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サウナ、ととのわなくてもいい?

「これで仕事が捗るねん」と言いながら、その先輩は狂ったようにサウナに通っていた。勤務時間の合間を縫っては、日頃からサウナ休憩なるものをねじ込んでいた。

今からおよそ3年前。学生だった自分が当時働いていた、アルバイト先の先輩社員。僕とサウナの出会いは、彼に連れて行ってもらったことがきっかけだった。

サウナに通いすぎて、もはや銭湯の休憩室で仕事をするようにまでなってしまった先輩。パソコン一つあればできる仕事だったとはいえ、さすがにそれは勤務崩壊してないか。Zoom越しにざる蕎麦をすする先輩を見て、「こいつヤバくないか」と内心ビビった事を覚えている。

サウナに7分、水風呂2分、そこから10分外気浴(露天スペースの寝椅子に横たわる)。先輩に言われるがまま、訳もわからず3回ほどこのサイクルを繰り返す。すると最後の外気浴のタイミングで、地面がグニャグニャになって底の方まで沈んでいくような感覚に陥った。沈みすぎて、最初一個下の階に着いたのかと思った。強烈な脱力感に伴う快感、どうやらこれが「ととのう」ということらしい。極めて恐るべき現象だ。

そうか、これが彼の見ていた世界だったのか。実際に体験する事で、これまでの先輩社員の言動にもある程度合点がいった。(それでもZoom越しにカツ丼をかき込む先輩を見て「こいつヤバくないか」と感じる気持ちは変わらない)

それから僕は、一人でもちょくちょくサウナに行くようになった。

しかしながら、それは単に「ととのう」喜びを知ったからという訳ではない。いや、もちろんそれもあるのだが、その喜びもさることながら、それ以上に魅力を感じるポイントを発見したからだ。

それは「全裸で全身の感覚に集中できる」という点だ。

サウナ室に全裸で座り、全裸のまま目を閉じる。全裸であるが故に、冴え渡る五感。秒速5センチでノロノロとぶつかってくる熱気の塊、こめかみから脇腹までをなぜかジグザグに流れ落ちる汗、サウナ室内でうごめく無数の全裸男性の物音、冷たすぎる水風呂に泣き叫ぶ遠くの子ども。

言うならばそれは、外界からのあらゆる刺激に対してどこまで集中できるかのチャレンジ。

これこそが全裸サウナのサビではないだろうか(ととのいはCメロ)(水風呂はギターソロ)(イントロは券売機)。

皆さんは普段の生活の中で、自分の「体」に対してどれくらい意識を向けているだろうか。

タンスにぶつけた時の足の小指、めちゃくちゃ痛い時の喉、インフルになった時の諸関節。イレギュラーな強い刺激を受けた時なんかは、強制的に意識を向けざるを得ない。

それと同時に、体に対する普段の無自覚さを思い知る。失って初めてその大切さに気づいたんだ的な状態に陥る。世の中のアーティストは、タンス小指ぶつけから多くの着想を得ているのかもしれない。

スマホをスクロールする時の指先の感触、座っている椅子がお尻を押し上げてくる力、履いている靴下の質感。普段は無意識がちな、こうした「体への意識」。

ここに思う存分集中できる場所の一つとして、僕はサウナを挙げたい。

一つのことに思いっきり集中することで、日頃の雑念が自然と収まり、脳がスッキリする。ような気がする。

これで仕事が捗るねん。










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