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12月5日、ナポリ楽派とロッシーニの間を埋めるマイールの、けして侮れない、充実の『アルフレード大王』!

フランツ・ハウク率いるコンチェルト・デ・バッススの演奏、マリー・ルイーズ・ドレッセン(メッゾ・ソプラノ)のタイトルロールで、マイールのオペラ『アルフレード大王』。
NAXOS/8.660483

ジモン・マイール(1763-1845)。
ドイツ、バイエルンの小さな町、メンドルフに生れ、オルガニストだった父から音楽を学び始めるマイール。その後、最寄りの大きな街、インゴルシュタットに出て、1774年、イエズス会の学校へ入り、1781年には、インゴルシュタット大学に進み、神学、法学などを学ぶ。そこの教会法の先生がイルミナティの創設者、ヴァイスハウプト!で、イルミナティに入会... そこから、イルミナティの有力者、バッスス男爵の支援を受け、1786年、イタリアへ渡るマイール!ベルガモ、ヴェネツィアで研鑽を積み、1794年、ヴェネツィア、フェニーチェ劇場でオペラ作家デビューを果たし、1796年、オペラ2作目となる『ロドイスカ』が大成功!以後、ロッシーニが寵児となる1810年代までの短い期間、イタリア・オペラを席巻した。

というマイールの1819年に初演された『アルフレード大王』。統一される前の中世のイングランドを舞台に、デーン人の侵攻を受け、吟遊詩人として身を隠しているウェセックス王、アルフレードと、その恋人、アルスヴィータの恋の行方を描くオペラ・セリア... それまで、ヴェネツィアやミラノを中心にオペラを上演してきたマイールだったが、ロッシーニ旋風に押され、都落ち?1802年来、拠点としていたベルガモで初演。オペラ作家として人気に翳りを見せていた頃の作品となる。のだけれども...

『アルフレード大王』の後、マイールが完成させたオペラは2つしかない。つまり、『アルフレード大王』は、オペラ作家、マイールとしての最晩年の作品。だからか、それまでのイタリア・オペラを担ってきた自負と成熟、しっかりと感じられ... 18世紀のオペラ・セリアの枠組みを踏襲しつつ、すでにブレイクしていた超新星、ロッシーニを思わせる軽やかさ、メロディックさも貪欲に取り込み、確かな聴き応えを生む!過渡期の徒花、どこかチープなイメージもあるマイールだけれど、侮れない!

そんな、充実の『アルフレード大王』を聴かせてくれた、マイール・ルネサンスの立役者、ハウク+コンチェルト・デ・バッスス!そのパフォーマンス、ますます堂に入っていて、マイールのオペラの到達点をしっかり鳴らしてくる!てか、マイールのイメージが変わるほどの充実感、見事。で、アルフレードを歌うドレッセン(メッゾ・ソプラノ)の麗しく花々しい歌声がすばらしく、魅了された!


さて、オペラ作家として花々しく活躍したマイールだったが、本来の仕事はベルガモの大聖堂の楽長... オペラ作家としての活動に区切りを付けた後には、教会音楽に専念している。また、ベルガモでは教育にも力を入れ... ヴェネツィアのオスペダーレ(孤児院)の付属音楽院のような、貧しいこどもたちのための音楽学校をベルガモに設立(1806)している。
で、そこから輩出された逸材が、後のベルカント・オペラの大家、ドニゼッティ(1797-1848)!

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