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「黒影紳士」season3-2幕〜その彼方へ向かえよ〜 🎩第五章 真実に向かえよ

――第五章 真実に向かえよ――

「人体に魅入られた事も無いお前に言われる筋合いは無いっ!今はお前と話している暇なんか無いのだ。先に崇高な計画を全うするのみ!」
 飯田 陽次はそう言って、怒りに我を忘れているサダノブを放っておき、黒影の元に走り背後を取ると、首元に腕を周し強引に引っ張り、用紙や厚紙専用の裁断機の上に手を押し付けた。
「此れで切断していたのか……。通りで上の皮が沈んだ跡があった訳だ」
 黒影は切断されない様に拳に力を込めて言った。
 然し飯田 陽次は、黒影の背後から覆い被さる様に腹の辺りを両腕で締め上げ、動きを封じて左手の薬指を両手で引き出そうとする。
 ……なんて執着だ……どんなに片手で力を込めた所で、両手の力で勝てっこない。此処で火を使えば、近過ぎて犯人が死んでしまう。
「サダノブ!お前が言ったから傍観していたのに、さっさと何とかしないかっ!」
 黒影がすんなり捕まったのも、そもそも傍観してれば良いと言ったサダノブの言葉を信じたからで、何か策でもあるんだろうと思っていたが、何故かとんでもない事になったと今更後悔した。
「……おい、飯田 陽次……良く聞け。俺に理解出来ないなんて、よくもほざいてくれたな!其の人はな、お前と俺が同じに見えるんだってよ」
 サダノブがそう言うと、飯田 陽次もサダノブと同じだと思われた事が心外な様で、動きを止めサダノブの方へ振り返った。
「……何だと?」
 其の瞬間、サダノブは何の能力も使わず、ただ思いっきり飯田 陽次をぶん殴った。
「先輩、こっち!」
 サダノブが自分の隣に来る様に言うので、黒影は取り敢えずそうすると、サダノブは黒影の腕を取り、腕まくりさせ飯田 陽次に見せると、
「俺の一生予約済みなんだよ、此の人の腕はよぉ!お前、此の腕から今、薬指を取ろうとしてんだよ。其の意味が分かるか、おい!薬指を取られたら、色も形も血管の美しさも全部、変わるだろうがっ!お前は死骸が欲しくて、俺は此の儘良いんだ。如何する?……俺とどっちか死ぬまで殴り合って決めるか?」
 と、サダノブは喧嘩をふっかけ、掌を相手に見せて来いよとヒラつかせた。
「何……生きたままだと?そんなこと不可能だっ!ある訳が無いっ!」
 飯田 陽次は驚愕している。
「あるよ。……お前の薬指見せてみろ」
 サダノブは落ち着いた声で、保存容器を見せる様に顔を振った。
「何でだ。お前には分からん!」
「良いからっ!」
 サダノブは、怒りはしないが強く言う。
 飯田 陽次は何故か大人しくサダノブに手袋と容器を渡す。
 サダノブは暫く何も言わずに、中から薬指の状態を確かめて言った。
「此れじゃあ駄目だ。細胞が壊れちまってる。……あんたが惚れた中指って物は、もっと温かくて血管も美しくて、細胞の一つ一つが生きていた筈なんだよ。こんな真っ白で骨の塊みたいな、氷柱みたいなもんじゃない。どんなに此れから手に入れても、満たされはしない。……答えてくれないもんな、此れは。……不器用でも此の世でたった一つを探せればラッキーな方だ。欲しいなら欲しいと言って駄目だったら諦めて次を探せば良かったんだよ。……本物の宝探しはそう簡単に手に入ったら詰まらないだろ」
 サダノブは薬指をまた容器に閉まって返した。
「おい、証拠品だぞ!返すなっ!」
 黒影はサダノブの横から証拠品の入った容器を取ろうと手を伸ばす。……が、サダノブは黒影の伸ばした腕を掴み止める。
「お別れぐらい、させてやって下さいよ」
 サダノブは飯田 陽次を見て言った。
