遅ちゃん

過疎自治体に住む自称グラフィックデザイナー

遅ちゃん

過疎自治体に住む自称グラフィックデザイナー

最近の記事

消滅可能性自治体と呼ばれて

娘と夫に挟まれて、自分の咳で目を覚ます午前5時。 昨日知人と交わしたDMを思い出しながら、 私がこの町に対して感じる抒情性のようなものは何だろうと思い、スマホで「抒情性」の意味を調べる。 スマホの向こうにある娘の可愛い寝顔をチラチラ覗きつつ、 背後から「ブーン」と唸るように響く夫の鼾を聴いている。 鼾が突然途切れたかと思うと、夫の口がピャッピャと動き 「タッ」とか何とか裏声で変な寝言を洩らした。 もうほんとやめて。笑いを押し殺すのがしんどい。 そう思いながら鼻でため息をつくと

    • 「社会で求められていることを書く」

      私がなんで文章を書き始めたかというと、 まぁ身の回りに起きた出来事の記録と思考の言語化 というのが主な目的なんだけど、 さらにその目的は何かと突き詰めて考えた時に、 浮かび上がるのはやっぱり単なる自己満とかではなく 読んだ人の心に何かしら残るものがあることを信じてる というのが本音だと思う じゃあどういう人に何を残したいのかというと 私は自分のことしかわからないから 当然「自分と似たような人」に向けて書いているわけで 「自分と似たような人」というのを具体的に表すと たとえ

      • 東京生まれガチポエ育ち 孤独な奴は大体友達

        夢と希望、学びと成長をキーワードとするキラキラポエム、 通称キラポエが世の中を席巻する中、 ひっそりとここで肩身の狭い思いをしている人間がいる。 私である。 いつの頃からか記憶にないが、私には詩を書く趣味があった。 おそらく小学校高学年ぐらいの頃に、 国語の授業で詩を習ってからのことだと思う。 その頃私にはちょっと変わった友人がいて、 土曜か日曜になるとよく私の家にアポ無しで凸してきては 二人でチャリを並べて図書館へ行くという謎の習慣があった。 今思うと気持ちの悪い小学生

        • 勝ち取るに難しく、育むに難しいもの

          産婦人科医のsaboさんのVoicyを聴いていたら 知っている詩のことを話していたので 本棚を漁ってみたら、あった。 吉野弘の『贈るうた』という詩集だ。 その中の「奈々子に」という詩と、 「祝婚歌」という詩についてsaboさんは語っていた。 そしてその「奈々子に」を読んで 無事に今ボロ泣きしている。 根っからのポエマー気質である私、ちょろいものである。 saboさんも言及していた一節を引用しよう。 これを読んで思い出すのが、 子育てとはあまり関係ないのだが 大学1年生の

        消滅可能性自治体と呼ばれて

          ポエムという言葉が排除するもの

          美しいものに心を動かされることの 何がいけないのだろうか 目に見える現実の中から救いを見出すことの 何が幻想なんだろうか それを私は絵空事とは思わない なぜなら目の前の現実から 確かに自分が感じ取ったことだから この世は確かに汚泥まみれかもしれないけれど その汚泥に自分が飲まれてはいけないと思ってる 汚泥の中にキラリと光る砂金を見つけることが この世を生きる救いになっている 汚泥の中に浸かってお互い慰め合ったり そこから抜けようとしている人に再び汚泥を浴びせたりして そ

          ポエムという言葉が排除するもの

          私の心を殺す母との40年間

          気が重い。とてつもなく重い。 何がそんなに重いのかというと、 明日は実母との旅行なのである。 私と実母の関係は、 一般的に見てそこまで折り合いが悪いわけではない。 むしろ、はたから見ると仲が良いように見えるらしい。 東北の過疎地に移り住んだ今もこうして家族旅行に出向くなど、 なんだかんだ言って家族仲良いよね、と友人には思われている。 しかし、それは私がひとり心を殺して付き合っているだけなのである。 なぜなら私が実母を苦手だからといって、 娘に祖父母との交流機会を与えないのは

