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中山道600km自転車旅ハネムーン(DAY7・旅は人生と同じ)

こんにちは。アラサー女のOtamaです。
私達夫婦は2021年4月30日から5月8日にハネムーンチャレンジをしました。
自宅から目と鼻の先の「蕨宿(埼玉県)」からオットの生まれ故郷「京都」を結ぶ「中山道(約600km)」を自転車で駆け抜るというものです。
トラブルありケンカあり愛情ありの濃密な9日間。
それでは、しゅっぱ~つ!
中山道600km自転車旅ハネムーン(DAY6・美女に会う)の続きです。

I. 夫婦箸

5:30 起床。
部屋の窓を開けると、なんて美しい眺めでしょう。
昨日は雨で見えなかった山や畑が姿を現し、山肌には霧がかかって幻想的です。空気は澄んでいて気持ちがいい。数回大きく深呼吸をして、体の隅々にいきわたるように、新鮮な空気をたくさん注ぎ込みました。

部屋からの眺め

8:30
朝食をいただき、準備を整えて出発です。
おかみさんが玄関先まで見送ってくれ、インカメで三人の集合写真を撮りました。

納屋から自転車を出し、さあ出発!というところで、おかみさんが刷り漆の箸を2膳手に取り、私達二人に渡します。

「京都にゴールしたら報告してね、必ずよ。」

天然の木曽ひのきで出来たそれは、今まで手にしたどのお箸より軽いです。思い出深い大切な宝物ができました。

木曽ひのきの夫婦箸(後日撮影)

II. You're so cool

妻籠宿から隣の宿場町「馬籠宿」の間には「馬籠峠」があります。
途中、私達が進んでいる車道と旧道が交わるのですが、旧道は石畳で自転車が乗って進むことはできないので、このまま直進します。

上り坂は時には乗り、時には降りて自転車を引きながら歩き、1時間ほどで馬籠峠の頂上に到着しました。

「峠の茶屋」の前でひと休みしていると、馬籠宿方面から外国人のカップルが歩いてきます。私達の恰好を見るなり

「Wow…. You're so cool」

女性は日本語が話せるので「どこから来たの?」「どこに行くの?」「自分たちの自転車なの?」と矢継ぎ早に質問してきます。
私達が返答するたびに「Cool」「So cool」と連呼してくれるのでこちらも嬉しくなりました。
別れ際「私達もいつかやりたいわ」と言って、去っていきました。彼女たちは旧道を辿って妻籠宿に向かうそうです。

さて、この馬籠峠の頂上は他の峠とは少々異なります。

なんとここは、約5日間に及んだ長野県横断の終着地なのです。
泣いて笑った長野県5日間の旅、苦しいこともありましたが新婚夫婦の絆が深まりました。どうもありがとう!
そして、よろしくお願いします、岐阜県!!

中山道旧道
馬籠峠の頂上
岐阜県へ

III. たくさんの神様に見守られて

10:00
「馬籠宿」到着。
妻籠宿同様、当時の面影を残すノスタルジックな宿場町です。文豪・島崎藤村の出生地としても有名な場所です。

石畳の両脇に商店や食事処が並びますが、まだ10時になったばかりで開店している店はちらほら。そのうち日用品やお土産を販売するお店に立ち寄りました。
この日は晴天で日差しが強いので、被り笠を購入したいと悩みましたが、自転車旅ゆえヘルメットなしでは危ないので泣く泣く諦めました。その時に店先で撮影した写真をもとにイラストレーターさんに書いてもらったのがプロフィール画像のイラストです。

馬籠宿
笠を被るワタクシ

馬籠宿を抜けると絶景が広がります。なんてのどかな風景でしょうか。
ここにはたくさんの神様がいて、地域に住む人々や街道をゆく旅人たちを見守ってくれています。

街道をめぐる道中は、市街地だけではありません。
車の通りや人気がない場所、山道なども走ります。そんなところではなんとなく心細い気がするのですが、道祖神や庚申塔が建っているのを見つけると、少しだけ孤独な気持ちが楽になります。
彼らは何百年という長い間、旅人たちを励ましてきたのでしょう。

