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人と文化と空間と

この町に来る前、私は東京の杉並区に住んでいた。
杉並区というのはJR中央線の西荻窪〜高円寺の4駅を含む、東京23区の中でもサブカル色の濃い地域である。
私は大学卒業後に吉祥寺の外れに移り住んで以降、ずっとこの中央線沿線エリアに憧れを抱き続け、その周辺にまとわりつくように住み続けてきた。
といっても友達のいない私はそこまでサブカル沼にどっぷり浸っていたというわけでもなく、なんとなく文化的な人とお近づきになりたいが、自分が何者であるかを説明できる明確な肩書や趣味を持たず、そもそも人とのコミュニケーションそのものに難がある性格も相まって今ひとつ人と親しくなるキッカケが掴めず、一人で悶々としながら人の輪の外れでモジモジしているといった隠キャムーブをかましつつヒマで孤独な時間を持て余していた。今思うと本当にどうしようもない青年期だった。

そんな中でも、やはり私にも好きなものはあった。
私はオタク気質ではないので何一つ突き詰められた分野はないのだが、映画は比較的好きでその中でもミニシアター系やドキュメンタリー映画を好んだ。特に渋谷の某ミニシアター系映画館が好きでよく足を運んでおり、一時は会社説明会にも参加してみたりしたことがある(が、求める人物像のレベルが高く労働環境はブラックだったので、結局応募には至らなかった)。
また、映画以上に好きなのは音楽であった。といっても友達がいないので情報を得る手段がなく、たまに新宿へ行く機会があるとタワーレコードに寄っては何時間も試聴機を聴き漁った。そして限られた予算で買ったCDを家に持ち帰り、限られた情報を頼りにネットで詳細を検索したり関連するアーティストを調べたりした。お金がないのでライブに行くことはほとんどなく、家でのリスニングがメインだった。

今私が住んでいる過疎の町にはミニシアターどころか映画館そのものがなく、当然タワーレコードもない。Netflixを開けば様々な映画が見られるし、AppleMusicを開けば世界中のどんな音楽も聴き放題なのだが、同時に自分には全く関係のない情報も大量に流れ込んでくる。その中から自分が本当に興味を持てるコンテンツを探し出すのは至難の業であるように感じる。

そんな時代に若者がまだ見ぬ未知の文化に出会う方法として有効なのは、やはりかつて私がしたような「足を使った探索活動」ではないかと思う。SNSのタイムラインを追っているだけでは上から下へとただ流れ去ってしまうだけの情報も、自分で歩いて辿り着いた場所で得たならばその価値は大きく変わり、そこへ辿り着くまでの行程も含めた「体験」として記憶に残るのでより深く自分の中へと刺さってくるのではないだろうか。
一人で電車に乗ってチケットを買って並んだ映画の待ち時間。そのロビーで手にしたまだ見ぬマイナーな映画のチラシ。あるいは知らない音楽ジャンルのコーナーで、恐る恐る手に取ったヘッドフォンから流れる聞いたこともないような異国の音楽。そういった身体感覚を伴う体験にこそ一回性の価値があり、五感全てのアンテナが立った状態でキャッチする鮮明な出来事として記憶に残り、その後の人生さえも変えうるような貴重な出会いとなる可能性があるのではないだろうか。

もし私がこの町のためにできることがあるとするならば、そういう「人と文化が出会える場所」をひそかに作りたい。誰とも話せず、世界が広がるきっかけを掴めずにいる人にもそっと居場所を提供しつつ、ここではないどこかへとつながる秘密の入口を黙って示してあげられるような、そんな不器用で優しい世界を作りたい。私はそのために必要なのは、カタチのない情報の流れのようなものではなく、「場所」や「人」といった物理的なモノの存在だと思っている。とくに「人」の存在が大きいので(どのような「場所」となるかも「人」次第なので)、ちゃんと「人」の介在する空間を地域の中に作っていくことが重要だと思っている。その「人」の役割として自分が適任であるのかは微妙だが、不器用な私にしかできないことや作れない空間があると思う。それを形にしてみたい。

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