「……お前の其の腕は何故に逃げない?」
 飯田 陽次はサダノブが掴んだ黒影の腕を見て聞く。
「……逃げないんじゃない、居てくれているんだ。此の腕は俺を何度も救ってくれた。命、其の物だ」
 と、サダノブは答えた。
「……私もそんな物に出逢ってみたい。惜しい……本当に逃した薬指が惜しい」
 飯田 陽次はそう言うと、静かに机の上に容器を置いた。
 すると狂った様に笑い出し、今度は黒影の方に手を伸ばして、
「その生きた薬指……本当に惜しい。私にもくれよ。腕が良いなら、薬指ぐらい大した事無いだろう?」
 黒影は背筋に悪寒が走るのを感じた。
「サッ、サダノブ……何とかなるんだよな?」
 不気味がり乍ら、サダノブに黒影は聞く。
「さあ。……おい!其れより俺の予約済みだって言ってんだろがっ!薬指も含んでんだよ、こっちはっ!ゴミの分別も分からない奴にやるわけねぇーだろ!」
 と、サダノブは飯田 陽次とまた一悶着し始める。
 ……おい、冗談だろ?!
 黒影は居てもたってもいられず、言い争っている隙に机の上から薬指が入った容器を抱えて廊下に飛び出た。
「あっ!先輩、未だこっちの決着がついてないんですけど!」
 サダノブが、先に黒影が部屋から飛び出した事に気付く。
「薬指……薬指が行ってしまう!」
 飯田 陽次が血相を掻いて黒影を追い掛ける。
「こらぁー!飯田 陽次ふざけんなよ!俺のだって言ってんだろがっ!」
 サダノブは飯田 陽次を捕まえに追い掛ける。
「白雪!証拠品持って!先に車へ!」
 黒影は廊下にいた白雪に容器を投げてパスをして渡すと、全速力で廊下を走って行く。
「君の瞳に似合う綺麗なルビーの指輪も付けて上げよう!……だから、ねっ!?」
 と、飯田 陽次はしつこく黒影の薬指を付け廻す。
「物で釣るなんて卑怯だぞ!飯田 陽次!」
 サダノブは腕が大事なんだか、犯人を捕まえるのが大事なんだか分かっていない様子だ。黒影は病み上がりで寝不足もある中、息も絶え絶えに走っている。
 ……あっ、風柳さん……!
 丁度目の前に、廊下の先を素通りしそうだった風柳に、黒影は思わず言った。
「時次!……兄さん、助けてっ!」
 と、振り向いた風柳に突っ込んで行く。
 風柳はサダノブと飯田 陽次が走って来るのを見ても訳が分からないが、黒影が息を切らして走って来たからには何かあると、軽々と黒影をお姫様抱っこして走り出す。
「如何したんだ、一体……」
 走り乍ら風柳は黒影に聞いた。
「薬指まで取られてしまうよ。……サダノブは馬鹿だし、飯田 陽次を何とかしてくれ!僕はもう……走れないよ」
 と、黒影は疲れ切ってだらんとする。
「分かった。此の儘あの二人毎連行してやる。安心しろ」
 そう風柳は微笑むと、車まで走って黒影を運転席にそっと座らせ、追い掛けて来た二人の前で仁王立ちして吠えた。
「そんなに欲しいなら、大事にしなきゃあ何にも手に入らんぞ!そんな事も分からんのか、たわけ共がっ!」
 サダノブは其の一喝で、ピクっと体を硬らせたかと思うと、思い出したかの様に、ザッと飯田 陽次から後方に飛んだ。
 其れを見た風柳はにっこりと笑うと、
「良し、使命を思い出した様だな。俺の影を貸してやる。勲のに比べたら使い辛いかも知れないがな」
 と、言った。
 サダノブは風柳の影を借りて氷を地面にバリバリと這わすと、飯田 陽次の両足を捕らえる。確かに氷柱を這わす程の威力は出せないが、風柳の影は攻撃に向いた物では無く、広域に……そう、犯人を捕らえるのには向いている影だとサダノブは思った。兄弟でも性格が違うと影もこうも違うのかと感じる。
 風柳は其の後、すっかり大人しくなった飯田 陽次に手錠を掛け、所轄に連絡し逮捕した旨を伝える。
 ――――――――――

