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魔法少女の系譜、その81~『まぼろしのペンフレンド』~


 今回も、前回に引き続き、『まぼろしのペンフレンド』を取り上げます。八つの視点で、この作品を分析してみます。

[1]魔法少女の魔力は、何に由来しているか?
[2]大人になった魔法少女は、どうなるのか?
[3]魔法少女は、いつから、なぜ、どのように、「変身」を始めたのか?
[4]魔法少女は、「魔法の道具」を持っているか? 持っているなら、それは、どのような物か?
[5]魔法少女は、マスコットを連れているか? 連れているなら、それは、どのような生き物か?
[6]魔法少女は、呪文を唱えるか? 唱えるなら、どんな時に唱えるか?
[7]魔法少女の魔法は、秘密にされているか否か? それに伴い、視点が内在的か、外在的か?
[8]魔法少女は、作品中に、何人、登場するか?

の、八つの視点ですね。


[1]魔法少女の魔力は、何に由来しているか?

 『まぼろしのペンフレンド』で、魔法少女と言えるのは、本郷令子一人です。彼女は、宇宙人(ムキセイメイ)によって作られた、アンドロイドです。
 作り手が地球人ではありませんが、「人工型の魔法少女」ですね。

 『まぼろしのペンフレンド』のテレビドラマ版は、『キューティーハニー』のテレビ放映直後に、放映されました。『キューティーハニー』のアンドロイド少女(人工型の魔法少女)という設定を、受け継ぐ形になりました。

 原作の小説は、日本の少年少女向け小説の中で、アンドロイド(人工型の魔法少女)を登場させた、非常に初期の例です。昭和四十年代前半(一九六〇年代後半)のことですからね。


[2]大人になった魔法少女は、どうなるのか?

 令子は、ムキセイメイの基地爆発に巻き込まれて、死んでしまいます。彼女が大人になることは、ありませんでした。

 もっとも、テレビドラマ版では、令子は十八歳という設定です。主人公の明彦―テレビドラマ版では、中学二年生―からみれば、「大人の女性」です。
 十八歳というと、魔法「少女」としては、ぎりぎりの高年齢ですね。『まぼろしのペンフレンド』は、『少年ドラマシリーズ』の一作でしたので、主要視聴者の中学生くらいからすれば、令子は、「少女」とは言いがたいです。「大人で、超常能力を持つ女性」扱いでした。

 ムキセイメイの作るアンドロイドが、どの程度まで、人間を再現できるのかについては、ドラマ中では、はっきりしません。普通の人間のように、外見上、年を取らせることができるかどうかも、わかりません。
 このために、令子が死ななかったとしたら、どのような未来があったのかも、わかりません。令子が事故で死ななくても、ムキセイメイに反抗しなくても、ムキセイメイが「役目が終わった」と判断したら、解体されてしまったかも知れません。

 ムキセイメイは、地球人とまったく異なる生命体であり、その思考が読めません。ムキセイメイの能力も思考もわからないため、彼らに命運を握られた令子の先行きも、読みにくいです。
 とはいえ、令子が「人間性」を身に着けてしまった時点で、先行きの悲劇は、予想できます。人間的になった令子が、ムキセイメイと相容れるはずがないからです。
 令子が自ら犠牲になるか、ムキセイメイに抹殺されるか、あるいは、実験用の生命体としていじり倒されるか、どれかの道しか、なかったのではないでしょうか。


[3]魔法少女は、いつから、なぜ、どのように、「変身」を始めたのか?

 令子は、地球人の木田めぐみの姿を写し取って、作られました。これを変身といえば、言えなくもありませんね。
 ただし、ドラマでも、原作小説でも、その場面は、登場しません。説明されるだけです。めぐみの姿を写し取る前、令子がどんな姿をしていたかも、登場しません。

 令子の「変身」は、変身の面白さよりも、「姿を写し取られる」恐ろしさのほうが、先に立ちます。自分の姿が、「何か」に写し取られて、その「何か」が、自分になり変わってしまう恐怖です。
 これは、恐怖以外の何ものでもありませんよね。恐怖の対象としての「変身」です。


[4]魔法少女は、「魔法の道具」を持っているか? 持っているなら、それは、どのような物か?

