マガジンのカバー画像

さぶすクラシック日誌。2022年版...

187
毎日、1タイトル、スポティファイでクラシックの新譜を聴いてみた。
運営しているクリエイター

#オペラ

12月22日、18世紀のオペラとして、ホント、侮れない... ネブラのサルスエラ『暴力あって、責任なし』。

アルベルト・ミゲレス・ロウコ率いるスペインのピリオド・オーケストラ、ロス・エレメントスの演奏、アリシア・アモ(ソプラノ)ら、スペインの歌手たちの歌で、ネブラのサルスエラ『暴力あって、責任なし』。 GLOSSA/GCD923535 1701年、王朝交代によって大転換期を迎えたスペインの音楽シーン... フランスからやって来た新王家による改革開放(音楽鎖国政策を執る宮廷、既得権益と化した世襲の宮廷音楽家たちによる独占が、一気に自由化!)が、18世紀、スペインの音楽に大きな活力を

12月21日、ムソルグスキーではなくて、ドイツの、バロックの、『ボリス・ゴドゥノフ』に、びっくり!

イタリアの鍵盤楽器奏者、アンドレア・マルキオルの指揮、EUのユースのピリオド・オーケストラ、テレジアの演奏、オリヴィエ・グルディ(バス)のタイトルロールで、マッテゾンのオペラ『ボリス・ゴドゥノフ』。 cpo/555502 ヘンデル(1685-1759)の友人にしてライヴァル(仲良くリューベックのオルガニストのオーディションへと向かうかと思えば、オペラの上演でどっちがチェンバロを弾くかで決闘までする... )として知られるマッテゾン(1681-1764)、ハンブルクの大聖堂の

12月6日、"Signor Gaetano"、ドニゼッティとはどんな作曲家だったのか?改めて見つめ直すアリア集の興味深さ...

メキシコからやって来た、新たな逸材、テノール、ハヴィエル・カマレナが、リッカルド・フリッツァの指揮、ピリオド・オーケストラ、リ・オリジナリの演奏で、ドニゼッティのアリアを歌う"Signor Gaetano"。 PENTATONE/PTC5186886 ドニゼッティでテノールのアリアと言えば「人知れぬ涙」!は、もちろん歌われるのですが、必ずしも「名アリア集」という雰囲気ではない、"Signor Gaetano"。1幕モノのブッファ、『ベトリー、またはスイスの山小屋』のアリアに

12月5日、ナポリ楽派とロッシーニの間を埋めるマイールの、けして侮れない、充実の『アルフレード大王』!

フランツ・ハウク率いるコンチェルト・デ・バッススの演奏、マリー・ルイーズ・ドレッセン(メッゾ・ソプラノ)のタイトルロールで、マイールのオペラ『アルフレード大王』。 NAXOS/8.660483 ジモン・マイール(1763-1845)。 ドイツ、バイエルンの小さな町、メンドルフに生れ、オルガニストだった父から音楽を学び始めるマイール。その後、最寄りの大きな街、インゴルシュタットに出て、1774年、イエズス会の学校へ入り、1781年には、インゴルシュタット大学に進み、神学、法学

12月2日、グランド・オペラを予感せさせる、魅力、盛りだくさん!ケルビーニの『レザバンセラージュ』。

ハンガリーが誇るピリオド集団、ジェルジュ・ヴァシェジ率いるオルフェオ管の演奏、フランスの新世代、アナイ・コンスタンス(ソプラノ)、パーセル合唱団らの歌で、ケルビーニのオペラ『レザバンセラージュ』。 Bru Zane/BZ1050 フランス革命の前年、1788年、音楽の都、パリへと乗り込んで来たイタリア人、ケルビーニ(1760-1842)。革命の混乱で、巨匠たちがパリから離れると、その穴を埋めるように頭角を現し、時代の気分を汲み取った救出オペラ(横暴な国家権力から愛する人を救

11月18日、17世紀のオペラの集大成?盛期バロックを前にした魅力!パスクィーニの『イダルマ』。

アレッサンドロ・デ・マルキが芸術監督を務めるインスブルック古楽音楽祭、アリアンナ・ヴェンディテッリ(ソプラノ)のタイトルロールで、17世紀、ローマで活躍したパスクィーニのオペラ『イダルマ』。 ベルナルド・パスクィーニ(1637-1710)。 ピサとフィレンツェの中間にある小さな町、マッサ・エ・コッツィーレで生れ、隣町、ウッツァーノで音楽を学び始める。13歳の年、司祭だった叔父に連れられ、教皇領、フェッラーラに移り、才能を開花。16歳の年、かつてルッツァスキ、フレスコバルディ

11月17日、リュリ、死の前年のオペラ『アシスとガラテー』の集大成感と"もののあはれ"?に魅了される。

クリストフ・ルセ率いる、レ・タラン・リリクの演奏、ナミュール室内合唱団、アンブロワジーヌ・ブレ(メッゾ・ソプラノ)、シリル・オヴィティ(テノール)らの歌で、リュリのオペラ『アシスとガラテー』。 1685年、太陽王のお小姓に手を付けるというスキャンダルを起こし(ま、それは切っ掛けに過ぎず、積もりに積もったものが爆発したのだろうけど... )、フランス楽壇を我が物としてきた、おべっかクソ野郎、リュリ(1632-87)の命運もとうとう尽きる。リュリのオペラはヴェルサイユで上演され

11月16日、ロックの『プシュケ』、イギリス・オペラ、黎明期の、思い掛けない盛りだくさんに魅了された!

