見出し画像

「休学して3ヶ月島体験」のつもりが9ヶ月目突入。それは、この島にいたい理由があるから。

大学4年で休学、就活をストップして飛び込んだ大人の島体験。島体験を終え、インターンシップとして島に残った理由、これからの未来とは?


島根県の離島、隠岐島前地域で大人の島留学・島体験に参画した皆さんの来島前・来島後、そしてこれからについてお届けする「私、島で働く。」
その卒業生版、番外編となる「卒業生は、今。」

来島のきっかけから島での仕事・暮らし、自分自身の変化。そしてこれからを思い描く未来とは。
1人1人のストーリーをお届けしています。


木村さん 取材当時22歳
青森県出身 2022年度10月生大人の島体験として来島


今回はR4年度島体験10月−12月生として海士町に来島。
その後3ヶ月の延長を経て、今年度の4月から島前ふるさと魅力化財団のインターンシップとして働いている木村日呂乃さんにインタビュー。

島体験を終えた今だから思うこと、そしてこれからのことや、今までのこと。
たっぷりと聞かせていただきました。


就活を一旦休憩。何かチャレンジできるところを探していた。

出身は青森県弘前市、3人きょうだいの長女で高校までは青森で暮らしていました。
大学は京都の大学へ。経済学部に在籍し、京都暮らしを満喫していました。

お気に入りの散歩コース、鴨川

大学4年の4月から就活を始めて。地域創生やまちづくり、地方を盛り上げていこう!という雰囲気の企業に入りたいと思っていました。ただ、就活を続けていく中でしっくりくる感覚があまりなく…
「大学時代に自分はこれを頑張りました!」胸を張って言えるようなこともなくて。

あまりモチベーションも上がらず「いったん、休学してみようかな。」と、大学と就活を休憩をすることに決めました。
休学をして何かにチャレンジしてみたいと思っていた矢先、Instagramで島体験という言葉が目に留まりました。


「3ヶ月、島で働いて暮らしませんか?」
という言葉を見て。とにかく環境を変えたかったし、制度の待遇も良くて、これは行かない理由はないなと。
休学している期間飛び込んでみて、3ヶ月終わったら帰ろうと決めていました。
気がつけば島体験を3ヶ月延長、4月からは大人の島留学を運営している島前ふるさと魅力化財団のインターンとして働きはじめ、島生活9ヶ月目を迎えています。


「なんでもやります!」と飛び込んだ島でリアルを見れる仕事。

島体験として来島して、仕事を決めるとなった時、特にコレといってやりたいことはなくって。
ただ、将来は青森に帰りたい、地方創生に興味がある、島のリアルも見たい、ということを伝えました。
そんな中、島前ふるさと魅力化財団(以下財団)で「島前地域3島の現場に行ったり、大人の島留学の運営事務局として運営に携わる働き方があるよ」と紹介してもらい、ここで挑戦してみよう!と決めました。

季節的に西ノ島には行けなかったのですが…
海士町ではCAS工場でシマメの漬け丼・アジフライいわがき春香などの地元の食材を加工する作業をしたり、
知夫里島では教育委員会で知夫の子どもの島留学の広報をお手伝いをしていました。

ケチャップ詰めてます

CASでは働いている地元の方と話したり、島の昔の話を聞いたり…実際に現場に出て知ることも多く、とても楽しかったです。


3ヶ月の島体験終了。その後の仕事は…世界が変わった。

ちょうど私が来島した10月頃から、財団として大人の島留学の対面イベントなどが増えてきていて。
それに同行したりしている中で、3か月の島体験が終了して、延長した1月からは財団の企画や広報として仕事をすることになりました。

イベントの様子

最初の3ヶ月とその後からは、仕事の内容も見え方もガラッと変わり…1−3月は結構自分的にも大変な時期でしたね。

1月からはイベントの企画から運営までを担当することになりました。やったことのないことをやる、イベントの集客をする必要がある。分からないことだらけでした…
でもそんなこと言っている間もなく、いろんな仕事がどっと押し寄せてきて。
イベントの行程も作れていない、頼ることのできる人脈もない、どうしようもない状況でした。

