築50年と暮らす音

波の音が聞こえる。徒歩5分で玄界灘。
年中風が強くて、隙間だらけの我が家は風通しが良い。
お陰様で換気には困らない。

およそ1年前、この家に住み始めた。
親元を離れて初めての一人暮らし。波の音が喧しく聞こえて眠れなかった。
普段であれば聞こえていた生活音がない。ただ波の音が聞こえる。

朝は我が物顔で屋根の上に立つカラスの足音で目が覚めた。
カラスの足音を想像するのは難しいと思うが、黒板を爪で引っ掻いたようないやな音に近い。屋根と部屋を隔てる板が薄いのか、ギリギリと鳴るいやな音が直に耳に届く。

近所に住む猫が屋根の上を走り抜ける音に起こされたこともあった。
初めは得体の知れない何かがドタドタドタっと家の上を駆け抜けたことに驚き、叫んだ。
数日その正体は分からないままだったが、ある日の朝玄関を開けると、黒猫が庭の木を巧みに登って家の屋根に消えていくところが見えた。
彼が犯人だと思うことにした。

1年半前、親戚からこの家の鍵をもらった。
当時、雑草とツタに一面覆われていたこの家は全面的な清掃と壁の補修を必要とした。
大学からの帰りに寄り、玄関前の草を抜く。そして、壁に引っ付いたツタを剥がす。やっとの思いで部屋の中に入る。壁の隙間を見つける。ホワイトウッドで埋める。部屋の中の砂埃を出す。荷物を処分する。
先輩や友人、家族の協力があって、家は少しずつ人の家としての体裁を整えていった。

ある日、台所を清掃しているとヤモリがお皿の隙間から飛び出してきた。
私は思わず叫んだが、ヤモリはビクともせずこちらを見つめた。
にらみ合いが続き、根負けした私が一瞬視線を外すと、ヤモリは壁の隙間に隠れていった。
彼は私の前の住人だったのか。最近その姿を見かけなくなった。


「この家は今何を思っているのだろうか。」


今、身長169センチ、体重60キロの人間が居座っている。
朝、目覚まし時計が鳴り響き、テレビから音が流れ始める。クーラーが起動し、お湯を沸かす音が聞こえる。シャワー音の後、ドタドタと家の中を駆け回る音がし、唐突にドアが開く。「いってきます」の声。
この家には20数年ぶりに人間の生活音が響いている。


最近、部屋にいる機会が多くなった。
多分、築50年近く経つこの家は外の状況のことなど何も知らない。
長期間人間が部屋の中にいることに驚いているかもしれない。あるいは部屋から一向に出ようとしないこの家の家主を心配してくれているかもしれない。

金曜の午後、お昼寝をしていると、玄関近くからピーピーと警戒音のような音が鳴り始めた。ピーピーと鳴り響く音に起こされ、寝ぼけながら玄関に行くと、靴ベラの裏に隠れて掛かっていた防犯ブザーが鳴っていた。
「なぜ防犯ブザーがこんなところに。」と思いつつその鳴る音を止めた。そして、なぜ防犯ブザーの音が鳴り始めたのか、勝手に鳴り始めたのか、冷静に頭が回り始めて、怖くなった。

あれは夢だったのかよく分からない。ただ、お陰でお昼寝から目を覚ますことができた。
一向に起きない家主のことを心配してくれたのか。それとも退屈そうに過ごす人間へのサプライズか。

お互いの音を聞きあう。
多分50年ほとんど変わっていない音に意味をつける。

今日も風が強いらしい。波の音が聞こえる。

なかやま
博士後期課程の1年生。社会教育という分野で研究しています。演劇が好きです。人見知りです。


「音とわたしのこと」は、新型コロナウイルスの流行という未曾有の事態に直面している2020年の春、いま身のまわりに実際にある音や音楽のこと、そこから誰かが考えたこと、を書き記しています。
どなたでも投稿いただけます。このブログについてや、投稿のやり方はこちらからご確認ください。

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