セバスティアン・ドゥセ率いる、アンサンブル・コレスポンダンス、ルシール・リシャルドー(メッゾ・ソプラノ)、マルク・モイヨン(テノール)ら、実力派歌手が揃っての、ロックのセミ・オペラ『プシュケ』。ドゥセによる完全オペラ化で聴く... 清教徒革命(1649)により破壊(キリスト教原理主義政権は、音楽そのものを否定... )されたイギリスの音楽界が、王政復古(1660)によって息を吹き返す!帰って来た王室は、亡命先(フランス、オランダ、ドイツ、各地を転々とした... )、大陸の最

10月27日、ドゥグーが歌う、シューベルトのアリアにリート... ドイツ・ロマン主義の"夢"の世界をさ迷う...

フランスのバリトン、ステファン・ドゥグーが、ラファエル・ピション率いるフランスのピリオド・アンサンブル、ピグマリオンの伴奏で歌う、シューベルトのリートに、アリアに... "Mein Traum"。 シューベルトの未完のオラトリオ『ラザロ』から、シモンのレチタティーヴォとアリア「私はどこに... 力ある者よ、塵の中に」で始まり、オペラ『アルフォンソとエストレッラ』の合唱にアリア、リストがオーケストレーションした「影法師」、そして、未完成交響曲... なのだけれど、2つの楽章の

10月26日、まさに、グランドなオペラ、『悪魔のロベール』。長大にして、盛りだくさん、19世紀的なるもののが詰まった、テーマパーク!

マルク・ミンコフスキの指揮、ボルドー国立オペラ、ジョン・オズボーン(テノール)のタイトル・ロールで、グランド・オペラの時代の幕を開ける、マイアベーアのオペラ『悪魔のロベール』。 フランス革命?何でしたっけ?と帰ってきた貴族たちによる復古王政が七月革命(1830)により終わり、新たに始まったブルジョワたちによる七月王政(1830-48)... 何と言いますか、成金趣味っぽい似非貴族主義?そんな時代を象徴するのが、グランド・オペラだったか... イタリアのベルカント・オペラがヨ

10月25日、プリマ、ポーリーヌ・ヴィアルドが歌ったアリアの数々... 華やかな19世紀の記憶を呼び覚ます...

フランスのメッゾ・ソプラノ、マリーナ・ヴィオッティが、クリストフ・ルセ率いるレ・タラン・リリクの伴奏で、19世紀を彩ったプリマ、ポーリーヌ・ヴィアルドが歌った魅惑的なアリアの数々を取り上げる、"A TRIBUTE TO PAULINE VIARDOT"。 ポーリーヌ・ガルシア・ヴィアルド(1821-1910)。 父はロッシーニの信頼も厚いスペイン出身のテノール、マヌエル・ガルシア(『セヴィーリャの理髪師』の初演でアルマヴィーヴァ伯爵を歌っている!)で、姉は伝説のプリマ、マリ

10月22日、何と優美な!ラモーがポンパドゥール夫人のために書いた音楽の、まさにロココな魅惑...

ルイ・ノエル・ベスティオン・ド・カンブーラ率いる、アンサンブル・レ・シュルプリーズの歌と演奏で、ラモーのオペラ・バレ『愛の驚き』からプロローグ『アストレの帰還』と、アクト・ド・バレ『レ・シバリテ』を取り上げる、"RAMEAU CHEZ LA POMPADOUR"。 1734年のオペラ・デビュー以来、次々にヒット作を送り出し、パリの音楽シーンを沸かせてきたラモー... その評判は、やがて宮廷にも届き、1745年、王家の婚礼のために2つのオペラをヴェルサイユで上演。王室作曲家の

10月21日、ロココの時代のトラジェディ・リリクに感慨... ラモーの『ゾロアストル』初演版...

アレクシス・コセンコ率いる、レザンバサドゥール-レ・グランデキュリーの演奏、ナミュール室内合唱団、レイナウト・ファン・メヘレン(オートコントル)のタイトル・ロールで、ラモーのオペラ『ゾロアストル』。 1734年、50歳、『イポリートとアリシ』(新たなトラジェディ・リリクとして賛否を呼んだ!)でのオペラ・デビュー以来、オペラ作家として、パリの音楽シーンを沸かせてきたラモー(1683-1764)が、1749年、パリ、オペラ座で初演したトラジェディ・リリク『ゾロアストル』...

10月19日、"ソプラニスタ"、デ・サに驚かされた!そのガチなソプラノに圧倒された!

"ソプラニスタ"、ブルーノ・デ・サが、フランチェスコ・コルティの指揮、イル・ポモ・ドーロの伴奏で、女性が舞台に立てなかった、18世紀、ローマにおける女形(?)に注目するアリア集、"Roma Travestita"。 1587年、ローマ教皇、シクストゥス5世(在位 : 1585-90)は、教皇領内で女性が舞台に立つことを禁じる(プライヴェートな上演は見逃されていた... )。ローマ教会の総本山が支配する地だけに、何かと節制が求められる状況がありました。そうして迎える17世紀、