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【読書記録】やがて哀しき外国語 村上春樹

この本は、村上春樹がアメリカ、プリンストンに滞在していたときに綴ったエッセイである。

エッセイ「遠い太鼓」が旅行者の記録だとすれば、「やがて哀しき外国語」は居住者としての記録だと思う。

両方読むのであればぜひ「遠い太鼓」を読んでから「やがて哀しき外国語を読んで欲しい。

そして差別というのがどういうものなのかは、実際に差別される側に立ってみないとわからない。

やがて哀しき外国語 村上春樹

自分自身がうつ病や不安障害、双極性障害という精神障害者になってはじめて障害者が差別される存在であるということを身を持って知った。

良くないのだが、精神障害になる前の私は障害者というのは差別の対象になってしまい、勝手にかわいそうな人と思われてしまう人なのだと思っていた。

だから、私は差別を絶対にしたくないと思っていた。

でも、最近はその考え自体が差別なのかなと思うようになった。

そして、実際自分が精神障害者になって多かれ少なかれ差別されていると感じる瞬間はあって、それは私が想像していたものとは違うものだった。

もっと露骨に「差別されている」と感じるような目にあうのかと想像していたのだが、実際はそんな露骨に、ある意味わかりやすく親切に差別されることはあまりなく、ひっそりと静かに、気がついたらもうそこには誰もいなくて「独り」だということが多かった。

映画やドラマのように意地悪されるような差別も経験したけれど、現実はもっと冷たく残酷なものだと感じた。

この一文は、私にとっての差別について、今一度考えるきっかけを作ってくれたように思う。



僕という一人の人間が、あるいは一人の作家が日本からふっと消えていなくなっても、そのことでとくに誰も困らないし、とくに不便も感じない。

やがて哀しき外国語 村上春樹

これは会社員時代の自分に送ってあげたい一文である。

世の中こんなに溢れるように人がいて、私のような一般人がこの世からいなくなってもとくに誰も困らないのだ。

それは別にいなくなってもいいと言っているのではなくて、自分がいなくても世の中は問題なく進んで行くのだということ。

そんなに背負い過ぎる必要はない。

辛かったら休んでもいいし、誰だって代わりはいるのだという、ポジティブなメッセージを送りたい。

この世界的作家の村上春樹でもこのように思うのだから。


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