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【小説】肥後の琵琶師とうさぎ7

 不器用な娘、でも琵琶の腕だけはいい娘。琵琶を教えた帰りには、必ずと言っていいほど野菜だったり、魚だったりを土産に渡してきた。
 ーー失敗しちゃったから。
 娘は、飯の仕度も苦手だった。野菜を切れば、大きすぎたり小さすぎたり。魚をおろせば、すり身のようにしてしまったり。そんなものだが、盲目の私にとってはありがたかった。小さな野菜はトビキチの飯になるし、すり身の魚はだんごにして汁物に。切る手間がないだけで、飯の支度がずいぶん楽になる。それに、あまりものでも飯は飯だ。助かる。月謝をもらっているとは言え、盲目の爺一人食っていくのは大変だ。よく食う毛玉も居候している。

 湯の花、湯の香、湯の温度。盲目でも分かることがある。
 ぬくい湯に浸かって、私はトビキチに話しかけた。
「あの野菜はうまかったか」
 娘からもらったカブと大根の切れはしのことである。
 毛玉は生返事しかかえさない。なあ、としつこく聞くと、風呂釜を蹴る音が返ってきた。
「鼻の下がのびてるぞ」
 今度は私が生返事でかえす。毛玉の膨れ面と娘の面が脳裏に浮かぶ。
 ーー小娘に施されるほど落ちぶれちゃいねえ。
 私が娘から包みを受けとると、毛玉は吠えた。私は思わず毛玉にこう吐き捨てた。
 ーーおい、居候の毛玉の分際で! 子どもの善意に何て仕打ちだ。
 毛玉はむくれて、後ろ足を地面に叩きつけた。振動から不機嫌が伝わった。
 このやり取りは娘を大分困らせたと思う。
 なのに娘はあの時……。
 母親のように私と毛玉を見つめていた。
 見つめた……?
 何故、盲目の私が娘の視線を知っている?
 その表情を。
 何故。
「何故だと思う」
 毛玉に問われた。
 びくりとして、釜の湯がぴちゃりとはねた。
 何が、としらばっくれようかと思ったが、やめた。毛玉は見抜いている。
 あの時、娘の顔が、目蓋の裏にするりと現れた。娘の感情が、私の耳朶を撫でた。
「弦か……」
 琵琶の音。
 私の感覚のすべて。
 娘は、私のように琵琶を弾く。


 

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