この時は誰かが助けてくれるだろう、という気持ちが少しあって。でもそれではダメだと思いました。
この時に「自分が動き出さないと何も進まないんだ、やるしかないんだ」と覚醒しました。

そこから自分から動き出し、なんとかイベントを遂行することができました。参加人数など目標には達せない部分もありましたが、上司から「頑張ったね」という言葉をもらうことができて。

その一言に救われました。


辛い時期を乗り越えた今、「任せてもらえる環境」がありがたい

本当に大変な時期だったけど、その経験が自分的にはとても大きかったです。
自分に任せてもらえる環境ってなかなかない。やらなかったら、多分何もやらずに終わってしまう。

自分でやらなければいけない、動き出さなければいけないんだと気づかせてくれる場所ってほかにあるのかな?と思った時、まだここに残り続けたいと思いました。大学生だからね、とかそういう括りもない。誰にでも対等に接してくれる環境がある、成長するにはここにいるべきだと思いました。

おかげでメンタルも鍛えられました(笑)

ロックンショコラパフェが美味しい


広報として「大人の島留学」のありのままを届けたい

今年の4月からは大人の島留学の広報を担当するようになりました。説明会を行なってSNSで発信をして。
仕事を始めて時間も経ったので、対面の説明会で会った人たちが実際に島留学生として来島したりもしています。今年度も何人かいて、お互い話したことしっかり覚えているんですよ。
本当に来てくれた人たちが働いている姿を見て、カッコいいなって思います。

海士町種苗センターにて働く島留学生を取材

それと同時に自分が人の人生にとって重大なことをしているんだと、この仕事を大切にしていきたいなとも思います。
自分が大人の島留学・島体験に参画した立場として、実際にいい制度だと体験して思ったからこそ、島のありのままを届けていきたいと思っています。
それを見て、島前地域に来てくれる人がいてくれるのなら幸せです。


自分の想像を超えた自分になれる気がして

海士町で働いている人たちを見て「ここまで頑張っている地域って、ここまで盛り上がってる地域ってほかにある?」って思うことが多くて。やっぱりすごい町だなって思います。
地域のことを思って色々仕掛けて、考えて実際に行動する姿を見るたびについていきたいなぁ、すごいなぁって。

東京で働く普通の生活ってなんとなくイメージできるけど、島で働く生活ってなかなかイメージできない。
この島体験というものに出会って、その世界に飛び込んだらどうなるんだろう?ってワクワクしたし、今もワクワクしています。そしてさらに挑戦していきたいと思っています。

あと、ここに来てからコミュニケーション能力がつきました。
今までは割と人見知りだったのですが、ここではそんなこと通用しない。地域の人と話すようになって、仕事でも自分から話しかけに行こうと思えるようになりました。

海士町という場所で、
ここいる周りの人たちと一緒に何かを頑張ったら、自分の想像を超えた自分になるような気がしているんです。


将来は青森に戻って、地域を盛り上げていきたい

9月からは大学に復学する予定です。
大学卒業したあと、次の4月にはまた海士町へ戻ってきて、修行したいと思っています。

将来的には生まれ故郷の青森・弘前市に戻って、地域を盛り上げるために、自分も何かしたいと考えています。
実家が自営業なので、お店がある地域を盛り上げて還元していきたいです。
地域で何かをするという意味では、海士町での経験を活かしていけるのではないかなと思っています。

青森に帰ったとき、青森を盛り上げることができるくらい、海士町で力をつけていきたい!と思っています。

でもまずは目の前のことを頑張ろう、と思ってます。

今は未来に、ワクワクしています。


▼島に来て、変わる思い。これからが楽しみで仕方がない。

島体験を終え、インターンとして海士町に残った木村さん。
大変な時期もあったけれど、それでもここに残りたいと思えたのは「この人たちについていきたい」という思いがあったから。

人生において尊敬できる人たちと出会えるのって、すごい確率です。
しかも離島で。

そんな奇跡が起こるのも、
大人の島留学・島体験に参画する勇気があったからこそ。

その一歩、踏み出してみませんか?


(R5年度 島留学生:柿添)


LINKS


この記事が参加している募集

この経験に学べ

旅の準備

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?