音邑音音 (おとむら ねおん)otomura neon
いつも大きくて立派な扉ばかり見せられてきたように思う。 深く考えることなく、大きくて立派な扉ばかり追いかけてきたように思う。 だけどいつもうまく開けられるわけじゃない。 ある日、見立たぬ物陰の通用門に気づく。 扉は軽く、ふれただけで開く。 その先に同じものがあるかどうかはわからない。 だけど、中には入れる。 あと戻りもできるから、試しに入ってみたら……。 そんな思いで描いた「絵のことば」。
楽譜を図解で理解する、楽譜を読むのが苦手な方のためのピアノ・レッスンです。 独学でも「必ず弾ける!」ようになります。 敷居の低いピアノで、あなたもピアノを弾いてみませんか?
【更新情報】2021年9月6日、第2刷をリリース。 お買い求めいただいた方は第2刷にバージョンアップしていただけます。 これに伴い、第1刷の販売は終了いたしました。 函館に旅をするためのものではありません。 函館の景色に、人に、出来事に、心がかすめたことがある方にこびりついた思いの軌跡、そんなはがすにはがせない瘡蓋みたいな燻りを、遠くに置き去りにしてきたみたいになっている思い出を、掘り起こし、今いちど手のひらに広げてみて、愛で、味わってもらえたらいいなあ、という思い
毎日、寝て食って、ばかりじゃ飽き足らなくなって。 飼い主が旅行のGW中、ふらふら放浪してたら海に出た。 釣り人がいて、釣りを教わった。 おもしろいね、釣り。 だって一石二鳥なんだもの。 しばらくは家に帰れそうにない。 飼い主には悪いが、気ままがおいらの悪い癖。飽きるまでここにいるよ。
北上した桜前線は日本を抜けて、代わって入道雲前線が日本列島を覆いそうな気配だよ。なんでも今年は去年以上の酷暑になるとの予報が出たね。晴れちゃほしいが曇れば少しはマシになるーーならば今夏は曇り空一辺倒でお願いしまっす、てな気分になる。 去年の夏はそりゃもうたいへんだったもの。 それでも人の気持ちは噂と同じで七十五日、喉元過ぎれば去年の暑さだって、忘れちゃいないが薄らいでる。やっぱり夏は、スカッと晴れでジリジリ熱くなくっちゃね。 長引いてほしくはないけれど、夏は夏らし
とうとうここまできたか。人と猫との逆転劇。 シモベに追いやられた人類は、もはや飼い猫に頭が上がらなくなっている⁉︎ 「ただいま。あ〜、楽しかった。 ちゃんとハワイ土産、サンゴの海で獲ってきたからね。 それから、ゴールデンウィークの後半は家でゴロゴロするつもりだから、三度のごはん、よろしく。 何はともあれ、旅行中の留守番、ご苦労さま」
納豆とトースト。納豆とカレー。この組み合わせ、個人的にはありえない。先入観が食わず嫌いを貫けと主張する。 でもさあ、狭視眼的視野は井の中の蛙になりかねない。納豆の大豆はメキシコでは塩で味つけされトルティーヤで巻かれることを思えば、粉系発酵加工品やお米と合わせてもあながち誤答とは言えなくなるんだよなあ。 慣れ親しんだ味は速度を上げた車同様、おいそれと止められない。惰性は慣性で、勢いが傍流を力づくで押し流す。 発酵食品ととらえれば、納豆はチーズの仲間。チーズとくればト
お米は炊き上がると美味しくするためにシャモジを入れる。「おいしくなあれ」とわっしょいわっしょい。ひと混ぜふた混ぜ、「もっと美味しくなあれ」と三混ぜ、四混ぜ。ほどよく空気を含んだら、ぎゅうぎゅうだった炊き立てが、上出来ふっくらご飯になって、目を見つめ合いながあ湯気のなか喜ぶ。腕のいい寿司職人だって握るシャリに空気を入れてお寿司を完成させるというじゃないか。ほどよい空気との共演は美味しいご飯の必需品、切っても切れない縁で結ばれている。 なのに世に蔓延るおにぎりときたら。 き
楽しさに浮かれスキップを踏むように進んだ円安に、突如激震が走った。1日に3円値を下げた円が、一気に5円高くなった。 時はゴールデンウィークに突入した直後。「まさかね」の疑問が激震を追う。パパラッチが妃を追跡したみたいにして。 まさかね。 「いやあ、姪っ子がハワイに旅行に出たものだから、気を利かせてささやかなプレゼントをだね……」 なんてことではないでしょね? 「マスコミにはノーコメントで」 介入は秘密。その秘密で蓋をした内側に、庶民に知らてならぬ
やれカード決済の不具合だ、未払いあるぞ、還付金ほしかないか? 果てはメールを乗っ取ったぜ、このままでは社会の生命線が断たれるぞ、それが嫌なら金を出せと脅してくる汚物以下の見下げたやり口。はたまたちゃっかりIDとパスワードを盗み取ってやろう、あわよくが架空の請求にうっかり振り込み狙う、下衆な詐欺メールがここ最近増加傾向にあるように思えてならない。 そんな軽薄な罠に軽率にはまってなるものか。汗水垂らして稼いだお金、間違っても横取りされてなるものか。かくなるうえはこっちにも覚
