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【小説】肥後の琵琶師とうさぎ10

  三月ごとに方位を変える神様がいた。この神様の方向へ進むと祟られる。荒ぶる神様。金神様と呼ばれていた。
 私の父がまだ幼かったころの話しである。あるとき、金神様が父たちの村の方へ向かっているとの噂がたった。三月ごとの方位は決まっており、父が暮らす村とは方向が違っていたが、何故だかそんな話が広まっていった。最初は魚売りの行商からだったと思う。
 ーあんたら金神様の怒りに触れたらしかな。
 ーそぎゃんことはなか。
 ーいや、怖い話が俺たちの港でもちきりばい。
 ー誰がそぎゃんこつ言いよるとや。
 ーさあ。でも、もう魚は持って来れんけんな。みんなで話して決めた。
 ー今までの付き合いの恩ば忘れたか。
 ー触らぬ神に祟りなして言うけんね。
 村の偉いさんと行商の偉いさんはそう言い合って、最後はぷいと顔をそむけあい、それっきりだった。
 そのことは村で瞬く間に広がり、村を出て行く人がちらほら出始めた。
 ー親戚が病気らしくてね。見舞いに……。
 ーちょっと買い出しに行ってくるよ。行商のやつが来ないから……。
 そう言って出ていった村民が戻ることはなかった。小さな村はさらに小さくなり、廃れ始めた。魚売りが来なくなり、日用品売りが来なくなり、薬売りが来なくなった。村の大人たちの間で何とか対策をと話されたが、なかなか良い案は出て来なかった。気休め程度の簡素な社が立てられただけだった。それからひと月、とうとう米も尽きかけたころ、老人がぽつりと……。
 ー人身御供はどうか。
 反対意見が出たのは、最初の一人二人で、あとはみな流されるようにそれを正当化する理由を探し、口にした。
 
 金神様、金神様、三月ごとに荒ぶる神様。
 神様を知って近づく者がいます。
 この者の目玉でどうかお許しください。

私の父は、大人たちに金神様の説明を受け、その恐怖を頭に叩き込まれたあと、金神様を鎮めるために立てられたあの簡素な社へ向かって歩かされた。
 何故、父が選ばれたのか。
 父は、生まれつき両目が不自由だったのだ。
 ー何、心配するな。元から不自由なお前の目、皆の役に立てる時がきたんだ。皆の役に立てれば、将来の心配は何もない。村が一生お前の世話をしてやる。
 そう、父も祖父母も言いくるめられたらしい。
 父は社の前で一晩恐怖に震え、翌朝、両目から血を流して横たわっているところを、様子を見に来た祖父母と村民に見つけられた。
「金神様は……」
 大人たちの心配は、父よりも荒ぶる神様の方だった。
 父は、謝った。
「僕の目玉では足りないって」
 金神様は、三代先の子孫まで目玉を貰うと言い、とうに見えていない父の目玉も貰っていったらしい。
 父は村のすすめる娘と結婚し、私が産まれた。
 私は、母の胎内にいる時までは盲目ではなかった。母の胎内はあたたかな草原で、私は、私たちは、美しい景色の中を走り回っていたのだ。いく人かの子らと仲良く遊んでいた。産まれ落ちるその時になり、琵琶を抱いた金色に輝く天女様、そう金神様が、私の目玉と引き換えに琵琶を渡してきたのだ。他の子らも、何やら楽器と引き換えに目玉を奪われていた。
 私は、私たちは、それを当たり前のことと受け入れて、この世に産まれ落ちてきたのだ。


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