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魔法少女の系譜、その169~『透明ドリちゃん』~


 今回は、前回までと違い、新しい作品を取り上げます。それは、実写(特撮)のテレビドラマです。昭和五十三年(一九七八年)に放映されました。『機動戦士ガンダム』(ファーストガンダム)の一年前ですね。
 その番組とは、『透明ドリちゃん』です。

 この番組は、最初から、はっきり、「実写で魔女っ子ものをやろう」というコンセプトで、制作されました。昭和五十三年(一九七八年)当時、「魔女っ子」という言葉は存在しましたが、「魔法少女」という言葉は、まだ存在しないか、存在したとしても、普及していません。

 この話の主人公(ヒロイン)は、青山ミドリという少女です。小学五年生です。通常は、あだ名で、ドリちゃんと呼ばれます。虎男という、小学二年生の弟がいます。
 彼女は、小学五年生のある日まで、まったく普通の人間として育ちます。ところが、ある日突然、人間界とは違う世界、フェアリー王国へと連れて行かれてしまいます。虎男も一緒でした。
 フェアリー王国は、名のとおり、妖精たちが棲む世界です。そこは、ガンバス大王という王と、王妃とが治めていました。大王と王妃とは、少なくとも外見は、普通の人間に見えます(生身の人間が演じています)。ドリちゃんは、ガンバス大王と王妃との娘、ゼリアン王女だというのです。

 ガンバス大王の話によれば、彼らの娘、ゼリアン王女は、十年前にさらわれて、行方不明になっていました。ドリちゃんは、ゼリアン王女にそっくりなので、ガンバス大王は、「やっと娘を見つけた」と、大喜びです。
 しかし、ドリちゃんにしてみれば、まったく身に覚えがありません。「似ているかも知れないけれど、私はゼリアン王女じゃない。普通の人間だ」と、ガンバス大王に対して、反論します。ガンバス大王は、最愛の娘がやっと帰ってきたと思って、「一緒にフェアリー王国で暮らそう」とドリちゃんを説得します。ドリちゃんのほうも折れず、「私は違う。人間界へ帰る」と言い募ります。

 どうしてもドリちゃんが折れないため、仕方なく、ガンバス大王は、彼女が人間界へ帰ることを許します。そのかわりに、ドリームボールと、フェアリーベルという、二つの魔法道具を、ドリちゃんに渡します。ドリームボールは、透明になる力を持つボールで、フェアリーベルは、妖精たちを呼び出せる力を持つベルでした。
 ガンバス大王は、この二つの道具を使って、「周囲の者に夢と勇気と希望を与え続けること」、「妖精界の秘密を他人に知られたらカエルになること」を、ドリちゃんと虎男に言い渡します。

 ドリちゃんと虎男とは、ガンバス大王の言いつけを守り、ドリームボールとフェアリーベルとを使って、人間界のさまざまな事件を解決してゆきます。
 ドリームボールを手に持って、「ベルカイアルアマサラク、ナイナイパ!!」という呪文を唱えると、ドリちゃんと虎男とは、透明になれます。透明になっている間、ドリちゃんは、背中にアゲハチョウのような翅が生えた、ファンシーな妖精っぽい服を着ています。虎男は、緑色の上着に、緑色の羽根付き帽子をかぶって、ピーター・パンか、ロビン・フッドを思い起こさせる服になります。
 フェアリーベルは、普通に鳴らせば、妖精を呼び出せます。妖精たちは、着ぐるみだったり、ワイヤーで操られていたり、ハンドパペットだったりで表わされます。

 ここまで読んでもらえば、『透明ドリちゃん』が、それまでの「魔女っ子もの」の要素を、上手く集めて作った作品だと、おわかりでしょう(^^) 魔法道具型の魔法少女(魔女っ子)ですね。
 これで、ドリちゃんがゼリアン王女なら、本当に典型的な「生まれつき型の魔法少女」なのですが……最終回で、そうではないことが判明します。

 ドリちゃんとゼリアン王女とは、瓜二つですが、別人でした。同じ役者さんが演じています。ゼリアン王女は、十年以上も、ある場所に閉じ込められていました。それが、最終回で、ドリちゃんたちの活躍によって、解放されます。その過程で、ドリームボールが壊れてしまいます。
 ゼリアン王女は、無事に、ガンバス大王と王妃のもとへ戻ります。ドリームボールは失われ、フェアリーベルも、妖精を呼ぶ力を取り払われて、ただの風鈴になります。ドリちゃんと虎男とは、普通の人間として、人間界へ戻るのでした。

 視聴者に、「ドリちゃんがゼリアン王女に違いない」と思わせておいて、最終回で、どんでん返しをしました。これは、上手いと思います(^^)

 つまり、ドリちゃんは、勘違いで魔法道具を渡されて、魔女っ子(魔法少女)になったわけです。典型的な「魔法の国の王女さま」だと思ったところが、なんと、ただの勘違いでした(笑)
 勘違いで都合の良いことは、勘違いだとわかったら、魔法道具をすぐに返せることですね。普通の少女が魔法少女になった理由も、魔法少女でなくなる理由も、難しく考える必要はありません。

 『透明ドリちゃん』は、日本のテレビ番組で、「妖精」が大きなテーマになった、最初期の作品です。一九七〇年代には、テレビ番組に限らず、まだ、「妖精」が登場する日本製の娯楽作品は、少なかったです。
 「妖精」というと、ディズニー映画の『ピーター・パン』や、『白雪姫』のこびとたちが思い浮かべられていた時代です。「妖精」は、あくまで、欧米のものであって、「日本に妖精が現われる」という感覚がなかったのでしょう。
 代わりに、日本には、「妖怪」がいました。『ゲゲゲの鬼太郎』などの作品で、多種類の妖怪が活躍していました。わざわざ「妖精」まで手を出す必要がなかったとも言えます。

 それでも、『ゲゲゲの鬼太郎』にも、一部、妖精が登場しますね。日本製の「妖精」が最初に登場した漫画作品は、『ゲゲゲの鬼太郎』ではないでしょうか。

 『透明ドリちゃん』より前に、日本で、「妖精」が主要なテーマになった娯楽作品と言えば、山岸凉子さんの漫画『妖精王』でしょう。『花とゆめ』で、昭和五十二年(一九七七年)から昭和五十三年(一九七八年)にかけて、連載されました。
 『妖精王』は、本格的なヨーロッパの妖精伝承を取り入れた、最初期の漫画作品だと思います。この点で、非常に画期的でした。それでいて、井冰鹿【いひか】など、日本の伝承も、巧みに織り込んでいます。さすが、山岸凉子さん、先見性がありまくりです。

 『妖精王』は、『透明ドリちゃん』の放映が始まる約一年前に、連載が始まっています。ひょっとしたら、制作陣の誰かが、『妖精王』にインスパイアされて、「テレビで妖精ものをやろう」と思ったのかも知れませんね。

 ちなみに、『透明ドリちゃん』の原作は、石ノ森章太郎―当時は、石森章太郎―さんです。『魔法少女の系譜』シリーズで、何度、お目にかかったか知れない方ですね。一九七〇年代の特撮作品では、石ノ森さんが関わっていない作品を探したほうが、早いです。
 石ノ森さんは、優れたクリエイターの常として、非常によくアンテナを張っていた方でした。同じ漫画家として、際立つ才能を見せつけていた作品『妖精王』に、気づかなかったとは思えません。
 とはいえ、一九七〇年代の日本のテレビで、妖精を主題にしたのは、英断でしたね。

 今回は、ここまでとします。
 次回も、『透明ドリちゃん』を取り上げます。




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