 黒影は、病み上がりにまた走って体調が悪いのか、青白い顔をしている。
「有難う、風柳さん……」
 車の後部座席に風柳が移動させている時に言った。
「お前との約束だからな」
 風柳はそう言って微笑んだ。
 黒影は後部座席のサダノブの肩に、頭を乗せてだらんとすると、
「……旅に行きたい……」
 そう言うなり、気絶する様に眠ってしまった。
――――――――

……誠に勝手ながら一週間程、お休みさせて頂きます……

 黒影はそんな貼り紙を夢探偵社の事務所側の出入り口に貼る。
 関係者各位にも既に葉書を送った。
 サダノブには昨日から休暇を与えたので、今頃穂さんとデートでもしている頃だろう。
「ねぇ、風柳さん」
 黒影が声を掛けた。
「ん?」
 風柳は革製の旅行バッグを抱え乍ら振り向く。
「僕が火より怖いものって何ですか?」
 と、黒影が聞くので、
「其の謎を此れから解き明かしに行く」
 風柳は楽しそうにそう答え笑う。
 黒影は、はて?と、不思議そうな顔をした。
「どの服にしようかしらん?」
 白雪は未だ出掛ける服に悩んでいる。
「僕は何時も通りだよ。如何見えても構わないよ。僕は何時もの白雪が気に入っているんだから」
 と、黒影は言う。
「そう?」
「そう」
 白雪は納得して、服のアクセントに茶色の可愛いリボンのロングブーツを履いて出て来た。
「うん、今日も似合ってる」
 黒影は微笑んだ。
 ――――――――

「で、風柳さんの見せたかった所って何処ですか?」
 飛行機に乗った黒影は風柳に聞いた。
「実はな、一番最初はお前と行こうと思っていたんだが、お前がなかなかFBIから帰って来ないものだから、其の間に先に一度行ったんだ」
 と、風柳は言う。
「え?……風柳さん、英語喋れましたっけ?」
 黒影がそう聞くと風柳は照れ臭そうに、
「辞書と、ガイド本を持ってタジタジだったよ。行き先は全部ガイドマップを指差して、会話なんて楽しむ程余裕は無かった。やっぱり、黒影がいた方がスムーズに飛行機も乗れたし、相手が何を話しているか聞いていると楽しいものだな」
 と、答えた。
「風柳さん……僕は何処へ行くのか何となく分かってきました。けれど、如何して風柳さんが、態々僕を其処に連れて行きたいかが分からないんですよ」
 黒影は飛行機を乗り継ぐ間に気付いた事を、黙っていても仕方ないと思って聞いてみる。
「……其れは黒影……お前が未だ知らない真実を、俺が知ってしまったからだ。其の謎をお前が解くと思うと、今から楽しみだ。何も心配は要らない」
 と、風柳が言うのだ。
 ……僕も未だ知らない真実……怖くもあるが、何も心配要らないと風柳が言うのなら、きっと大丈夫なのだろう。
 黒影はそう信じて、到着まで眠る事にした。
 ――――――――――――