          私の心を殺す母との40年間

          既に出来上がっているコミュニティに、後から入るということ

          もしかしたら自分は双極性の何かではないかと思うくらい、 衝動的に新しいことを始めてそのコミュニティに参入したのだけれど、 あまりに性急に周りに馴染もうとしたために 勝手に一人でつんのめって転んで骨折するみたいなことが起こった。 それで多分誰にも気づかれずに一人めちゃくちゃ落ち込んでいるので 今は急激に逆の方向に向かって気持ちが退いていってる。 新しいコミュニティに入っていくたび、 毎回こんなことを繰り返している気がするから やっぱり自分は双極性の何かかもしれない。 一口に

          既に出来上がっているコミュニティに、後から入るということ

          私と彼女が心を馳せる辺境の音

          にわかに心が沸き立つ出来事がありこれを書いている 私には友達がいないと常々書き散らかしているのだけど、 東京を離れてここへ来る時見送ってくれる人たちはいた 音楽を通して知り合った仲間たちだった それぞれのつながりはバラバラで 色々なところから寄り集まってきたゆるやかな集団だった 私は彼らと一緒にイベントで歌ったりDJもどきのようなことをしていた 中心となるメンバーたちがそれぞれ子育て期に入り またコロナ禍もありイベントは一時休止していたのだけれど なんと今年、子連れOKの日

          私と彼女が心を馳せる辺境の音

          過疎の町から私が辿る獣道①

          私は鼻が利く方だと思う。 物理的な身体能力の話ではなく、感覚的な意味の話である。 夫の故郷であるこの町に移り住んで以来、私にはまだ友達と呼べる友達がいない。それは第一に私のコミュニケーション能力が壊滅的に低いのが原因なのであるが、もうひとつは「自分と本当の意味で気が合いそうな人にまだ出会えていない」という現実でもある。 前回の記事に、私はコミュ障であるがゆえ、人に頼れず自分自身の「足を使った探索活動」により細々と趣味の世界を切り拓いてきた、というようなことを書いた。それは

          過疎の町から私が辿る獣道①

          人と文化と空間と

          この町に来る前、私は東京の杉並区に住んでいた。 杉並区というのはJR中央線の西荻窪〜高円寺の4駅を含む、東京23区の中でもサブカル色の濃い地域である。 私は大学卒業後に吉祥寺の外れに移り住んで以降、ずっとこの中央線沿線エリアに憧れを抱き続け、その周辺にまとわりつくように住み続けてきた。 といっても友達のいない私はそこまでサブカル沼にどっぷり浸っていたというわけでもなく、なんとなく文化的な人とお近づきになりたいが、自分が何者であるかを説明できる明確な肩書や趣味を持たず、そもそも

          人と文化と空間と

          出来損ないの作り方①

          私はプロフィールに自称グラフィックデザイナーと書いており、世間的にも一応フリーランスデザイナーということにはなっている(実際に税務署に開業届も出し、ごく僅かながら収入も得ている)が、学生の頃からデザインを得意と思ったことは一度もないし、何なら職業にしたいと思ったこともない。 幼い頃から創造性に欠けており、見たものを見たままにしか描けないし、既成概念にがんじがらめになってつまらない発想しかできないし、何より視覚的な想像力においては皆無と言っても過言ではないので、職業欄にデザイナ

          出来損ないの作り方①

          鏡の中の醜い自分

          書いたばかりのnoteを翌日には非公開にした いつもそんなことばかりしている 私が何かを書き記すことは 結局この世に生き恥を晒すことにしかならないからだ 書いた文章を自分で何度も見返して この気持ち悪さは何だろうと考えた すると元彼に近況を尋ねられて内心得意気になり 別に無視すればいいのに嬉々として返信している そんな自分のさもしさに気づいてゾッとした 鏡の自分ばかり見つめて 背後に立つ夫の視線に気付かぬ私の愚かさよ 文章を書くといつもそういう自分の醜さと 向き合わざるを

          鏡の中の醜い自分

          過疎地と私

          机に向かって 耳栓代わりのイヤホンで音楽を聴いている 最小限の音量で聴いている 最小限の音量ですら考え事の妨げになり うっかり音量下げるボタンを押して無音になる 無音になると今度はストーブの音や 窓の外を走る新幹線の音が気になり 集中の仕方がわからない 田淵未来さんのnoteを読んで バケットリストという言葉を知る 「死ぬまでにしたいことリスト」のことらしい 彼女はどこでこの言葉を知ったのだろう 10も歳上の私が知らない世界を彼女は知っている かく云う私は死ぬまでに自分が

          過疎地と私