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吉田篤弘さんのお話が好きな理由1|「おるもすと」

こんにちは。yoiです。
前回1本目のnoteで、次回予告として「好きな本」と言ったからには、私が好きな作家さんについて書き留めておきたくなりました。

私が愛してやまない作家さんの1人、吉田篤弘さん。物語で生きる人のこれからを祈りたくなる不思議な力を持っていると勝手に思っています。

今回は、私が好きな吉田篤弘さんの作品1冊とあわせて、好きな理由をつらつら書き留めていきます。ぜひ、夜のお供としてお読みいただけると嬉しいです📘(1ということは、2もあるということ)


おるもすと

「もう何もかも終えてしまったような気がする」

僕は「こうもり」と呼ばれ、崖っぷちの家にひとりで暮らしながら、石炭を選り分ける仕事をしている。高級な石炭である〈貴婦人〉を見つけ出す天才だった祖父が亡くなり、家と仕事を引き継いだのだ。机と電話機しか置いていない〈でぶのパン屋〉の固いパンを、毎日食べるようになったある日、公園のベンチで居合わせた体格のいい男のひとに英語で話しかけられた。が、意味はさっぱり理解できない。長い話の最後に、彼はひと言「おるもすと」と云った。

(吉田篤弘「おるもすと」講談社より引用)


古書店での出合い

この本と出合ったのは吉祥寺の某古書店。なんともミーハーっぽい理由でお恥ずかしいけれど、吉田さんのこだわりが煌る、白い装丁に惹かれました。

普段はレビューやおすすめの本など、どこかで勧められていた作品を購入して読むことが多いのですが、直感的に本を選ぶのって運命的で好きです。(失敗したくない想いが勝るので、あまりしません…)


ちょっと人生に迷い、ナイーブになった時に読みたい

私がこの本を好きな理由は、物語の冒頭から自分自身が抱える何とも言えない感情を、ずばり当てられた気分になったから。
とても抽象的な理由だけど、本当に当てられたと思ったし、見透かされているのかと思ったくらい主人公が自分と同じようなことを言っている。

崖の上に建つ家に暮らす主人公のこうもりは、窓の外に見える墓地の数を数えていて、「もう何もかも終えてしまった気がする」と。その一文に人生の全てが詰まっている気がしてならないのです。

「次にすることが思いつかない」というこの感情も、生きていれば何度か訪れるものだと思います。何もかも終えてしまったと思っているけど、終えられないでいることへの葛藤。ただ何事もなく毎日をこなす、それに少し退屈を感じつつある。

そんな想いを抱えている時に出合えたこの作品は、一生忘れないと思うし、何度も読み直したくなるはず。


平凡であることへの、肯定

社会人となり、ただ仕事をこなしている毎日ともなれば、なんとなくルーティンがあってそれ通りに生活することが日常となる。

退職していった会社の同期や先輩、誰一人いなくなったって仕事は回る。それは自分にも同じことが言えるわけで、この人がいなければならない理由は何一つない。
だからなのか、たまに「私がやることなんて、もうどこにも無いのではないか」と思ってしまう。人生は何のためにあるのか、そんなことを考えたって仕方がないのに、どうも悲観的になってしまう。

そんな悲しい人生観を、優しく包んでくれるのがこの作品だった。私にとって必要だったことは、毎日に潜む小さな幸せと、全ての出来事は実は繋がっているという事実に気づくこと。

平凡だから自分にできることはそんなに無い。いつか終わりを迎えても何も残らないと思っていたけれど、きっとそんな悲しいことばかりではないんだと、日常を愛せるようになった。


全てに終わりがあるから、もっと今に目を向けたい

「いいことも悪いことも、いつか終わりがくる。同じまま続いてゆくことはひとつもない。」

(吉田篤弘「おるもすと」講談社より引用)

こうもりは物語の終わりにこう話す。
いいことも悪いことも、どちらにも終わりはくるのだと教えてくれる。そのとおり、これまで私に起きたいいことと悪いことには必ず終わりがあった。
それはどんな人にも同じだと言えるんじゃないかと思う。

長いようで短い人生、この世の全てに終わりがくるのであれば、私が生きる理由なんて一つだけ。SNSで偉ぶりながらツイートし続ける胡散臭いアカウントの主のようなことは言いたくないけれど、今に集中して生きていくしかないですよね。


物語の中で生き続ける、こうもりを想う

吉田篤弘さんの作品を好きな理由は幾つもあるけれど、決定的なものは「物語の主人公がどこかで生き続けている」と感じられること。

もしかすると、物語の中で生きているのではなくて、日本の、世界のどこかで、私が出会うことがない人物として生きているのかもしれない。

そう思うと、こうもりも私と同じように平凡で何ら変わり映えがない人生を生き続けていると思える。
ひょっとしたら、実は身近にいるのかもしれない。

まだ私にはできることがある、そう思うことで全ての終わりをスッと受け入れられる大人になっていきたいものです。


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