 令子は、特別な「魔法の道具」は持ちません。


[5]魔法少女は、マスコットを連れているか? 連れているなら、それは、どのような生き物か?

 令子は、マスコットを連れていません。


[6]魔法少女は、呪文を唱えるか? 唱えるなら、どんな時に唱えるか?

 令子は、呪文も唱えません。


[7]魔法少女の魔法は、秘密にされているか否か? それに伴い、視点が内在的か、外在的か?

 令子は、ムキセイメイが、地球支配のために作ったアンドロイドです。地球人に、それが知られては困りますから、当然、令子がアンドロイドであることは、隠されています。

 令子がドラマに登場するのは、遅いです。全九回のドラマなのに、第六回になるまで、登場しません。これでは、令子視点のドラマには、しようがありませんね。
 ドラマは、ほとんど、主人公の明彦の視点で進行します。

 『まぼろしのペンフレンド』は、ヒロインの正体を早々に明かしてしまったら、面白くない作品ですね。同じ『少年ドラマシリーズ』の『暁はただ銀色』と、同じです。このために、令子に寄り添った視点は、ほとんどありません。
 ペンフレンドとして、最初から名前だけ登場してくる「本郷令子」が、とても不気味です。「彼女は、いったい何者なのだろう?」、「彼女と文通を始めてから、なぜ、奇妙なことばかり起こるのだろう?」というサスペンスが、ドラマを盛り上げます。

 ただ、最終回手前の第八回で、令子視点になる部分があります。令子が、人間らしい感情を身に着け始めた時です。令子は、監禁された明彦と久美子に同情し、彼らを逃がそうとします。
 まさに、令子が「人間的」になった証しとして、令子視点で物語がつづられます。それまで、令子には、「人間的な内面」なんてありませんから、令子視点での物語など、作りようがないわけです。


[8]魔法少女は、作品中に、何人、登場するか?

 『まぼろしのペンフレンド』のテレビドラマ版は、トリプルヒロイン制です。主人公をめぐって、三人の少女が登場します。三人とも、主人公に、ある程度の好意を持つという、ハーレム構造です。

 けれども、その中で、魔法少女と言えるのは、令子一人だけです。めぐみと久美子は、何の超常能力も持たない、普通の少女です。

 少年少女向けの作品で、ヒロインを何人も出し、ハーレム構造にしたのは、昭和四十年代後半(一九七〇年代前半)には、新しいことでした。
 それでも、「魔法少女は、一作品に一人」という、暗黙のお約束を破ることまでは、できませんでした。この時代には、これで限界だったのでしょう。あまり新しくすると、視聴者のほうが、ついて行けなくなってしまいます。


 まとめてみましょう。
 『まぼろしのペンフレンド』は、斬新な要素をいくつも持った作品でした。アンドロイド、遠隔地で、通信はできるけれど姿の見えない相手の不気味さ、ハーレム構造、宇宙人の侵略などです。
 いっぽうで、根底にあるのは、伝統的な「異類婚姻譚」です。異類の女性が、人間の男性と出会い、惹かれ合うものの、最後には、別れてしまいます。
 伝統的な要素としては、「人間に反抗する人造人間」という要素も、しっかり受け継がれています。

 魔法の道具や、マスコットや、呪文といったものは、登場しません。これらは、みな、伝統的な「魔女」を想起させる要素ですね。アンドロイドや宇宙人の侵略といった、目新しいSF的要素とは、相性が悪い(と考えられた)のでしょう。
 昭和四十年代後半(一九七〇年代前半)当時には、SFが、未来志向の、輝かしいものだったのでしょうね。『少年ドラマシリーズ』のSF作品ヒロインは、全員、これらの魔女的道具立てを、ほとんど使っていません。
 そういえば、日本人に輝かしい未来図を提供した大阪万博は、昭和四十五年(一九七〇年)に開かれました。『まぼろしのペンフレンド』のドラマが放映される四年前です。

 『まぼろしのペンフレンド』は、伝統的な骨組みに、斬新な要素を付け加えた、娯楽作品の傑作でした(^^)



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