「……良かった。……全然変わっていない」
 黒影は其の景色を見るなり鞄も捨て置き、走って辺りを見渡すと笑顔でそう言った。
「ほら、荷物は持たないと置き引きに遭うぞ」
 黒影の鞄を持ち乍ら注意するも、風柳は黒影の嬉しそうな姿に微笑んでいた。
「此処……だったのね」
 白雪は一面の天国の様な懐かしいこの丘の景色を、再び目にして感動して言った。
 黒影は迷う事無く歩き出す。
 黒影と風柳の父、黒田 茂と黒影の産みの母の藤子が眠る、丘の先にある墓へと。
「此れが……黒影のお父さんとお母さんのお墓?」
 白雪は黒影に聞いた。
 黒影は此処の景色を「真実の丘」と名付け、己の世界としてもう一つ心に持っている。其処には二人の墓は無く「真実の墓」があり、罪人も被害者も加害者も関係なく、憎しみも悲しみも……時には真実さえ等しく安寧の眠りに帰(き)す場所があるのだと聞いていた。
 実際の此の場所には真実の墓は無く、其処に黒影の両親の墓がある。
 白雪は幼過ぎて此の美しい景色は覚えていたのだが、黒影の両親のお墓が如何だったかは覚えていない。
「ああ、昔過ぎて、覚えていないのも無理は無いよ」
 黒影は白雪の頭を優しく撫でた。
「あっ、あの!お久しぶりです。黒影のお父様とお母様!私、黒影にずーっと大事にしてもらえて幸せです。だから、黒影に出逢わせてくれて有難う御座います」
 と、白雪は手を合わせると、急にそんな事を言ったので、黒影は思わず笑ってしまう。
「黒影なんて呼んでも、きっと誰か分からないよ」
 と、黒影は言うのだが、
「知ってるわよ!だってきっと今もずっと見守って下さっているもの」
 そう白雪は頬を膨らませる。
「……だ、そうですよ。折角名付けてくれた勲もすっかり黒影になってしまう程、時が過ぎてしまったけれど、やっと時次と来れましたよ。父さん……最後に助けてくれて有難う。僕は弱いままだけれど、生きる事を諦めないよ。今は守ってくれる人も、信じられる仲間もいる。二人のお陰で、僕は今……幸せです」
 黒影は手を合わせそう言うと、花束を置いた。
「おっ、俺は一人でもう来たから言う事は無いからなっ!」
 風柳は涙ぐみ乍ら痩せ我慢をしてそう言う。
「……時次兄さん。なかなか来れないんだから」
 黒影は風柳の腕を引っ張り屈ませる。
「……えっと、あー……こう言うものは、心で言えば良いんだ!」
 そう言うなり、手を合わせて何か熱心な顔をして、何か語り掛けているようだ。誰よりも長かった気がする。
「……まさか、お願い事とかしていませんよね?」
 拝み終わった風柳に思わず、黒影が怪しんだ顔をする。
「まっ、まさか、そんな訳無いだろう!」
 と、ガハハと笑うのだが声が裏返っている。
「本当かなぁ……」
 黒影は怪しいと思い乍らも墓を後にしようとすると、風柳は一方を指差し真面目な表情で、
「あれだ。あそこが、お前と来たかった場所だ」
 と、言った。黒影は風柳が指差した先を見もせずに言った。
「……でも、あっちは……」
 黒影は冷や汗を掻き始めている自分に気付く。
「怖いか?……俺がいて、白雪もいる。怖がるなっ!本当の真実はあそこにあるんだ、勲っ!」
 風柳の言葉に黒影はビクッとする。……火よりも怖い……あの場所が。目を強く閉じて両手を握り締める。握り締めた手の中に汗が滲んで行く。
「黒影?……何だか、分からないけれど、私……大丈夫な気がするの」
 白雪が黒影の握り締めた手を、優しく解いて何時もの様に手を繋ぐ。黒影は少しずつ目を開く。
「大丈夫だ。絶対に守ってやる」
 風柳は黒影の顔を見て、そう言って微笑む。黒影は一度両親の墓を振り返った。

 ……もう、大丈夫だよね。……父さん、母さん……。真実があると言うなら、僕は行きます。

 そう心に思った時、ふわりと優しく温かい風が吹いた。まるで二人が後押ししてくれているかの様に黒影には感じる。
「分かった。二人を信じるよ……行こう」
 黒影はそう言うと歩き出す。きっと其の先にある真実と言う謎に心、惹かれて。

「……懐かしいだろう?」
 風柳は黒影に聞いた。
「ああ、此のギャラリーを父さんと母さんは真似して日本に作ったのだからね」
 黒影は答えた。
「じゃあ、予知夢と同じ?」
 と、白雪は黒影に聞く。
「否、流石に此処は燃えていないからな」
 そう黒影は答える。
「……じゃあ、何故中に入らなかった?」
 風柳は黒影に聞いた。
「家のギャラリーの絵は贋作だった。其れでも小さい頃から見慣れた、綺麗な絵だと何も疑わずに思っていた。でも、真実を知った時に何が本当で何が偽物か分からなくなったんだ。正直、父さんや母さんとの幸せだった日々も、誰かを苦しめた上で成り立つ虚像の幸せだと感じた。だから全てを疑い、今の僕があるのだと思う」
 そう黒影は答える。
「其れで此処には虚像しかないと思って入らなかったんだな?」
 と、風柳は何故かよくよく聞いた。黒影は黙って頷く。
「……だから、お前の予知夢の中だけ真実が足りなかったんだ。火が怖かったんじゃない。お前が本当に怖かったのは此の中を見てしまう事だ。また同じ偽物だらけだと思うから、夢でも影の中でも燃えてしまう。其れは最早火事では無い。幻想の中でお前自身が恐怖し、燃やしたんだ。
 ……サダノブによくよく「真実の丘」の存在について聞いたんだよ。そうしたら、現実に存在する筈の此のギャラリーが無いと言うじゃないか。予知夢のギャラリーの中でお前は火事だと言うのに、サダノブは火事に見えないと言ったな。其の答えを、俺は一人で此処を訪れた時に見て知っている。其れが如何しても勲に見せたかった景色だ」
 と、風柳は話す。
「……まさか……違うのか?」
 黒影は風柳に聞いた。
「真実は自分の目で確かめる。其れが謎解きの醍醐味だろう?」
 と、風柳は微笑む。
「そうだ。……確かめねば進めない……」
 そう何かに突き動かされる様に、黒影は現存する元になったギャラリーに入って行った。
 白雪も、風柳も後ろを付いて行く。

