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視覚に囁く『小ご絵』

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いつも大きくて立派な扉ばかり見せられてきたように思う。 深く考えることなく、大きくて立派な扉ばかり追いかけてきたように思う。 だけどいつもうまく開けられるわけじゃない。 ある… もっと読む
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2022年6月の記事一覧

セミの憂鬱。

 セミは困っている。梅雨の間、水分を吸い上げる樹木から樹液をたっぷり吸い取って、せっかく…

疲弊の2年? いや、これからが本番さ。

(口にはしないよ、本音は。口が裂けても言わない。  まさかこの2年、オカミがボランティア…

「気持ちいい」は譲れない。

 気持ちいいって感じる瞬間の幸せ。とろけたら最後、癖になる。夢中になる。もっと、となる。…

井の中のワカズ(話数)。

 僕のそばにはいつだって井の中の蛙がいた。つまり蛙と一緒に井戸の底にいるということだ。 …

寂のち騒。

 林立する戸建てと、たまに巨木のビルディング。都市の早朝、住宅地はときに街の森となる。行…

光陰矢の今年。

 去年と今年をつなぎ留めていた冬が終わり春が来て、梅雨空の切れ目から夏が這い出そうとして…

慎重になる時、ならぬ時。

 人生、着手する物事に、慎重にせねばならぬ時と、気分にまかせる時とがある。そのふたつには明確な区切りがあって、今日はそのお考察路地に迷い込んでみた。  たとえば、のったりべったり、地に足をつけるわけではなく怠惰に重い足を引きずるような散歩の道すがら、ブランコの揺れる公園が現れたとする。  すでにブランコはもぬけの殻。  ブランコ乗りたい! と衝動にかられるかも知れない。  気分が盛り上がればブランコに乗ればよし。これは気分まかせの選択。  そのブランコに揺られていると、隣

仮想拡張解釈。

 なぜ渡らないんです? こころの声で、信号待ちの老人とその娘らしき二人連れに訊いてみた。…

一八十八九。

 夢の実現はゴールだ、到達点だ。どんな小さな夢でも、描いた夢が実現するとひとつのゴールを…

夕闇前の薄暮に沈んだ日。

 微かに明るさを残すかなり傾いた夕暮れに、仕事、終わる。もう少し早く終わっていれば、だい…

雷鳴のち夏。

 何が癇に障ったのだろう。雷が遠くで地団駄を踏んでいる。  積み上げてきた知識に頼らずと…

叶えぬ夢。

 夢を見た。黒澤明作品の続きだった。俺以外に観たものはいない。幻の1編だ。  月のヤツ、…

誰?

 いつだって君らの種族は「誰?」って顔をする。突然、現れたのはそっちだっていうのにさ。「…

ふぁんたじぃマインド。

 小さい頃は神様がいて、不思議と夢を叶えてくれた、と大人のユーミンは歌う。  大人になると神様はいなくなって、他力本願では立ち行かなくなることを知る、と歌っていることでもある。  だけど、歌っていることは真実ではない。大人になると神様がいなくなるのではない。見なくなるのだ。意識的に。    どれだけ現実的で堅実に生きていても神頼みはするし、運を天に任せることだってする。大人たちに意識されなくなっても、神様は大忙しなのさ。    知ったかぶった人たちは「たまに童心に戻るのもいい