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【小説】肥後の琵琶師とうさぎ3

 めくらまし、めくらまし、めくらまし。
 目眩まし、目蔵まし、目暗まし。
 私の目は、どこだ。

 幼い子らの遊び歌が響く。

 めくらまし、めくらまし……。
 目、うらやまし……。

 幼い子どもらが歌い、跳ねる。

 目が覚めた。ホウホウと鳴く鳩の声で。この鳥は意外と朝にうるさい。
 昨日、うさぎと琵琶で会話したのが夢だったように頭がぼんやりしている。ぼんやりしているが、懐が温く、毛玉の重みがあるので、これは現実だと思い知る。
 招いたのか招かれたのか。ただ一つ確かなことは、毛玉は私の胸の上に存在し、生きている。そして私もまだ生きている。
 私は顔を洗うために上体を起こし、杖を引き寄せ、立ち上がった。私の胸から転がり落ちた毛玉が何か喚いていたが無視した。

 顔を洗ったあと、かまどの飯を水にさらし、粥を作った。支度をしているあいだ中、後ろには毛玉の気配があったが、手伝う気配はなかった。そして、食卓につくと当然のように毛玉が向かいに座る気配がした。事実、毛玉は私にこう言った。
「俺の分は爺の半分程度でいい」

 朝粥を啜っていると冷えた体がほんのり温まり、手足の痺れがいくぶんかやわらいだ。毛玉は粥にのせた漬け高菜が気に入ったようで、「もう一匙」と厚かましい要求をしてきた。粥は好みではなかったようで、啜る音に勢いがない。
「なあ、毛玉よ」
「トビキチだ。一宿一飯の礼に教えてやる」
 生意気に。名があったか。一宿一飯の礼が名前を教えることとは、本当に生意気だ。
「トビキチ、お前、もう元気そうだ。粥を食ったら出ていけ」
「お前は死にかけだがな」
 生意気な毛玉が笑う。
「いいのか? 俺を追い出して」
 琵琶の弦の振動が弱まる。
 私は言葉に詰まった。
「私は……」
 少し長く息を吸い、撥を流した。
「私は死んでもいいと思っている。だが、今すぐ死んでは一つ、心残りができる」
 毛玉は続きを促すように黙っている。
「一人、気がかりな娘がいる。その娘が……」
 私にあの娘の何が分かるだろうか。私があの娘に干渉する権利がどこにあるのだろうか。だが……。
 止めた撥を、また流した。
「良い琵琶の音を出せるようになるまでは……」
 幸せを、己の撥で奏でられるようになるまで……。
「私は、いやしくとも厚かましくとも、生きのびる」
 そうだ。生きのびる。あの娘のために、私の我が儘のために。
「よし、よく言った。爺、お前に協力してやる」
 毛玉は相変わらず偉そうにものを言う。
「しかし、トビキチ。お前の得にはならん。お前が私を助ける理由はなんだ」
 黄泉地とやらから私を抜け出させ、私の我が儘に付き合う理由は。
「ふん。爺、そんなものは月に聞け」
 このとき私はまだ、毛玉の本当の考えや思いなど知るよしもなかった。

続く

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