海外留学が延期に。空白期間で飛び込んだ島体験は、自分が変わるきっかけになった。
これまで、自分が島に行くなんて思ってもみなかった。
ある日突然、夏まで延期になってしまった海外留学。
渡航までの空白期間を、どう過ごそう?
友人のひとことがきっかけで思い切って参画した大人の島体験で、彼女のなかに生まれた変化とは。
R6年度大人の島体験生4‐6月生として海士町に来島。中島未琴さんにお話しを伺いました。
きっかけは友人のひとことだった。島に行くなら、今しかない。
正直、島に来たのは本当に成り行きでした。
実はもともと、4月から10月の期間でカナダ留学に行く予定で。
しかし――
「よし、必要なものは全部揃った。これで本格的にカナダへ行ける!」
そう思った矢先、
急遽学生ビザの関係で渡航日が延長になってしまい、予定通りに出発できなくなってしまったんです。
これまでの大学3年間は、挫折を経験しながらも諦めず、いつしか部活が自分にとってかけがえのない存在になるほどチアリーディングに熱中。
そして4年生になった今、もともと自分の通っている大学は海外留学に行く学生が多いところで、周りを見渡せば、早くもいろんな国や地域へ飛び立っていく同期たち。
留学の開始日が伸びてしまった真っ只中、自分だけ一人東京にいて、何も新しいことを始めることができていないことに焦りを感じました。
今すぐに留学ができない。
自分だけがなにも動き出せていない。
ただただ、悔しくて。悲しくて。
そんなとき、
「じゃあ、みことも一緒に島に行こう」
大学の同期で、大人の島体験に行くことが決まっていた仲の良い友人が、こんなことばをかけてくれたんです。
大学の部活の先輩が過去に大人の島留学に参加していたことがあって、「大人の島留学」や「隠岐の島」の名前を聞いたことはあったものの、海士町がどんな場所なのかは全く想像がついていませんでした。
でも、こうやって島に誘ってくれる友人ってなかなかいないし、その子が行くってことはきっと、おもしろい場所なんだろうな。
それに、島に行けるこのタイミングは今しかない。
8月にカナダに飛び立つまでの期間で何をしようか――
目の前に残った選択肢は、「島に行く」。
ただその一択だけでした。
実際に島に来てみると、地域の人との距離が近いことが新鮮で。
小学校の頃から電車通学で、大学に進学後は実家を離れて東京でひとり暮らし。なんだかんだ、自分はこれまで地元の地域との特別なつながりは全然なかったんです。
一方島では、地域の方が農作業を手伝わせてくださったり、手づくりの料理をふるまってくださったり。シェアハウスの2軒ぐらい先に住む方は毎日にこにこしながら挨拶をしてくださって、とてもうれしかったです。
英語が活かせる環境。自分だったからこそできたこと。
大人の島留学のホームページを見ていたら、事業所一覧の一番上にちょうどみつけた「TADAYOI」。
もともと人と話すのが好きで接客にはなんとなく興味があったので、
「ここで働いてみたい!」
と思いました。
グランピング施設が大きなドーム型であること、それから毎日きれいな海の景色を見ながら働けることにも惹かれましたね(笑)
働いてみると、仕事で来られる方や家族連れで来られる方だけでなく、インバウンドで来られる方もいて。
もともと私は、1歳から9歳まではアメリカで暮らしていました。自分の得意な英語を活かして、外国から来た方の案内を任せてもらえるのはすごく楽しかったです。
あるインバウンドのお客さんは、海士町に滞在中に船が欠航になるほどの悪天候に見舞われたことがありました。
このままだと、翌日に乗る予定の船も動かないかもしれない。
そうなったらどこに泊まればいいんだろう…
先が読めない中で不安そうなそのお客さんに、英語でいろいろと相談に応じました。
その翌日。相変わらずの悪天候で延泊することが決まったとき、その方は再びTADAYOIに泊まってくださることに。
「ことばが通じるあなたがいたから、スムーズに会話ができたし、安心した。」
お客さんがかけてくださったひとことで、
英語を活かして自分が誰かの役に立てたのだと、ちいさく心のなかでよろこびを噛みしめました。
スタッフの方からのひとことが、自分を変えた。
アウトプットのハードルが下がったこと、
島で働くなかで自分がおおきく変わったところはこれかなと思います。
通常の業務以外に、
自分から「やりたい!」と言って取り組んだことがあって。