馬籠宿傍の絶景
庚申塔
諏訪神社
双頭一身道祖神

IV. 旅は人生と同じ

14:00
なかなか食堂にありつけずお腹と背がくっつきそうなほどにお腹ペコペコな私達。瑞浪市街に入ってようやく昼食の店探しをします。

入ったのは「くねくねラーメン」。
つけ麺を注文しました。オットは麺大盛のチャー玉ごはん定食です。

食べながらオットが言います。

オット「さっきは本当に危なかったね~」
  私「なにが?」
オット「ツマ(私)、信号無視して車に轢かれそうだったよー。」

・・・ホラーでしょうか。全く身に覚えがない私。
どうやら農道との交差点で赤信号になっているのに気がつかず、さらに車が脇から来ているのにも気がつかず、そのまま直進したそうです。
車が急停止したおかげで大事には至らず、後ろを走るオットは頭を下げてドライバーに謝ってくれたそうです。

この7日間、ほとんどの日程で8時間以上自転車こぎ続けているので、足は疲労困憊。信号待ちで停止したり発進したりするのがしんどく、なるべく同じスピードで進行したくなるのです。
その気持ちが強すぎて、そして周囲を見る余裕がなくなりすぎて、信号や車の存在も見えなくなってしまいました。
オットに指摘されてからは心を入れ替え、周囲も見るように意識しました。

ところでこの旅の前半、オットは爆速で進み続けて、ある時はアラサーの私を幼女のように号泣させました(詳細はDAY3 後編)が、その後は私を気遣った走行に変えてくれ、昨日からはずっと私の後ろについて走ってくれます。

これはオットが私に配慮してくれているというのもありますが、単純にオットも疲労がたまって爆走できないことも理由の一つだと思います。
そこで私は思ったのです。

「旅は人生と同じ。」

日本人の平均寿命をこの旅の9日間で割って計算すると、7日目の今日は60代後半に差し掛かろうというところ。その頃には男女の体力差も少なくなり、本当の意味で歩幅を合わせて、二人で助け合って、一緒に人生を歩んでいこうという年齢なのだと思います。
私達の旅もいままさにその段階にあるのだ、という気がしました。
(ちなみに30代は最もトラブルが多かったDAY3です。ひえー。)

くねくねのつけ麺チャー玉ごはん定食(大盛)
歴史ロマンに関心が薄かったオットが一里塚を眺める図

V. 無理はしない

16:00
「鵜沼宿」(岐阜県各務原市)に来ました。
市街地に入り、宿泊できる施設がありそうだということで、道路わきで一旦停止し、もう少し先に進むか、本日はここに泊まるかを相談します。

少しでも先に進んでおきたいオット。
一方私は、宿泊場所は漫喫などではなく体をしっかり休める施設に泊まりたいので、次にそのような宿泊施設がある街が何㎞先なのかが分からないため無理はしたくないとオットに告げます。

話し合いの結果、本日の移動はここまでにしました。
その場で宿を探して電話をかけ、空き室を確認して向かいます。

16:30
本日のお宿「犬山国際ユースホステル」到着。
カウンターで夕食におすすめのお店を聞き、部屋に入ってゆっくり過ごします。オットはロビーにあったマンガが部屋に持ち込めると聞いて何冊か選んで借りていきました。

20:00
中華料理レストラン「阿福」着。ユースホステルから自転車で20分ほどの距離にあるお店です。オットは天津飯定食、私は餃子定食を注文。ボリューム満点で、味もおいしくて大満足です。

ちなみに、この旅を通してものすごくたくさん食べているように見えますが、エネルギーも消費しているので私は丁度良いくらいでした。
しかしオットは毎度の食事で大盛りとおかわりを繰り返すので、このハード旅をこなしながらも体重は増えたそうです。参考までに・・・。

天津飯定食
餃子定食
いまこの辺です。

本日の移動距離88km
(「妻籠宿」長野県南木曽町~「鵜沼宿」岐阜県各務原市)

DAY8につづく・・・


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