見つめ合い微笑む。
「良いなぁ……」
 サダノブが、頬杖を付いてそんな二人を見乍ら言った。
「そうだ。そう言えばサダノブにも長期休暇があっただろう?穂さんと、何処行ったんだい?」
 と、風柳は聞く。
「ツーリングは行きましたけど、旅行にも行けませんでしたよ」
 拗ね乍らサダノブは答えた。
「何でだ?」
 黒影は不思議に思って尋ねた。
「勿体ないからって。折角デート代をたんまり貰ったのに、俺が危なっかしいから、いざと言う時の貯蓄にまわされましたよぉ」
 と、しょんぼりしながら言う。黒影は笑い乍ら、
「堅実で実に良い!流石、穂さんだ。サダノブの事を良く分かっているよ」
 と、関心するのであった。
「……うぅ……先輩まで。あーあ……また良い残業無いかなぁ……」
 サダノブはガクンと頭を垂れる。
「暫くは良い仕事も無いだろうし、穂さんに見習って堅実に事務をするしかないわね」
 白雪はそんなサダノブを見てクスクスと笑う。
「……此の話を引っ張り出せれば、良い仕事にはなるかも知れないがな」
 黒影は風柳に新聞を帰し乍ら言った。
「何ですか?さっきから見ていた引っ張り出せば良い仕事になるかも知れない事件って」
 サダノブは興味津々で黒影に聞いて来る。
「ポチ、一々尻尾を振ってこっちを見るな。仕事になればの話だし、事件にもなっていないよ」
 黒影はサダノブに落ち着く様にと、そう言った。
「事件じゃない?」
 サダノブは、黒影が珍しく事件以外の物に興味を持ったのを不思議がって聞く。
「ああ。突然眠り続けて衰弱死すると言う話だ。昔、此の病気の事をチラッと聞いた事がある。……確か原因は不明でとても稀な病気だ。其れが最近になって急増しているそうだ。然も此の辺でな」
 と、黒影は珈琲を口にし簡単に説明する。
「眠り姫だ」
 と、単細胞を絵に描いた様な答えをサダノブは言う。
 黒影は頭を抱えて思った。
 類稀な思考を読む能力と、あの破壊力のある氷使いが、何でこうも普段は思考が停止しているのかと。
「全く……人より先にお前の其の思考を何とか……」
 して欲しいよ……と言おうとして止まった。
 ……そうか、自分の思考なんて自分で考えるから読む必要も無いか。
 と、考え直す。
 然し気になったのはもう一つの仮説で、
「サダノブは馬鹿じゃなくて、人の思考を読むから疲れない様に脳が制御していたのだな」
 と、考えが口に出る。
「先輩今、思いっきり馬鹿前提で言いましたよね?」
 サダノブは膨れっ面をして黒影に言った。
「否、知らん」
 黒影は知らぬ存ぜぬと、珈琲を飲んでほっとして微笑んでいる。
 サダノブは悔しくて、
「今聞きましたよねぇ!ね、風柳さん。ね、白雪さん」
 と、そうは知らないふりをさせまいと、風柳と白雪に必死に聞く。
「さあ……新聞を読んでいたからなぁ」
 と、風柳は言い、白雪も、
「さぁ、如何だったかしらん?」
 と、クスッと笑うとキッチンに逃げ込む。
「完全にアウェイだ。……幾ら結婚したからって、そんなに除け者扱いしなくても良いじゃ無いですかっ!」
 サダノブは椅子から立ち上がり黒影に言った。
「別に除け者になんかしていないし、結婚する前も後も何も変わって無いじゃないか。落ち着き無いなあ……座れよ」
 と、黒影は言うのだが、サダノブは引っ込みが付かない気持ちになって、
「変わりました。全然違う!俺に当たる冷酷さが当社比2倍になりました」
 サダノブはそんな子供の様な事を言う。黒影は大きな溜め息を一つ吐いて、
「馬鹿馬鹿しい。……良いから座れよ。ポチ、シッダウン」
 と、椅子を指差す。
「ほら、また馬鹿って言った!何時もの倍は言ってますよ。……幾ら先輩だからって、俺だって傷付く事ぐらいあるんですからね!……絶対先輩が謝るまで事務しませんから!」
 サダノブはそんな駄々を捏ね始める。黒影は少し考えて……、
「……何だ、かまちょか。事務仕事しないんなら何をするんだ」
 と、言った。
 ……かっ、かまちょって今言った?此の人!そんな無理に苦手な若者単語を使ってまで、馬鹿にして!
