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魔法少女の系譜、その133~『未来からの挑戦』と先行作品~


 今回も、前回に続き、『未来からの挑戦』を取り上げます。

 前回のあらすじを読んでいただけばわかるとおり、『未来からの挑戦』は、わりと凝った筋立てです。しかも、「学校」と「塾」という場が、効果的に使われています。
 これらの点を考えると、『未来からの挑戦』は、伝統的な口承文芸の域を越えています。

 「学校」や「塾」が登場したのは、歴史的には、新しいことです。しかも、「普通の家庭の子」が、学校や塾に、普通に行けるようになったのは、ごく最近のことです。口承文芸の中に、効果的に組み入れられるほどの時間は、まだ経っていないと言えます。
 二〇二〇年現在でもそうですのに、まして、一九七〇年代では、もっと、そうでした。特に、「塾」は、「最近、増えてきたねえ」と、大人が思うものだったでしょう。

 現代の口承文芸である都市伝説の中では、「学校」は、大活躍です。
 とはいえ、実際に学校にいる子供たちが伝える「学校の怪談」―都市伝説の一分野ですね―は、素朴な話が多いです。いかにも子供の発想らしいです。『未来からの挑戦』のような、よく練られた筋立ては、望むべくもありません。

 『未来からの挑戦』が放映された昭和五十二年(一九七七年)頃には、多くのテレビドラマや、少年少女向けの娯楽作品は、すでに、口承文芸の域を越えていました。

 伝統的な口承文芸よりも、直近のテレビドラマなどの作品に、『未来からの挑戦』は、影響を受けています。
 『未来からの挑戦』では、何と言っても、悪役の高見沢みちるの印象が、鮮烈です。「悪の超能力少女」の強烈な印象を、視聴者に植えつけました。
 「悪の超能力少女」といえば、同じNHK少年ドラマシリーズに、先行する例がありましたね? 『明日への追跡』の浦川礼子です。
 『明日への追跡』は、『未来からの挑戦』の一年前、昭和五十一年(一九七六年)に放映されました。正確には、『明日への追跡』が五月に放映されて、『未来からの挑戦』が、翌年の一月から二月に放映されました。七か月しか、間が空いていません。

 『明日への追跡』では、浦川礼子に超能力があることがわかるのは、物語の後半になってからです。彼女が「宇宙人に憑依されている」ために、超能力を持ったことがわかるのは、終盤です。
 それまで、礼子には、数々の謎がありますが、終盤にならないと、それらの謎は、解かれません。主人公たちは、訳がわからないまま、礼子の不思議な行動に、翻弄されます。

 それに対して、『未来からの挑戦』の高見沢みちるは、物語の前半から、超能力があることが明らかにされます。他人の心に、恐るべき精神攻撃をかけることによって、他人の行動を操ってしまいます。

 訳がわからないまま、不気味さが募るのも恐ろしいですが、「相手に超能力がある」とわかっているのに、逆らえないのも、恐ろしいですね。

 高見沢みちるが、悪役として、浦川礼子以上に手ごわいのは、集団戦を仕掛けてくるからです。同じ英光塾に通う仲間がいて、彼らが、生徒会役員になり、パトロール委員会を作り、学校中の生徒どころか、教師たちまで、支配下に置いてしまいます。
 パトロール委員たちは、そろいの白いTシャツを着て、軍隊のように歩調をそろえて、ざっざっざっと、校内を巡回します。視覚的に、とても威圧感があります。

 『未来からの挑戦』の主人公の関耕児にも、幸いにして、仲間がいます。楠本和美や吉田一郎らのクラスメイトです。最初は高見沢みちるの側だった飛鳥清明や西沢杏子も、終盤には、耕児の味方になります。

 『明日への追跡』では、おおむね個人プレー、もしくは、主人公の落合基【おちあい もとい】と友人の椿芙由子【つばき ふゆこ】との二人プレーでした。それが、『未来からの挑戦』では、集団対集団になります。
 関わる人数を増やせば、それだけバリエーションが増えて、面白くしやすいですね。その代わり、登場人物たちの性質をきちんと把握して、動かさなければなりません。難易度は、上がります。
 『明日への追跡』から七か月が経って、NHK少年ドラマシリーズは、より難易度の高いものに挑戦したのでしょう。その賭けは、吉と出ました(^^)

 『未来からの挑戦』で印象的なのは、「学校の中にファシズムがはびこる」というモチーフですね。高見沢みちるとパトロール委員会の威圧感が、象徴的です。
 このモチーフは、『未来からの挑戦』より、何年も前に、少年少女向け娯楽作品の中に、現われています。

 『未来からの挑戦』より前に、「学園ファシズム」が登場する有名な作品としては、『愛と誠』、および、『男組』があります。どちらも、少年漫画です。

 『愛と誠』は、一九七〇年代の日本に、大ブームを巻き起こした作品でした。何度も、実写映画化されています。原作:梶原一騎【かじわら いっき】、作画:ながやす巧で、『週刊少年マガジン』に連載されました。
 伝説的な漫画原作者である梶原一騎さんの、伝説的な名作です。昭和四十八年(一九七三年)に連載が始まり、昭和五十一年(一九七六年)まで続きました。

 『愛と誠』は、一応、「純愛漫画」ですが、作品中には、恋愛の場面よりも、喧嘩の場面のほうが、十倍くらい多いです(^^; 「暴力が吹き荒れる中でも、愛を貫けるか」というテーマが扱われています。
 最初は名門高校が舞台ですが、中盤から、舞台が、関東一の不良高校である花園実業に移ります。さらに、そこに、十代の構成員ばかりで作られたヤング・マフィア組織、緋桜団【ひざくらだん】が乗り込んできて、学園が、ファシズムの砦になってしまいます。
 緋桜団の首領が、砂土谷峻【さどや しゅん】という男子高校生です。こいつが、主人公の太賀誠【たいが まこと】に対抗するラスボスとなります。
 どんなにつらいことがあっても、太賀誠に対する愛を貫くのが、ヒロインの早乙女愛【さおとめ あい】です。

