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【小説】肥後の琵琶師とうさぎ

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記事一覧

【小説】肥後の琵琶師とうさぎ14

【小説】肥後の琵琶師とうさぎ14

「私が見ていたのは夢だったのか?」
 私の質問に、毛玉はため息まじりに答える。
「いや、夢を見ていたのは娘の方だ」
 ーー娘の夢?
 私は、いまいち現実味のない現状に困惑し、毛玉と景色とを見比べるしかなかった。
「娘が望んだ夢を、お前と俺が見た。娘は、哀れな琵琶師を救いたかった」
「娘が私を?」
「そうだ。娘は、見目は娘だが、お前の母だった」
 ーー私の母……。
「職を、食事を施されただろう」
 

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【小説】肥後の琵琶師とうさぎ13

【小説】肥後の琵琶師とうさぎ13

毛玉と私はすでにあの黄泉地で魂の抜けた腑抜けで、ただ欲ばかり大きく、それも自分のことすら後始末ができていないのに他人のことには厚かましく幸福を願ったりしているので、神様たちもほとほと呆れていたのだ。
 思いが届いたとまでは思わないが、願いが叶う機会は与えられたのだ。願いが叶うとき願掛けの紐が切れるように、毛玉の仔うさぎたちは救われ、私の眼球は、娘は、その連鎖から救われたはずだった。

【小説】肥後の琵琶師とうさぎ12

【小説】肥後の琵琶師とうさぎ12

朝陽でぬくもった露草の雫が一滴、私の目の虚ろへこぼれ落ちた。雫は虚ろで溜まり、増え、ドロリとした球体になり、その虚ろを埋めつくし……。

目を開くと、その球体で世界を見ることができるようになっていた。
 私は草原で眠っていたらしい。ふところには毛玉のぬくもりがあった。
「おい、毛玉」
 人指し指で毛玉をつつくと、毛玉はのそりと起き上がり、相変わらずの悪態をつき、睡眠を邪魔したことを非難した。

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【小説】肥後の琵琶師とうさぎ11

【小説】肥後の琵琶師とうさぎ11

娘の琵琶が、夜風に鳴く。
 私の琵琶は、鳴いた夜風を踊らせる。
 ススキが、リンドウが、夜空の星明かりを写しとり、発光する。毛玉が、獣が、跳ね回る。
 産山に生まれた命が、踊る、踊る、踊る。
 私は琵琶を弾き、語る。思い出したこと、産まれ落ちた時のこと。夜風がやみ、ぬくい朝陽が額を撫でるその時まで。

【小説】肥後の琵琶師とうさぎ10

【小説】肥後の琵琶師とうさぎ10

三月ごとに方位を変える神様がいた。この神様の方向へ進むと祟られる。荒ぶる神様。金神様と呼ばれていた。
 私の父がまだ幼かったころの話しである。あるとき、金神様が父たちの村の方へ向かっているとの噂がたった。三月ごとの方位は決まっており、父が暮らす村とは方向が違っていたが、何故だかそんな話が広まっていった。最初は魚売りの行商からだったと思う。
 ーあんたら金神様の怒りに触れたらしかな。
 ーそぎゃ

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【小説】肥後の琵琶師とうさぎ9

【小説】肥後の琵琶師とうさぎ9

ーーお前と娘の琵琶の音がいる。
 毛玉に、その仔うさぎたちの命を助けるためにと、とある山奥へ連れてこられた。娘も一緒である。
 山への出発前、どうやって娘を連れていくのかと問うたら、お前が撥を流せば勝手に現れると言われ、訳も分からず言われた通りに琵琶を弾いたら本当に娘が眼前に現れた。
「何なんだ。どうなっている」
 毛玉は、ただ琵琶を弾きつづけろと言うだけだった。
 そして、弾きつづけること一

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【小説】肥後の琵琶師とうさぎ8

【小説】肥後の琵琶師とうさぎ8

 ーー産山の神様がお待ちかねです。早く戻ってきてください……。
 仔うさぎたちからの文を読んだトビキチは、すぐに返事を書いた。文は、雁が届けてくれる。
「頼んだぞ」
 雁が飛び立った。その姿が点になり、見えなくなったところで、後ろから琵琶の音がただよってきた。振り向くと、盲目が立っていた。
「今のは……」
 盲目の問い。撥が流れる。
 盲目の目は、点になって消えた雁を、あの手紙を見据えたように、弦