 サダノブは、流石に頭に来て、
「じゃあ家出します!謝るまで戻りませんから!」
 と、プイッと黒影から外方を向いたと思うと、ゲストルーム兼自室に向かうなり、ドアをバンッと鳴らして閉じる。
 暫くすると、荷物を纏めているのかバタバタと中から音が聞こえてくる。
「いーの、黒影?」
 白雪は戻って来ると、心配そうに黒影の肩に両手を重ねて添えた。
「構わないよ。どうせ、穂さんの所に転がり込むだけだろうし。さして何時も通りに馬鹿にした程度で、当社比2倍じゃない。少ないぐらいだ」
 と、黒影は答えた。
 バタバタする音が終わると、サダノブは部屋から出て来るなり、
「じゃあ、お世話になりました。お元気で!」
 と、嫌味にしか聞こえない挨拶をすると、さっさと風柳邸から出てバイクに乗って出て行ってしまう。
「……何だ、あれは」
 黒影は呆れてそう言うと珈琲を飲み干した。
「変わらない気でいたが、サダノブから見たら何か変わっていたのかも知れんな」
 風柳はサダノブの事が少し心配なのか、そんな事を言う。
「僕等の態度か思考がですか?僕は特に変わって無いと自分では思ってるんですがねぇ。白雪は?」
 と、白雪にも聞いてみた。
「少しは黒影と距離を置かなくて良いから、嬉しいとは思うけれど……其れ以外は変わってないと思うわよ」
 と、答える。風柳は其れを聞いて、
「逆かも知れんな。急に結婚して二人の距離が無くなった分、サダノブは二人との距離感が分からなくなったんじゃないか?だから今迄怒っても家にいたのに、居づらくて家出なんて言い出したのかもな」
 と、そう言う。
「もしそうだったとしても、其ればっかりは僕に出来る事はありませんよ。直ぐに連れ戻しても意味もなければ、多分また拗ねるに決まっていますからね。……仕方無い。穂さんには僕から話しておきますよ。気が済んだ頃に迎えに行きます」
 黒影は溜め息を吐いて言った。
「そうだな。そうしてやってくれ。」
 風柳もそれならば安心だと納得した様だ。

 ――――――――――――
「……と、言う訳で、すみませんね……穂さん。有給扱いにしておくので、サダノブの事を頼みます」
 黒影は穂に今朝の小さな喧嘩の話と、今は距離が分からないのかも知れないと、申し訳なさそうに話し、そう伝えると電話を切った。
「……彼奴、本当に事務仕事丸投げして行きやがって!」
 と、黒影はぶつくさ言い乍らも、久々に事務仕事を自室に持ち込み片付けている。
 ……はぁ、やっと終わったー……。
 と、息を吐いた瞬間だった。白雪がパタパタ二階へ上がって来る音がしたので黒影は部屋から出て、
「如何かしたか?」
 と、聞く。
「風柳さんにさっき署から電話があって、12人も今朝から急に起きなくなったって。警察も黒影に協力要請したいって」
 そう白雪が言うので、
「分かった。直ぐに話を聞きに一階に行くよ。先に待っていて」
 黒影は今終えたばかりの事務書類を纏めてからリビングに向かう。
 丁度、風柳がスマホの通話を切った。
