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フレームワークとルールと意識的練習 #考えたこと #8/3

  • 枠に収まるのはいいことか?

  • 最近こういう自問が絶えず頭の中にある。

  • 小説の脚本とか、プロット。文の構成とか。

  • そういうフレームを用意するということは、書くという運動を制限することにはならないか。

  • そこに本来あるはずの自由を、妨げることにはならないか。

  • そんな心配をしていた。

  • でも僕たちはなんのルールもなしに、本来の意味で自由になることなんかできないんだと思う。

  • 問題はそのフレームワークやルールが、複雑すぎることにあるのではないか。

  • 成果を焦るあまり、幾つもの規範を設定したくなる。

  • でも考えることができるのは、あくまで1つか2つくらいだ。

  • 逆にいえば、1つや2つのことは、意識できる。

  • 『意識的練習』というやつ。

  • 言語化して、それを念頭において、行動したい。


  • 僕のそういう意識は、ゲームで育まれている。

  • ダクソのボスなんかそうで、初戦は相手の動きを見ることだけに集中する。

  • モーションがわかってきたら、次は後隙のある行動をひとつ探す。

  • そしてその後隙のある行動の予備動作を見極めて、攻撃を入れる。

  • およそこんな感じか。

  • 時間はかかるが、いつか終わる。

  • そうは言っても、一筋縄にはいかないボスもいるのだが。(鐘のガーゴイル、マレニア、エルデの獣、てめーらのことだ)

  • 久々にフロムゲーやりたくなってきたな。

  • 今度AC6が出るか。


  • 僕は本や動画、ときには映画なんかで具体的な方法論を見つけると、それを試したくなってしまうという癖がある。

  • 『一日のはじめに鏡に向かって笑いかけると、自己肯定感アップ!』みたいなことを言われると、ついやってみたくなってしまう。

  • その方法論を鵜呑みにするのが良くないことは、もちろん知っている。

  • でも「仮説を試してみたい!」という気持ちで前に進む意識も大事なのではないか、とも思う。

  • 新しいおもちゃを買ってもらった子供みたいに。

  • そればっかりで遊んじゃう、みたいに。

  • トイ・ストーリーを思い出した。

  • あの脚本はほんとうにすごいと思う。

  • 虫眼鏡で火をつける、って伏線回収されるのすき。

  • きっと、そういうワクワク感を損なわない程度のルール、フレームが設けられればいいんだろうな。

  • それが自分にとってのスタンダードになれば、また新しいことができるし。

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