「……此れはっ!」
 一枚目の絵を見て、黒影は齧り付く様に其の絵を両手で鷲掴みにし、隅から隅まで見ていた。亡き母……藤子が描かれ、父の茂のサインがされている。
 黒影は走り、また次の絵に向かう。
 黒影の幼い姿と、二人で描いたであろう合作を示すサインが仲良く並んでいる。
 ……未だ純粋に絵を描いていた頃の二人の物だ。
 贋作など、存在しようも無い。二人の思い出が飾られているのだから。価値など無いのだ。黒影以外に、これらの絵の価値を見出せる者はいない。……だから二人は此の思い出の地に態々墓を指定し、其処に黒影が来ると分かっていて此のギャラリーにも何時か立ち寄るだろうと、此の中にだけは紛れもない愛を残して行ってくれたのだ。きっと小さい頃から謎解きが大好きだった黒影の為に。
 二人が生涯を掛けて、黒影に残したプレゼントだった。
 何故……今迄……。
 黒影は涙が溢れても何度も拭い、また次の絵……次の絵と確かめる。
 ……なんて、真実は……冷たく、残酷で温かい……。

 白雪も、風柳もそんな黒影の姿を見乍ら涙を堪えて付いて行く。それは、きっと……黒影が全てを知って振り向いた時、笑顔で迎えたいと願うから。

 ……ねぇ、人は一体何を残すために産まれたんだろう……。
 僕は一体、何を残す事が出来るだろうか?
 悲しみ?喜び?
 どう足掻いても大切な人を泣かせてしまうのならば……僕はせめて、今貴方から貰っている此の温もりを残す為だけに生きていたい。

 ギャラリーの真ん中……あの予知夢の影絵と同じ中央ホールの前で、黒影は足を止めた。
 予知夢を見せ続ける物の答えがあるに違いないからだ。ゆっくり近付いて行く。
「……此れが……真実の丘……」
 思わず黒影は其の絵の前に、崩れる様に足を折る。
 影絵は苦しみでも悲しみでも無く、優しい色に満ちていた。
 そう……現実の二人が今は眠る、墓のあるあの彩の花が咲く美しい景色の中、父がキャンパスに筆を取る姿と、母が風に靡く髪を気にしながら飲み物を持って行く姿が描かれている。
 其の絵のタイトルが「真実の丘」だった。
 ずっと、真実を探せる様に、大好きな謎解きが出来る様に、そう……思って描かれたのかも知れない。
「……有難う……今頃だけど……」
 黒影は小さく二人にそう言った。