「サダノブが居ない時に申し訳ないが、正式依頼が入った。流石に一日で12人じゃあ、病院頼みで何も存ぜぬと言う訳にもいかなくなったみたいだ。勿論、医者でも原因が分からないんだ。今回は原因究明よりも、形だけでも良いから因果関係や、一軒一軒話を聞くだけで良いそうだ。今日迄23人、今日からを合わせて35人。他の連中も周るが何しろ人手が足りんのだよ」
 と、風柳は説明する。
「……管轄内だけで35人か。……何かの感染とか汚染物質じゃないでしょうね?」
 黒影は依頼を受ける前に、危険な物では無いかと確認した。
「ああ、少なくとも今日迄の23人は病院に行って検査しているし、院内や家族にも似た症状を出した者は居ないらしい。汚染物質に関してははっきりまだ言えないが、今のところ此の症状を発症した人の家は固まっていないし、バラバラだな」
 と、風柳は参考までに答える。
「じゃあ、明らかに医療外であればうちの仕事ですよね?其の時は成功報酬出ます?原因特定と始末セットにしますけど?」
 黒影はにっこりと何時もの営業スマイルをする。
「お前も商売上手になったもんだ。分かったよ、今メールで聞いてやる」
 そう風柳が言ったので、黒影は鞄に時夢来と予備タブレットを入れて準備をする。
「是非其の時は頼みます、だと」
 風柳は返事を見て黒影に伝えた。
「……よし!交渉成立だっ。白雪、行こう」
 白雪は、黒影が黒い帽子を被ると、此れまた何時もの黒いロングコートを広げて、どうぞと袖を通す様に促す。
「ん?……別に其のくらい自分で着られるよ」
 黒影は白雪に言うと、白雪はにっこり笑い、
「お嫁さんになったら、やってみたかったの」
 と、言った。黒影は少し照れ臭さそうに微笑むと、
「そう言う事なら、遠慮なく……」
 袖を通して、バサっと音を立てコートを翻した。
「此れでやってみたかった事は一つ叶ったね。未だある?」
 そう黒影が聞くと白雪は、
「いーっぱいある!」
 と、跳ねてスカートをふわふわさせ乍ら喜んでいる。
 黒影は其の姿を見て、愛くるしくて優しく微笑んだ。
「あっ、もう一つ……」
 そう白雪は言うと、袖を引っ張り黒影の頬にキスをした。
「えっ?」
 黒影はびっくりしてシルクハットの縁を下げて、赤面しているのを隠して黙り込んでしまう。
「お出掛けのキスもしたかったの」
 白雪がクスッと笑い、黒影のシルクハットを覗き込もうとしたので、黒影は慌てて、
「……何時もは駄目だからな」
 と、言い乍ら逃げる様に鞄を持って風柳の車に向かった。
「はーい!じゃあ偶にね」
 白雪は黒影の後を追い掛け嬉しそうだ。
 風柳はそんな追い掛けっこをしている二人を見て、幸せなら良いかと見なかった事にして微笑んだ。

「さて、行くか……」
 皆座ったのに、後部座席の黒影の隣のサダノブの席が空いている。最初は白雪がサダノブに其処は私の席だったのにと、取り合いをしていたのが何故か懐かしい気がした。
 未だつい最近の事なのに……。
「やっぱり、いないと寂しいわね」
 白雪がルームミラーを見て言った。
「そうだなぁ……」
 風柳も共感し言う。
 黒影が戦い疲れたら、何時も肩をかりて眠っていた。
 家族同然で、気付いたら一緒に行動するのも当たり前になっていた。
 ……本当に出て行ってしまったら……。
 謝っても許してくれなかったら?