インバウンドの方向けに、施設案内やごみ箱のラベル、メニュー表などを一から英語で表記させてもらいました。
私が来たときには、施設にあるものは日本語の情報ばかり。
日本語が読めなくて「わかる」情報量に圧倒的な差があると、
自分だったらさびしいなって思ったんです。
実際、1歳のころからアメリカで生活をしていた状態ではじめて日本に帰国したとき、文化の違いに戸惑ってすごくつらかった時期が自分にはあったから。
まずはごみ箱のラベルから、
「英語でも表記するのどうですか?」
ってすこし緊張しながらもスタッフの方に伝えてみたら、
「確かに。ぜったい必要だよね!」
って肯定的な反応をいただけて。
その後も、
「テプラ―の使い方知ってる?もう作って貼ってきていいよ!」
とまで言っていただけて、
英語表記のラベルを貼らせてもらうことができました。
仕事をはじめてまだ2日目が経ったぐらいのできごとでしたが、
提案したらまずはしっかり耳を傾けていただけた。
自分にとって、最初の一歩でしたね。
ここでなら、なんでもできそうかも――
これまで、
「みことはいつもいろいろ考えているから、たくさんインプットができる人だけど、その割にアウトプット少なくない?」
大学の部活の先輩から言われたこのことばがきっかけで、アウトプットできないことがずっとコンプレックスだったんです。
でもある日、TADAYOIのスタッフの方にそのことを話して、あることに気づいたんです。
自分でなにかを発信して、誰かからフィードバックをもらう。
自分が想像していたアウトプットのカタチは、いつも、漠然と大きなものだった。だけど本当は、
アウトプットのカタチは一つではない。
スタッフの方がかけてくださって、忘れないうちにメモしたこのことば。
すとんっ。
自分の中でなにかがしっくり来て、
今まで高かったアウトプットのハードルが、ぐんと下がっていきました。
それ以降、働くなかで、
「もっとこうした方がいいんじゃないか?」
と思ったら、自分から積極的に提案できるようになって。
施設の案内やメニュー表なども、
インバウンドのお客さんの立場に立ちながら、なるべく自然で、細かく、わかりやすい英語の情報へと書き変えていきました。
自分=英語にしたくない。自分の強みってなんだろう?
毎回、なにか自分からやってみる度に、スタッフの方もとても丁寧にフィードバックをしてくださいました。
「自分は英語ができたからこの取り組みができたけど、自分=英語になりたくない。英語はあくまでツールで、本当はそれよりも前に出てくるものがほしいんです。」
あるときの面談でこんなことを打ち明けてみたら、
「英語のラベルづくりも、施設案内づくりも、それは英語ができるからできたことじゃなくて、あなた自身が、よく見て、よく気付ける人だからできたことなんだよ。」
って言っていただいたことが印象的で。
正直、これまで自分だけの「強み」がよくわからなかった。
自分はいつも「英語できるよね」で終わり。
一方でみんなは言語以外の個性があって、それを「いいね!」って認めてもらえる。
英語という手段ではなく、その人自身の中身を評価してもらえることが羨ましかったんです。
英語を自分の武器と言うことに対して、ずっと葛藤がありました。
だから、スタッフの方にそうやって自分の中身を見てもらえたことは、純粋にとてもうれしかったですね。
「あ、自分ってこういう人なんだ」って。
これから先のことを考えたときも、
やっぱり自分は、英語はあくまで「手段」にとどめておきたくて。
英語が自分の「主語」、一番の「個性」にしたくない。
今の自分は、「地方ではたらく」という選択肢も知っている。
新卒は東京で過ごすのが1番チャンスをつかめるのかなと自分は思っているので、カナダ留学が終わった来年は大学にそのまま復学するし、
卒業後は東京で働こうと思っています。
でも、今の自分は、
「場所を変える」
「地方に出る」
という選択肢も知っている。
もし東京で働く環境が自分には合わないなって思ったら、
そういう選択肢をとればいいって思います。
海外留学が延長になったときは、
「どうしよう…」って一時期すごくつらかった。
でも、それがあったから巡り会えた、大人の島体験。そして海士町。
本土から離れて、3か月間ちいさな島で過ごしてみる。
ここでの経験は、自分の人生にとってかなり大きかったですね。
(R6年度大人の島留学生:髙橋)
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