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【小説】肥後の琵琶師とうさぎ7

【小説】肥後の琵琶師とうさぎ7

 不器用な娘、でも琵琶の腕だけはいい娘。琵琶を教えた帰りには、必ずと言っていいほど野菜だったり、魚だったりを土産に渡してきた。
 ーー失敗しちゃったから。
 娘は、飯の仕度も苦手だった。野菜を切れば、大きすぎたり小さすぎたり。魚をおろせば、すり身のようにしてしまったり。そんなものだが、盲目の私にとってはありがたかった。小さな野菜はトビキチの飯になるし、すり身の魚はだんごにして汁物に。切る手間がない

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【小説】肥後の琵琶師とうさぎ6

【小説】肥後の琵琶師とうさぎ6

 産山の神様におつかいを命じられた。
 ――琵琶の音で、生命を踊らせる者がいる。産山にふさわしい者だ。産山のカゴを渡してこい。それから、この山で琵琶を奏でさせろ……。そうすれば、悪童うさぎたちのことは許してやろう……。
 トビキチは耳を垂れ、頭を垂れ、返事をした。
 ――これでチビどもの心配はなくなる。
 ひと月前、トビキチの仔うさぎたちは、山ひとつを裸にしてしまった。仔うさぎたちは食欲旺盛。その

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【小説】肥後の琵琶師とうさぎ5

【小説】肥後の琵琶師とうさぎ5

 手話などと気のきいたものの生まれる前、私の生まれた田舎じゃ楽器で意思の疎通をはかっていた。
 革のたるんだ太鼓、穴の割れた笛、弦のゆるんだ琵琶。どれもこれもぼろぼろの、どこから手に入れてきたか分からないような古楽器たち。私はあの日、琵琶を選んだ。
 何故、琵琶だったのか。思えばあのとき私の脳裏に浮かんだのは、琵琶を抱えた美しい天女様だった。
 盲目の私が何故。
 産まれて初めて認識した女性が、天

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【小説】肥後の琵琶師とうさぎ4

【小説】肥後の琵琶師とうさぎ4

 その娘は何もかも不器用であった。
 皿を洗えば三枚は割る。洗っている最中に一枚、水切りへ移す際に一枚、乾いたものを棚に戻す際に一枚。洗濯を任せれば余計に汚す。洗剤が少ない、洗濯物を落とす、乾いたものを風に飛ばされる。本人はいたって真面目で手抜きなどもしたことがないが、とにかく上手くできない。赤子をあやすのだけは上手かったが。
 そんな娘との出会いは公民館だった。
 ーー先生、うちの娘に琵琶を教え

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【小説】肥後の琵琶師とうさぎ3

【小説】肥後の琵琶師とうさぎ3

 めくらまし、めくらまし、めくらまし。
 目眩まし、目蔵まし、目暗まし。
 私の目は、どこだ。

 幼い子らの遊び歌が響く。

 めくらまし、めくらまし……。
 目、うらやまし……。

 幼い子どもらが歌い、跳ねる。

 目が覚めた。ホウホウと鳴く鳩の声で。この鳥は意外と朝にうるさい。
 昨日、うさぎと琵琶で会話したのが夢だったように頭がぼんやりしている。ぼんやりしているが、懐が温く、毛玉の重みが

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【小説】肥後の琵琶師とうさぎ2

【小説】肥後の琵琶師とうさぎ2

 雨音が続いていた。ときおり、ひやりとしたすき間風が頬を横切る。
 カエルも鳴かぬ豪雨か。ボロ屋の戸が軋む音が悲鳴のようだ。
 私の前にはおそらく毛玉がいる。おそらくというのは、毛玉が静かで、気配もジンガイだから、なかなかはっきりとその輪郭がつかめないのだ。
「おい毛玉、そこにいるか」
 毛玉の所在を明らかにするための質問をしたところ、舌打ちのような返事が返ってきた。
「殿様気取りか、ジジイ」
 

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【小説】肥後の琵琶師とうさぎ1

【小説】肥後の琵琶師とうさぎ1

 琵琶の響き、うさぎの跳躍。あの娘は何処、私は盲目。淡くぬくいこの毛玉が、私の視界を翻訳する。私は琵琶を弾く、語る、唄う。毛玉は、踊る、踊る、踊る。

 肌を刺すような冷え込みの卯月、私は毛玉を拾った。
 琵琶を弾いた帰路、私の杖の先にぶすりと刺さったそれは、道の真ん中に倒れていたのだろう。私の視界は真っ白だったり、真っ暗だったりして、道の小石にも気がつけない。人の感じとれる類いのものでもなく、お

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