 『男組』のほうは、『愛と誠』より一年遅れて、昭和四十九年(一九七四年)に、『週刊少年サンデー』で連載が始まりました。休載期間を挟みつつ、昭和五十四年(一九七九年)まで、連載が続きます。原作:雁屋哲【かりや てつ】、作画:池上遼一です。

 『男組』の舞台は、青雲学園という私立高校です。ここは、神竜剛次【じんりゅう ごうじ】という一人の男子高校生によって、無法地帯と化していました。剛次は、「大衆は、下劣な豚だ。自分のような優れた人間が、大衆を暴力と秩序で支配するのだ」という信念を持っており、その信念に基づいて、学園内に、自分を頂点とするファッショ体制を築いていました。
 この現状に校長が耐えかねて、剛次を倒すべく、一人の男子生徒を転入させます。それが、流全次郎【ながれ ぜんじろう】です。『男組』の主人公です。

 全次郎は、父親殺しの罪状で少年刑務所に入っていたという前科持ちです。陳家太極拳【ちんかたいきょくけん】の達人です。転入した青雲学園で、剛次との熾烈な戦いに身を投じます。

 『未来からの挑戦』が放映されたのは、『愛と誠』の連載が終了した、わずか一年後でした。『男組』は、連載されている最中です。
 つまり、この頃の少年少女にとっては、「ファシズムに支配される学園」は、フィクションの中では、お馴染みでした。

 『愛と誠』や『男組』と比べて、『未来からの挑戦』が新しい点が、三つあります。
 一つは、ファッショ体制を築き、その頂点に立つのが、女子生徒であることです。悪の超能力少女、高見沢みちるですね。
 もう一つは、超能力や未来人という、SFの要素を入れていることです。これは、悪役を、「少年」ではなく、「少女」としたことと、関係します。
 少女では、どうしても、少年に比べて体力が劣るので、「暴力で支配する」ことがしにくいです。逆に言えば、そこさえ何とかできれば、少女を「ファシズムの帝王」にしても、不都合はありません。
 体力が足りないぶんを、超能力を持ち出すことで、補ったわけですね。

 最後の一つは、普通に学校にある「生徒会」を、ファッショ体制に利用していることです。
 『愛と誠』の砂土谷峻も、『男組』の神竜剛次も、学園をファシズムで支配するのに、生徒会を利用していません。そんなものは、はなから無視しています。生徒会なぞ利用しなくても、学園をファシズムに染め上げるだけの武力や財力を持つからですね。

 高見沢みちるは、違います。彼女は、民主的に実行された選挙で、生徒会長に選ばれます。生徒たちの総意を受けて、頂点に立ったにもかかわらず、会長になった途端に、生徒たちを抑圧する側に回ります。彼女の超能力のために、生徒たちも、教師たちも、誰も逆らえなくなります。
 普通に選挙で選ばれた人が、独裁者になる点が、『愛と誠』や『男組』と比べると、リアルです。あくまで、「一九七〇年代のフィクションで比べれば」ですが。

 『未来からの挑戦』では、生徒会が、悪の独裁組織になってしまいました。
 悪の組織ではなくても、このような「やたらに権力がある生徒会」って、一九八〇年代以後の漫画やアニメやライトノベルで、見た記憶がありませんか?
 おそらく、それらの作品の「やたらに権力がある生徒会」の原点が、『未来からの挑戦』ではないかと思います。

 一九七〇年代には、『愛と誠』や『男組』のような「学園抗争もの」というべき少年漫画作品が、流行りました。それらの「学園抗争もの」では、生徒会がからんでくることはあっても、生徒会そのものをファシズム組織にする作品は、ほとんどありませんでした。
 『未来からの挑戦』は、「生徒会をファシズム組織にする」ことにより、一九七〇年代の「学園抗争もの」と、一九八〇年代以後の「必ずしも悪の組織ではないが、やたらに権力を持つ生徒会」が登場する作品との橋渡しをしたのではないでしょうか。

 『未来からの挑戦』の原作小説である『ねらわれた学園』でも、高見沢みちるは、悪の超能力少女として登場します。民主的な選挙で生徒会長に選ばれながら、やはり、超能力を使って、生徒たちと教師たちとを抑えつけ、生徒会をファッショ体制にします。
 『ねらわれた学園』は、昭和四十八年(一九七三年)に刊行されました。『愛と誠』の連載が始まったのと、同じ年ですね。
 この頃には、すでに、『男一匹ガキ大将』―昭和四十三年(一九六八年)連載開始―などの少年漫画の連載が盛んであり、「学園抗争もの」の少年漫画が、ジャンルとして、確立していました。
 「暴力が吹き荒れ、ファシズムに支配される学園」というモチーフを、もう少し穏当な―でも、心理的には、直接的な暴力よりも恐ろしい―「民主的な手段で選ばれたはずの生徒会役員たちが、ファシズムに走る」ように改変したのが、『ねらわれた学園』だと思います。

 それを見事に映像化して、視覚的に、ファシズムの恐ろしさを伝えたのが、『未来からの挑戦』でしょう。
 「やたらに権力がある生徒会」の印象を、多くの視聴者に植えつけたという実績を、忘れてはいけませんね。

 今回は、ここまでとします。
 次回も、『未来からの挑戦』を取り上げます。



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