音が消えない毎日

引っ越していない段ボールに半袖が詰められたまま、夏が来てしまう。もう1か月以上も楽器を吹いていない。

演奏会が中止になったのは、「こういうときだからこそ自粛ではなく、音楽を」という声がまだ聞こえていた頃だった。何かが起こる可能性はもちろん、何も起こらない可能性がある。それはどちらも可能性で、起こるかどうかもわからない何かにおびえていては身動きはとれない。これは音楽に限らず、また今日に限ったことでもないが、「何かが起こったとき、責任はとれるのか」と問われ、何かが起こる可能性に重きを置かなければならないのが、私たちが置かれている現状なのだと思う。私には責任を取る覚悟なんてない。命への責任なんて、どうしたって取れるわけがない。本当は何かが起こる可能性はいつだってあって、そのことに重きを置かずに演奏することができていたのがこれまでだったのだ。

それからしばらく、私はとにかくあらゆるものに怒っていた。

演奏会の中止は、多くの意見をもとに話し合いで決まった。とはいえ、最終的には誰かがひとつを決めなくてはならない。そしてその誰かは、代表者である私であって、誰のせいにもしないことが代表者としての責任だろうと思っていた。私は私の結論として、演奏会を中止した。
一方、見渡してみれば、政府により求められる自粛は各団体の代表者への責任の擦り付けにしか思えなかったし、演奏を依頼されているとはいえ式典の有無を学生に決めさせようとする大学にも腹が立った。どのような行動をとっても、ネット上には意見があふれる。もうこのときの私は、どんな意見だろうと、たとえ音楽を前向きにとらえる意見だろうと、もういいから黙っててくれと思っていた。

とはいえ理不尽な怒りも多かったことを、少し落ち着いた今では反省している。演奏するはずだった曲を偶然流してしまっただけの友人には、さすがに謝らないといけないなと思っているが、最近コントラバスが空から降ってきたらしくむかつくので謝らないことにした。(空から楽器降ってこないかなとぼやいていたところ、同僚が貸してくれたのだそう)

楽器を持っていない私は大学卒業が区切りになるかもしれないと、春に多くの演奏会の予定を詰め込んでいた。演奏会はあったりなかったりして、その中に無観客での収録があった。1曲目は降り番で、ホールの端に座って聞く。チューニングが始まり、いろいろな音が広がった途端、涙があふれて止まらなくなった。音にすらならなかった演奏会がとにかく悔しかった。泣きながら、涙を乾かしながら曲を楽しみ、収録の関係で演奏後に一時停止する様子がおもしろかった。

演奏会は中止にはなったものの、私は振替公演をするつもりでいたし、そのことは公言していた。
「先輩たちの思いは受け継ぎました。僕たちで頑張るので運営は大丈夫ですよ」
自分の手ではもう終わらせられないことに、そのときようやく気付いた。学生であれば特に、今しかできない演奏会が、音にならないまま終わっていったのかもしれない。

その日も私は何かに怒っていたけれど、横断歩道で信号待ちをしていた。待っている人は私を含め、こちら側に2人、あちら側に1人。縦も横もちょうど赤なタイミングだった。青になったことを知らせる音がなり、あちら側の人は歩き出そうとして、自分の信号はまだ赤だということに気づく。かくいう私も、音が鳴ったとたん顔をあげて信号を確認した。演奏会がなくなったって、この世界には音があふれている。当たり前だ。そして私たちは、思っている以上に音に支配されて生きている。いっそすべての音がなくなってしまえば少しはなぐさめられるだろうかとも思ったが、今の私をなぐさめているのもまた、悔しくもこの事態のおかげでこれまでよりも身近になった世界中の音楽であり、身の回りの音である。

楽器はないのにどうしてもテレワークアンサンブルをしたい私は、家中のものを叩きまくる生活を送っています。家を破壊しないように気を付けて、素敵な音を探しながら私は待ちます。また、一緒に演奏しましょう。みなさん誘ってくださいね。

鈴木ひかる
佐賀大学を3月に卒業しました。音楽について研究したいという漠然とした思いはありながら上手に進路を決めきれずなぜか関東に旅立つ、はずでした。光が見えたそのときには、ファゴットを買って経済をぐるっと回してみせます。


「音とわたしのこと」は、新型コロナウイルスの流行という未曾有の事態に直面している2020年の春、いま身のまわりに実際にある音や音楽のこと、そこから誰かが考えたこと、を書き記しています。
どなたでも投稿いただけます。このブログについてや、投稿のやり方はこちらからご確認ください。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?