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10月22日、何と優美な!ラモーがポンパドゥール夫人のために書いた音楽の、まさにロココな魅惑...

ルイ・ノエル・ベスティオン・ド・カンブーラ率いる、アンサンブル・レ・シュルプリーズの歌と演奏で、ラモーのオペラ・バレ『愛の驚き』からプロローグ『アストレの帰還』と、アクト・ド・バレ『レ・シバリテ』を取り上げる、"RAMEAU CHEZ LA POMPADOUR"。

1734年のオペラ・デビュー以来、次々にヒット作を送り出し、パリの音楽シーンを沸かせてきたラモー... その評判は、やがて宮廷にも届き、1745年、王家の婚礼のために2つのオペラをヴェルサイユで上演。王室作曲家の称号をもらい、宮廷でも活躍する。そんな、ラモーの宮廷での仕事... 1748年、ヴェルサイユ宮で上演されたオペラ・バレ『愛の驚き』のプロローグ『アストレの帰還』に、1753年、フォンテーヌブロー宮で上演されたアクト・ド・バレ『レ・シバリテ』。ポンパドゥール夫人(ルイ15世の公妾で、ロココの時代のフランスの芸術、ファッション、文化全般で影響力を発揮し、国際政治も動かした宮廷の実力者... )のために書かれた2作品...

『愛の驚き』は、ポンパドゥール夫人も歌う、宮廷における内輪の出し物的な上演(バレ・ド・クールの伝統は未だ生きていた!)だったとのこと、よって、ユルい... けど、ユルさを優美さに昇華できてしまうのがラモーの凄いところ!いや、このユルいのがロココか... 一方、合唱がしっかりと盛り上げて、宮廷の動員力を思い知る。プロをバックに楽しく歌い踊る、18世紀、ロワイアルの面々... さすが、楽しみ方が違うなと...

18世紀、フランスにおける芸術潮流の潮目、ブフォン論争(1752-54)において、守旧派の権化のように扱われ、槍玉に挙げられてしまったラモーだったが、本来、アンチ・ラモーの百科全書派を支援していたポンパドゥール夫人の擁護を受け(夫人は、ラモーの革新性に気付いていた!)、窮地をなんとか掻い潜る... その只中、書かれた、『レ・シバリテ』。宮廷に守れての宮廷での上演が、ラモーにのびのびとした音楽を書かせたか?思いの外、流麗で、魅惑的!いや、ラモーの魅力、ぎゅっと凝縮!

そんな、劇場ではなく、宮廷でのラモーに注目したベスティオン・ド・カンブーラ+アンサンブル・レ・シュルプリーズ。ロココの時代の宮廷の優雅さをしっかりと響かせて、プロローグに一幕モノと、普段、省みられない、小さな作品を並べながら、ラモーの魅力を存分に引き出す妙!大作では味わえない輝き、たっぷりと味合わせてくる。

さて、ラモーは、ブフォン論争から3年後の1757年、パリ、オペラ座で、オペラ・バレ『愛の驚き』を上演。その際、プロローグ(オーストリア継承戦争を終結させたアーヘンの和約を記念しての機会音楽だったため... ちなみに、ヘンデルは、アーヘンの和約を祝して、王宮の花火の音楽を書いている!)をカット、第2アントレは『レ・シバリテ』に置き換えている。という『愛の驚き』は革命前まで、アントレを入れ替えつつ、度々、リヴァイヴァルされたとのこと...


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