「……あ、あれ……黒影」
 白雪はホールの奥を指差して止まっている。
「ほら、何時まで腰を抜かしてるんだ」
 と、笑い乍ら風柳は黒影の腕を自分の肩に掛けて立ち上がらせる。
 黒影は白雪の指差した方を見上げた。
「えっ……?」
 黒影も思わず其れを見て、其れ以上言葉が見付からない。
「今を逃すと永遠に無いかもなっ。さぁ!さっさと着替えて来いっ!」
 と、風柳は黒影の背中をポンと押した。
 黒影は押された勢いでよたよたし乍らも、姿勢を正して白雪の前に立つと、
「あの母のドレス、気に入って貰えると良いんだけど……」
 と、照れ臭そうに言った。
「……素敵なドレスね。着ても良いの?」
 白雪が聞いた。
「……勿論だよ」
 黒影は微笑んだ。
――――――――――――――――――
 黒影と白雪は暫し別の部屋。
「白雪、大丈夫かなぁー」
 黒影は自分が着替えると、落ち着きなく歩き回り風柳に聞いた。
「あっちもちゃんと、支度の者を付けてある」
 風柳は笑い乍ら言う。
「其れにしたって良くこんな急に……」
 と、黒影は言った。
「だから涼子さんにお願いして英語で全部手配したし、良いカメラも借りてきたし大丈夫だよ。カメラマンまで付けてくれたし、神父もそろそろ到着時間だ」
 と、風柳は言う。
「否、そうじゃなくて涼子さんも良く付いて来なかったと思いますが、サダノブと穂さんまで放っておいて……」
 黒影は先に二人で黙って結婚するのが申し訳ない様だ。
「二社同時に休むとなると、如何しても向こうの治安が心配だしなぁ……。其れにお墓の二人にも先に報告しておいた。まあ、お前が狙われてる限りは孫の報告は当分無理そうだと伝えておいた。……頑張って事件解決に勤しむんだな」
 と、風柳は墓前の長い報告を明かし、笑った。
「其れじゃあ、今迄と大して変わらないじゃないですか!」
 黒影は苛々し乍らも相変わらず落ち着き無く歩き周り言う。
「そうか?何だ……今度は新婚さん二人の為に改築したいのか?未だ改築したばっかりだぞ」
 風邪はそんな事を言って茶化す。
「ばっ!……何、言ってるんですかっ!今の儘で良いです!」
 黒影が赤面して話していると、ドアをノックする音がする。
「ほら、来たぞ!しっかりしろ!ピシッと!」
 風柳は慌てて言った。
「えっ?あっ、はい」
 黒影が明らかに挙動不審なので、風柳は笑いを堪えるのに必死だった。
「黒影?入るわよ」
「あ、うん」
 白雪は俯き乍ら真っ白なドレスでゆっくり入って来る。
「……如何?」
 そう聞くと、ゆっくり顔を上げて朗らかに笑う。
「……」
 黒影は其の美しさに見惚れて茫然としてしまった。
 風柳が後ろから背中を押す。黒影は、ハッと我に戻り、
「……あ、御免。あんまり綺麗だから……。本物の白雪姫みたいだ」
 そう言って微笑んだ。
「ほら、仲良く行ってこい!」
 風柳は神父の到着を知り、言った。
「行こう」
 黒影は少し緊張した面持ちで腕を軽く上げる。
「うんっ!」
 白雪は満面の笑顔で黒影の腕を持つと、何時もの様に黒影も穏やかで優しい顔付きになった。

 此の後風柳がお父さんの様に大号泣し、二人を祝ったのは言うまでもない。

 ギャラリーの中、二人は真実の丘の絵画を真ん中に此れからも変わらない永遠を誓った。

 此れからも……沢山の真実を見付けて……最愛の人と共に歩むのだろう。

 ――――――――――

「先輩、何時の間にっ!嗚呼!……先、越されたーっ!」
 サダノブは連休明けから白雪と黒影の晴れ姿の写真を見て、色んな意味で大絶叫していた。
「何だ、朝っぱらから五月蝿い」
 黒影は寝癖を気にし乍ら下りて来る。
 白雪は何時も通り、珈琲を淹れ始める。
「サダノブの時はもっと盛大に祝ってやるよ」
 と、言い乍ら黒影は椅子に座る。
「先輩の言う盛大にって、飲兵衛だらけになるだけじゃないですか。だったら、こういう思い出の場所とかがいーなぁー」
 サダノブがそう言ったので、黒影は一瞬止まってしまった。……そうだ、サダノブと穂さんは故郷にあまり良いイメージが無いんだった。
「そうだ、二人でツーリングに行った場所とか良いんじゃないか?景色の良い所もいっぱいあっただろ?」
 と、風柳が助け船を出してくれた。
「そうですね!……今度穂さんに何処が気に入ったか聞いてみよ」
 サダノブはるんるんになった様で、黒影は安心して珈琲を受け取ると一口飲みホッと一息ついた。
「あっ、それはそうと……風柳さんは?」
 黒影は風柳が涼子を気になっていたのは如何なったのかと、聞きたそうにジローっと見た。
「さあなぁ。なんせ刑事は忙しいからな」
 と、笑うだけだ。
「あれ?……白雪さんと先輩が結婚したら、風柳さんの呼び方変えるんじゃなかったんですか?」
 サダノブが黒影に聞いた。
「ああ、あれな。何か今更だから、特に決めない事にした。そもそも僕は風柳さんの事を若い時は弟だって思っていたし。今の此の貫禄じゃあ流石に分かるけど。……其れに時次だけど、今は名前を少しだけ変えて時次郎にしているからね。好きな時に好きな様に呼ぶ事にしたんだよ。ねっ、風柳さん」
 と、黒影はサダノブに説明する。
「ああ、其れが一番楽だからな」
 風柳は今日も茶を飲み乍ら微笑んでいる。
「俺、如何呼べば良いか少し悩んでたから、すっきりしました」
 と、サダノブもホッとして笑う。
「白雪も、ゆっくりすれば良い」
 黒影はいそいそとキッチンへ行き、今日の朝食は作るからと言った。
「追い出されちゃったわ」
 そう言うなり白雪はリビングに来ると、微笑み乍らロイヤルミルクティーを飲む。
「また心配症が悪化したな。」
 と、風柳は二人を見て幸せそうに笑うのだった。
――――――――――――――
 その日の昼間、黒影は自室にいた。
 何時ものお気に入りの安楽椅子で転寝をする。
 窓から優しい風が包み込んでいた。
 黒影の手には二本のロザリオがある。