ハワイが人気。 円が弱くても、殺到しているね。 今年のGWは抑圧が長期だったから、ハジけ具合に弾みがついてる。 気持ちはハジけたくても、くすぶってしまうこともあるにはあるよね。 そうした時は小出しにするといいよ。溜めると体に毒だもの。 近場でも外食でも、好きなところへ行ってくりゃいいじゃない。 おいらかい? 混んでるところにわざわざ行きたかないね。おいらにとっての幸せベスト3は、寝ること、いい夢、いいごはん。我が家で完結できるささやかな願望だい。家族が出か
ジェンダー平等は、女性らしさを不定する。慣用的な男尊女卑を糾弾する。 それって、女が男に近づき、男が女寄りに変異することを推進しようとする試み? 子孫へのバトンを繋ぐ役割以外はすべて対等になれって言っているのかな? ふうん。 恋愛観が異性に対してばかりではなく、人柄や嗜好に幅を広げていった背景って、こんなところにあるのかもしれないね。認識面を含めてね。 そもそも昨今では恋愛自体の勢いが衰えを見せている。染色体の違いが生むときめきは、明確な性差を意識することでス
ーーカヌレが来ますね。ーー ーートゥンカロンが人気です。ーー テレビやネットで、灯された火種が風を受けて広がっていく。円安にしても、専門家が「しばらく続きそうですね」と発言すれば、行きもしない海外旅行に「しばらくは行けないなあ」と落胆色が広がっていく。 潮流は作られている。 さも世間が流行に染まってしまうように報道は導く。ブランドは戦略によって仕掛けられたものでしかないのにね。 かつてルーズソックス広がったし、ヴィトンは今でも人気だ。潮流には短期もあれ
椎名林檎の曲目を華麗な指さばきで演奏しきるガタイのいい男がいる。パッペルベルのカノンを1音ずつ愛おしむように追う老婆がいる。ストリートピアノは、人生を聴き入る、生きる道行きの休息地。生き急ぐ人は足を止め、立ち席は見る間に埋まっていく。聴衆の顔は演奏が始まると不意に現れいでた夢心地の繭に包まれ、コンサートホールの客席についたように穏やかになる。 ひとつの人生のかけらが奏で終わると、次の人生のかけらが音で語られていく。 華奢で背の高い女が額に落ちた黒髪をかきあげ、椅子に座
「少し甘やかしすぎたようだ。 今ではわがままし放題、好き勝手いい放題。 昨今は人間さまがが粗食に耐えている」 いや、猫のしもべはしもべで、ちゃっかり恩恵にあずかる人も。Youtubeで人気を博せば、飼い猫に養ってもらえる時代になったんだもの。 今どきの猫はネズミを獲らずに人気取り。 かくして人類のシモベ化が加速する。 『最近、甘やかしすぎかなと思ってる。 昨今の人間ときたら、仕事に行かずにビデオを撮ってるだけだもん。 世の飼い主さんたち、次々と会社を辞め
墓参りで足を運んだのに、あなたは「私はここにはいません」と言う。死人のくせにどの口をもっていけしゃあしゃあとそんなこと。 考えてみれば、たしかにあなたの言っていることは正論よ。肉体から抜け出た魂は、焼かれて残った骨に依存しない。せっかく自由の魂になったのだから、わざわざ墓石の下の骨壷の窮屈な居室にじめじめ惨めに籠っている意味なんてないものね。 あたしゃ元から仏教の信徒じゃないから説法は馬の耳で聞き流すし、期待を空まわりさせる輪廻も信じない。ファンタジーにもすがらない
進撃する巨人の侵入を防ぐための壁じゃない。脱走兵が見上げる未踏のハードルでもない。社会には、秩序を守る壁がある。そしてその壁は社会を牛耳る誰かにとって都合のいい壁である。 無知は幸せだけれども愚かで、呑気に壁を防御の要とハナクソを丸めながら惚けるだけだが、知恵足らずの穏健派をよそに危機感を募らせる火種がひとつ人知れぬ闇に灯った。 社会に流されるまま生きる被操作者は、支配者の存在に気づくことはない。マリオネットのごとく、縦糸の上げ下げに健気にしたがい、踊る阿呆の滑稽譚。
「猫の手も借りたい猫の手は、痒いところに届かない手だけど、それでもかまいませんか? 痒いところに届くのは、手じゃなく足なんですけど。 猫の足でよろしければ、貸しましょか?」 狐につままれたような、とは聞くけれど、猫につままれるような出来事に出会うとは思ってもみなかった。 猫が賢くなったのか、人がおばかになったのか。それもこれも、逃れられない壁に囲われているせい。みんな庇護のバリアに守られていると信じきっているからなんだね。 海の向こうで始まった戦争の業火は、す