音とわたしのこと

新型コロナウイルスの流行という未曾有の事態に直面している2020年の春、音や音楽のこと…

音とわたしのこと

新型コロナウイルスの流行という未曾有の事態に直面している2020年の春、音や音楽のこと、そこから誰かが考えたこと。どなたでも投稿いただけます( https://note.com/ototowatashi2020/n/n502ca2070954 )。編集:長津結一郎(九州大学教員)

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「音とわたしのこと」について

2020年4月8日、新型コロナウイルス感染症にともなう緊急事態宣言が出されました。春、本来は新学期を迎えるはずだった学生が自宅待機を余儀なくされる地域も多くあります。私が生まれ育った北海道も、学びを深めた東京も、そしていま住んでいる福岡も、大きな被害を受け、それらは長期化を余儀なくされています。 この状況にしばらく私はどうしたらいいかわからず、メンタル的にダメージを強く受けていました。それでも何かできることはないかな、と思い、このブログを立ち上げることにしました。 だからこ

    • 音が消えない毎日

      引っ越していない段ボールに半袖が詰められたまま、夏が来てしまう。もう1か月以上も楽器を吹いていない。 演奏会が中止になったのは、「こういうときだからこそ自粛ではなく、音楽を」という声がまだ聞こえていた頃だった。何かが起こる可能性はもちろん、何も起こらない可能性がある。それはどちらも可能性で、起こるかどうかもわからない何かにおびえていては身動きはとれない。これは音楽に限らず、また今日に限ったことでもないが、「何かが起こったとき、責任はとれるのか」と問われ、何かが起こる可能性に

      • 築50年と暮らす音

        波の音が聞こえる。徒歩5分で玄界灘。 年中風が強くて、隙間だらけの我が家は風通しが良い。 お陰様で換気には困らない。 およそ1年前、この家に住み始めた。 親元を離れて初めての一人暮らし。波の音が喧しく聞こえて眠れなかった。 普段であれば聞こえていた生活音がない。ただ波の音が聞こえる。 朝は我が物顔で屋根の上に立つカラスの足音で目が覚めた。 カラスの足音を想像するのは難しいと思うが、黒板を爪で引っ掻いたようないやな音に近い。屋根と部屋を隔てる板が薄いのか、ギリギリと鳴るいや

        • こういう状況になって、外出を控えている一人暮らしなので、いつにも増して誰とも喋らない日々が続いています。話すとしても電話やオンラインでのやり取りばかり。何もフィルターを通していない肉声を聞くことが少なくなりました。 ふと、マンションの階段でぶつかりそうになった住人に、「あ!すいません!」と久々に少し大きめの声を出した時、自分でその声に少し驚きました。誰とも話してなさすぎて、他人どころか自分の声すら久々に聴いたような気がしてしまいました。 こんなふうに声を「奪われる」と、例え

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        「音とわたしのこと」について

          想像すること

          家にいる時間が増えた。 部屋にいると、いろいろな音が聴こえててくる。 近くを走る電車の音。誰かが駆けていく足音。 同じアパートに住む人たちの生活音。 上の住人は大学生である。 というのは僕が勝手に思っていることなのだけれど。 毎週末になると同じ大学の仲間を読んで飲み会をしている。 響く笑い声。乱暴に閉められる扉の音。大塚愛の「さくらんぼ」に合わせて、歌い飲む。 家でもやるんだ!飲み歌。 彼の生活は、あまり変わらないように思う。 隣の住人は天狗である。 というのは僕が勝手

          Aノオト

          世界で最も好きな音楽は、と問われると答えに窮する。 プーランクやラヴェルの楽曲は聴いたことがあるものだったらいずれも好きだし、R. シュトラウスやマーラーに大いにハマっていた時期だってある。プロコフィエフやショスタコーヴィチも好物。そもそも作曲家名を挙げて複数の楽曲を示してしまう時点で「最も」という題意をはみ出していそうだ。恋人がいればきっとその歌声も愛すべきものだろうし、子でもできればその笑い声は間違いなく宝だろう。歳をとったのか、地域に伝わる民謡のようなものにも心を動かさ

          オンラインでは感覚を書き換えることはできない

          コンサートができなくなったオーケストラが「無観客コンサートの配信」という取り組みをはじめた。私も聴いてみたら、自分でも驚くくらい楽しかった。ニコニコ生放送で、視聴者が投稿したコメントが画面を流れていく。ラヴェルのピアノ協奏曲の3楽章で「そろそろゴジラが来るぞ」とコメント。どういうこと?と思ったら、3楽章のモチーフに、伊福部昭が作曲したゴジラのテーマにそっくりな音型がある。どうやら実際、伊福部昭がラヴェルのピアノ協奏曲から引用したらしい。かと思えば、ファゴットが映されると「あの

          オンラインでは感覚を書き換えることはできない

          夜中のライブハウスに

          タイトルは好きなシンガーソングライターの尾崎リノさんの曲名から取った。この曲は景色、音楽、日々の生活を感じる。ライブハウスの煙さ、埃っぽさ、汗臭さ、酒の匂いまで思い返される気がする。今日はそんな自分とライブハウスを見つめ直すためにこの文を書いている。 未曾有の状況だ。とは言っても、ウイルスは目に見えない。自分は保菌しているかもと思うけど、そうじゃないかもしれない。東日本大震災を経験したあの頃と違うのは、目に見えないという曖昧さ。日々政府の批判を繰り返すワイドショー。センセー

          夜中のライブハウスに

          隣のテレビの音と救急車のサイレン

          自宅での活動がメインになって2週間ちょっと。もともと大学院生の上春休みで、仕事も学業もパソコンがあればどうにかなるのがここ1年ぐらいの内容だったので、ウィルス騒ぎが出てからもさほど支障は出ていない。 とはいえ、去年もメインで仕事をするのは基本的に大学だった。 その大きな理由の一つが、隣の部屋から聞こえるテレビの音量が大きすぎて気に障ることである。 大学院進学とともに福岡に引っ越してもう4年目になるが、今の家にはテレビがない。実家にいた頃も一人で過ごしている時はテレビの音はうる

          隣のテレビの音と救急車のサイレン

          テニスボールの響く公園

          4月9日(木)在宅勤務2日目。オンラインでの会議や面談をひととおり終え、16時ごろ、買い物に出ようと外に出る。いつも通りかかる公園のグラウンドは、子どもたちで賑わっていた。多くの子どもたちはマスクをつけているが、そうでもない子どもたちもいる。野球や、サッカーなど、思い思いの遊びに興じていた。 その、通りに面した部分で、5〜6mほどの距離をあけた2人組が、テニスボールをラリーさせている。その、テニスボールが、ラケットに当たる時の響き、が、ほかの子どもたちの遊びよりもひときわ大き

          テニスボールの響く公園