 黒影は夢の中を、ゆっくりと確かめる様に歩いていた。
 此の先に……
 黒影は、太陽の光を受けて輝く黒と白の大理石の上を、靴音を鳴らして進む。
 庭を見ると何時か見た懐かしい噴水と、黒影が母の藤子の為に花を植えた花壇が今も残っていた。
「未だ、あったのか……」
 己の恐怖心が此処迄大切な物を焼き払っていたとは……
 時次と約束をした場所でもあったのに。
 ……記憶を失った僕を、どんな気持ちで時次がずっと見守ってくれていたか……。旧姓に戻り、其れでも名は殆ど変えなかったのは、気付いて欲しかったからに違いない。
 誰でもない、此の僕に。血の滲む様な努力で人知れず、警察署一の怪力と呼ばれる程強くなって……。
 ……僕も約束を果たさなければ。
 如何に悲しく惨い真実でも暴いてみせよう。
 どんな難解な者さえ理解し眠らせてみせる。
 ……あの真実の丘が見える限り。

 黒影の靴音がピタリと止まった。
「……やはり、未だ此処にいたのですね。僕は貴方を許します。そして時次もきっと、貴方を許すでしょう。相変わらず僕には救うとか烏滸がましい事は分かりません。そんな事じゃあないんです。ただ、貴方を心底嫌いになんかなれなかった。きっと貴方の言葉がどんなに醜く聞こえても、人の素直な一面でしか無かったのだから。……それに時次と僕を出逢わせてくれたのは紛れも無く貴方で、貴方無しではあり得なかったのですから。嫌いでも構いません。せめて如何か……弔う事を許して下さい」
 そう言うと、黒影は寄り添った二人の美しい白い像の女の像だけに、二つのロザリオを掛けて祈った。
「美代子さん……僕ともう一つは、此処へ来れない時次の分です。理由は如何であれ、きっと父は貴方が居てくれたから、僕の母が死んだ後も生きられたのだと思うのですよ。父は大それた事は出来ても、僕の様に何処か臆病者で誰かいないと駄目なタチでしたから。また……真実が闇に埋もれた時に、お会いしましょう」
 黒影はそう言って立ち上がり、長い影を廊下に伸ばし消えて行く。

 まだ浅い白昼夢の中……。
 黒影の手にあった二つのロザリオは此の世から綺麗さっぱり……まるで影の様に姿を消した。

 ――――season3-2幕は取り敢えず完――
でも〜ぉ〜黒影紳士は未だ未だ続きます。

🔸次の↓season3-3幕 第一章へ↓

ー更新🆙次回不定期だけど頑張ってます。

🔸連鎖をこの幕の終わりに挟む方はこちら↓
🔗season1-短編集
※リンク先は「黒影紳士世界」黒影紳士season1-短編集より読み終えると、此方に帰って来れますので、安心してお進み下さい🎩

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お賽銭箱と言う名の実は骸骨の手が出てくるびっくり箱。 著者の執筆の酒代か当てになる。若しくは珈琲代。 なんてなぁ〜要らないよ。大事なお金なんだ。自分の為に投資しなね。 今を良くする為、未来を良くする為に…てな。 如何してもなら、薔薇買って写メって皆で癒されるかな。