オンラインでは感覚を書き換えることはできない

コンサートができなくなったオーケストラが「無観客コンサートの配信」という取り組みをはじめた。私も聴いてみたら、自分でも驚くくらい楽しかった。ニコニコ生放送で、視聴者が投稿したコメントが画面を流れていく。ラヴェルのピアノ協奏曲の3楽章で「そろそろゴジラが来るぞ」とコメント。どういうこと?と思ったら、3楽章のモチーフに、伊福部昭が作曲したゴジラのテーマにそっくりな音型がある。どうやら実際、伊福部昭がラヴェルのピアノ協奏曲から引用したらしい。かと思えば、ファゴットが映されると「あのトッポみたいな楽器はなんて名前?」とコメント。ああ、言われてみればたしかに、ロッテのお菓子のトッポにそっくりだ!と思うと、そのあと、ひとしきりトッポの話題が画面上を埋め尽くす。サンサーンスのオルガン交響曲をBGMにしてトッポの話。

熱心なクラシックファンだったら怒るだろうなあと思う。でも私はとっても楽しかった。こんなに素朴に大勢の人(その日は10万人が視聴していた)音楽を聴いてくれたことが嬉しいし、「一緒に楽しもう、一緒に盛り上がろう」という雰囲気があった。不思議な感覚だった。それに実際、ヘッドフォンか少し大きいスピーカーにつなぐと、音がよくてびっくりしたし、ちゃんとスコアを読んで複数のカメラをスイッチングして、ズームアップもしてくれて、演奏者の表情がすごく見えたし、物理的にも精神的にも、距離が近く感じた。大勢の視聴者が「これは生で聴きたい!」とコメントしてくれていた。それと比べて、コンサートホールはどうだろう。楽しむというよりも堅苦しいし、ノイズを立てたら睨まれたり、お前にこの音楽がわかんのか?みたいな雰囲気だし。

それでも、オンラインの動画配信や動画通話では無理だろうなと思う感覚がある。私は、生のコンサートを聴きにいくと、「ああ、いまこの瞬間、空間全体の空気が震えている、この場にいる人の心が震えている!」というのを実感することがある。逆に「ああ、いま静かに聴いているっぽいけど、実は全然聴いてなくて他のことを考えているか眠気と戦っているかだろうな、ほらいま誰かの膝の上からチラシの束が滑り落ちた音がした」というのを感じる時もある。そういうのは、オンラインだと感じることができない。

こないだ、オーケストラの事務局をやっている友人と、ダンサーの友人と、Zoomで話したときに、オケの事務局の友人が、すごくいいことを言ってくれた。「生演奏であれ、CDであれ、オンラインであれ、音楽を届けることに、できないことはないと思うんです。でも、オンラインだと、感覚を書き換えることは無理でしょうね。すでに自分の中にある感覚を再確認したり、引き出したりすることはできても、自分の感覚を書き換えたり、それまでにはない感覚が立ち上がったりすることは、オンラインは無理だと思うんです」。

なるほど!たしかに!と思った。

でも、ここまで書いて「感覚を書き換える」という感覚が、伝わるのかな?とも思った。
九州大学芸術工学部音響設計学科のみなさん、どうでしょう?

とらお
文化生態観察、料理、散歩


「音とわたしのこと」は、新型コロナウイルスの流行という未曾有の事態に直面している2020年の春、いま身のまわりに実際にある音や音楽のこと、そこから誰かが考えたこと、を書き記しています。
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