 もしそうだとしたら、此の席はもう二度と埋まる事は無いだろう。
 ずっとサダノブが帰って来る迄、此処はサダノブの席だから。
 一気に不安が溢れ出して来た気がする。
 ……大丈夫さ、サダノブに限って僕を裏切ったりはしない。
 そうだ……今は信じよう。其れしか出来ないのなら。
「大丈夫だよ。……サダノブはきっと帰って来る」
 黒影は言った。
「そうね、犬には帰省本能があったんだったわ」
 と、白雪はそう思い出して笑う。
「でも穂さんの所だってそうだから、如何だろうなぁ?居心地良過ぎたら、今度は穂さんの所から出社か?」
 風柳はそんな冗談を言った。
「僕は何方でも良いですよ、探偵社に帰って来てくれれば。此の儘事務員兼、戦闘要員が居ないと僕が忙殺され兼ねない。今迄良くサダノブ無しでやって来れたものだと、我ながら実感してますよ」
 と、黒影はそんな事を言う。
「だったら、其れを言えば良かったのに」
 風柳が運転し乍ら言った。
「言ったら調子に乗るに決まってますよ」
 と、黒影は苦笑いをする。
「それもそうね」
 白雪は容易に想像出来て、そう言うと笑った。
 ――――――――

「……立派なトロフィーと盾ですね」
 黒影は一人娘が眠ったまま起きなくなったと言う、母親に話し掛けた。
「ええ、あの子はピアノをずっと習っていて、音大も出て……此れからって時に……」
 と、涙ぐみ母親は答える。
「何日前からですか?」
 黒影は出来るだけ少しずつ、答え易い質問に切り替える。
「三週間前です。其の時はこんなに騒がれていませんでしたから、病院に行ってもストレスじゃないかと言われたんです」
 と、母親は答える。
「ストレスになりそうな思い当たる事は、実際にはありましたかね?」
 その黒影の質問に母親は首を横に振って、
「ある訳ありません。好きな人から告白されて、喜んで私に話したぐらいですから。其れにコンクールでも入賞したばかりで、良い知らせが重なったから、こんな事になってしまったのではないかと思う程、幸せだったと思います。私や夫は何か悲しませたかなと、ずっと考え続けて……おかしくなるんじゃないかと思った程です。其れでもあの子が目覚めたらと思って、なかなか眠れずに……夫と交代で寝る様になりました」
 と、苦しいのか悲しいのかも分からない程、疲れ切った顔で答えるのだ。
「随分とお疲れの様だ。三週間もそんな状態じゃ体が保たなくなります。睡眠は普通に摂って下さい。娘さんもまたご両親を心配しているかも知れません。誰の所為でも無いんです。娘さんの為にも、如何か笑顔で迎えられる様にお体を大事にして下さい」
 黒影は出来る限り優しく、ゆっくり話す。
「分かっています。分かっていますとも。……でも」
 母親は夫と二人で、随分と待ち草臥れてしまった様だった。
「……何時も通りになんて出来ないかも知れませんね。でも少しずつ、ほんの少しで良い。もう少しだけ、肩の力を抜いても……誰も貴方を責めはしませんよ」
 黒影はそう言った。母親は溜まった涙を流してハンカチで拭き、
「そうですよね。ずっと二人で考えて何も答えなんて出て来なかったのに……。誰に相談しても理解出来る話ではなかったので、つい」
 と、涙が溢れた理由を話して、無理をし乍らも僅かだが微笑んだ。
「構いませんよ。……其れで。もし良かったら、娘さんに少しだけ会わせて頂けませんか?未だお若いでしょうし、僕で差し支えるならば此の人でも構いません」
 と、黒影は白雪を紹介する。
「もう長くて……最初はお見舞いに来てくれていたお友達も、日に日に来なくなって……。あの子、きっと寂しいだろうから、是非会ってやって下さい。」
 と、母親は言ってくれた。

 娘の部屋に行き、
「初めまして、黒影と申します。少しお邪魔させて頂きますね」
 黒影は眠っているその娘にも、見えなくとも帽子を取り胸に当てると丁寧にお辞儀をする。
 三週間……流石に少し痩せ過ぎて見える。
「ちょっと失礼」
 そう言って口と鼻から呼吸を確かめ、脈も確かめる。眠っているからややゆっくりだが、正常な様だ。確かに眠っている。
「どんな夢を見ているのかしらん?」
 白雪は娘の顔を見てそんな事を言った。
「幸せそうでしょう?此の子ね……ずっと微笑んでいるんですよ。其れだけが私達の唯一の救いなんです」
 と、母親は娘の頭を優しく撫で乍ら言うのだ。
 ……唯一の救い……か。
 
 本当の救いは此の娘が目覚める事の筈なのに。
 簡単に人は間違える。
 愛する者に何が必要だったかさえも……。


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