心を込めるのもいいけど、たまには言葉を込めてみる
久しぶりに小説を読みました。
『蜜蜂と遠雷/恩田陸』
多様な登場人物たちによって、テーマとなるピアノコンテストが描かれます。
そして、物語を通して音楽の素晴らしさや音楽とは何かが語られていきます。
登場人物それぞれの視点で、コンテストや音楽を見つめる描写が目まぐるしく転換していきます。
僕は小説に疎いのですが、こういった形の小説を群像劇小説と言うようですね。
ある時母が、他の小説を読んでいたときに「主語がはっきりしないし、ころころ変わるから大変だ」みたいなことを言っていたのを思い出しました。
最近多いんでしょうか?
僕が思ったのは「地球儀みたい」ってこと。
ピアノコンテストという名の地球儀をぐるぐる回して、それぞれの登場人物の視点で見る感じ。
または、太陽系の星々という登場人物が、ピアノコンテストという太陽を見つめている感じ。
一人の視点では平面だったピアノコンテストや音楽が、多様な視点から見つめることで立体へと様変わりしていきます。
面白かったのが、小説の内容と小説を読む自分が重なったこと。
例えば、高島明石という男が家庭を持ちながらサラリーマンとしてコンテストに向かう姿勢として、「"生活者のための音楽"があってもいいじゃないか」と考えている点。
つまり、音楽は音楽だけを極めてきた人のためだけにあるんじゃない。もっと開かれたものだろうという考え。
これって、こうやってどこの誰ともわからん僕が、noteに文章を書いて、みんなに読んでもらっているのと同じだな、と。
また、小説内ではピアノから出てくる一音一音から、言葉や感情や風景を思い浮かべる描写が出てきて、そういう表現豊かな音楽は素晴らしいなと思うのと同時に、小説においては言葉によって音を想像したり、感情や風景を想像する点が共通していて、面白いと感じました。
表現っていうものはお互いにそういう面白さがあるなと。
言葉は音楽を表現する、音楽は言葉を表現する。
なんてことを考えながら皿洗いをしていたら、ふと思った。
「あれ?でもこれって生活も同じじゃない?」
例えば、その皿洗いについても。
素晴らしい音楽や文章から描写が鮮明に思い浮かぶなら、想いを込めた行動によって行動自体が変わったり、行動でその想いを表現できるんじゃないかと。
だから、想いを込めて皿を洗ってみた。
丁寧に、洗う。
静かに水切りカゴに置く。
いや...
まだだ。
小説で物語を描くときは、こんな曖昧なものじゃないと気づく。
小説では、想いを言葉にして伝える。
想いを...言葉に...
だったら、想いを込めて皿を洗うんじゃなくて、"言葉を込めて"皿を洗ったら...?
「あぁ、今日も美味しく食べさせてくれてありがとう。油っぽくなっちゃったから綺麗にするね。ありがとう。明日も美味しいご飯を食べさせてね。」
そうやって皿を洗うと、急に一つ一つの動作が作業ではなくなる。
生きていくには、こういうことが大事なんだろうと思った。
どんな雑事をするにも、想いを込めるより言葉を込める。
体を洗う時も、足を労い、「ご苦労さん」と言葉を込める。
ボディタオルをすすぐ時も「いつもありがとう」と言葉を込める。
すると、その先の水にも思いが至り、どこから水が来ているのか、浄水場で働く人の姿が目に浮かび、海に行き着く川や、雲ができてまた降り注ぐ雨の音が聞こえてくる。水の歴史や水に困っている人たちの姿も浮かび、思わず蛇口を閉める。
行動に言葉を込めると、曖昧でぼんやりしていた世界の輪郭がハッキリし出し、色彩を帯び、急に身近なものになる。
世界が実感となる。
みなさんもよかったらやってみてください。
本当に大事な時、想いを込めたい時だけでもいいです。
その時に、想いだけじゃなく言葉も込めてみてください。
きっとすべてがよりリアルになります。
小説では、音で溢れた世界の素晴らしさが描かれていますが、僕は受け取った気がしました。世界があること自体が素晴らしい、音だけじゃなく世界は本当は素晴らしいもので溢れているんだということを。
本の良いところは、会うことのできない人の考えを知ることができたり、対話をすることができること、なんて言われますが、僕は"思考回路をインストール"できるところが良いな、と最近思います。
意識的にインストールしているわけではないですが、勝手にそうなっているんですよね。
自己啓発系の本を読んでいるときは活発的になるし、哲学系の本を読んでいるときは思慮深くなる。小説を読んでいるときは小説思考になって、著者のメッセージが体中を満たす感覚があります。
以前は、本を読んでも何も残らなかったら意味がないと思っていましたが、その本を読んでいる間だけでも影響されればそれで十分だと思うようになりました。
間隔を空けずに本を読んでいれば、ずっと影響された状態になり、自分は変わり続けるんです。
『蜜蜂と遠雷』では、自問自答する主人公たちに親近感を覚えたり、感動して涙もしました。きっと誰しもが重なる部分を持っていると思います。
また、超超天才に心躍り、ワクワクして元気をもらえました。この天才の存在は、みんなにも読んでもらいたいなぁ。
「弾いているこの瞬間は一瞬だけど、この楽譜は何百年も前に作られたもの。自分もそういう作曲家になりたい」というような描写もあるんですが、僕もほんの小さなことでもいいから、他の誰かが引き継いでくれて世の中に残っていくようなことをしたいと思いました。そして、きっとできるという自信と勇気ももらいました。
続編の『祝祭と予感』も図書館の方で用意ができたようなので、楽しみです!
分厚くて、はじめは面食らいましたが、読みやすいのでご安心を(笑)
審査員が天才少年の次の演奏を無性に聴きたくなってしまうように、「早く先を読みたい」と眠る前に布団の中で思ってしまうような一冊です。
あ、spotifyに『蜜蜂と遠雷』の作中に出てくる音楽で組み立てたプレイリストがあったので、それを聞いて読んでいました。
おすすめですよ。
[ 今日のFoveon: SD1 Merrill + SIGMA 18-35mm F1.8 DC HSM ]
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