見出し画像

過疎地と私

机に向かって
耳栓代わりのイヤホンで音楽を聴いている
最小限の音量で聴いている
最小限の音量ですら考え事の妨げになり
うっかり音量下げるボタンを押して無音になる
無音になると今度はストーブの音や
窓の外を走る新幹線の音が気になり
集中の仕方がわからない

田淵未来さんのnoteを読んで
バケットリストという言葉を知る
「死ぬまでにしたいことリスト」のことらしい
彼女はどこでこの言葉を知ったのだろう
10も歳上の私が知らない世界を彼女は知っている

かく云う私は死ぬまでに自分が何をしたいかなんて
考えたこともないから生に対する執着は彼女に劣るのだろう
死ぬまでにしたいこと
死ぬまでにしたいこと・・・
私は自分の生きた痕跡をこの世に残したくない
(心配しなくても何も残るものはないのだが)

強いて言うなら何の不安も心配もなく
安心できる寝床で心置きなく眠りたい
それぐらいの自堕落な望みしか浮かばない

私の夢は赤ん坊に戻ること
周りにいる全ての人から庇護され
誰からも責められることなく
存在そのものを許されること
全ての憎しみから逃れられること

またそんな生産性のない回避的空想に耽っていたら
背後から夫がぬるっと部屋に入ってくる気配がしたので
慌ててこの駄文を打ち付けているメモ画面を隠す

振り返ると夫が何やら薄ら笑いを浮かべている
何か楽しいことでもあったのだろう
ウザかったが「何なの?」と一応尋ねてみる

「いやチョット面白い映像を見てね」
「僕にとってはね、面白いんだけど」
いちいちことわりを入れてくる
多分詳しく聞いて欲しいんだろうが、
勿体ぶるのがとにかくウザい

曰く「太陽光だけで車を走らせている人がいる」らしい
(またこの手の話か)と脱力しながら肩で笑いつつ
詳しく聞くのが面倒なので「検索するから名前教えて」と尋ねると
ニヤニヤしながら「ノブくん」とだけ答える夫
誰だよそれは、友達かよ…
※夫はよくある「副業で簡単に稼げる話」とかではなく、この手の「お金をかけずに◯◯する話」の類が大好きなのである

検索するとトップに取材記事のようなものが現れた
どうやらノブくんという人は
岡山で自給自足の暮らしをする人らしい
単なる自給自足ではなく、
パーマカルチャーなるものの実践者であると
そのネット記事には書かれていた

パーマカルチャー…
どこかで聞いたような単語だ
それもごく最近目にしたばかり
どこで目にしたのかというと
元彼からの10数年ぶりのショートメッセージだった

元彼はSNS上で私を探したけれど見つからなかったので
電話番号でメッセージを送ってみたのだという
(私は定期的に人間関係をリセットしたくなるきらいがあり、SNSのアカウントをしょっちゅう変えたり消したりしている)
自分にも家庭があるくせに、
わざわざかつての電話番号を辿ってまで私に連絡をしてくるのはどういうつもりなんだろう

私には何となくわかっている
彼は私からブレインピッキングをしたいのだ
今の私が何を考え、どういう暮らしをし、
何に心惹かれているのかを知りたいのだ
そしてそれを自分の肥やしにしようとしている

私は意地悪だから元彼からの質問に
「今は念願の田舎暮らしをしているよ」
とだけ答えた
そしたら何か訳のわからないことを色々尋ねてきて
その中にパーマカルチャーという言葉があったのだ
まるで私が当然それを知っているかのような口調だった
(彼は昔からこのように、自分がどこかで聞きかじった単語を当然相手も知っている前提で話を振ってくることが多く、しかも謎にカタカナ用語が多いので交際当時からよく私をイラつかせていた)

私は例の如くイラつきを隠すこともなく
「何なんだ、パーマカルチャーって」
「何になりたいんだ、君たちは」
とつっけんどんにメッセージを返した
すると返事はそこで途絶えた

まじで何なんだ、君たちは
私に何を求めているんだ
自分たちの暮らしのことは自分たちで好きに話し合えばいいじゃないか
ここは東北の過疎地で特に目立った観光資源もなく
かといって全く不便な山奥でもなく
立派な国道と高速道路のICと
鉄道の駅と新幹線の線路があり
スーパーやコンビニや総合病院もあり
生活するには何ら困ることはない
なのに人口は減っていく一方の
よくある少子高齢化の一途を辿るごく普通の田舎町だ
過疎地のくせに変に利便性は良く
パーマカルチャーとは縁もへったくれもない
そんな現実の田舎町なのだ

そしてその「現実の田舎町」での暮らしを敢えて選び
ここに骨を埋めるべくして移り住んだ私がここにいる
世の中に何も残したくない私にとってこの町はちょうどいい
自分とは価値観の相容れない肉親や
さして思い入れのない出身地と訣別するのにもちょうどよかった
そう私は自分の過去から物理的にも精神的にも
距離を置くためここへ来たのだ

この町はそんな私のことなど露も知らず
よそから来た者を無条件に受け入れる寛容性と
程良い無関心さをもって適度に突き放していてくれる
そういう空気感に私は助けられている

このnoteはそんな私がこの町で何を考え
どのように暮らしているのかを記録するものである
(勿論元彼にはここのことなど教えない)

初めに断っておくと、私はこの町を愛している
それはこの町が私の愛する夫を生み育てた町であり
またその親たちを代々育てた土地でもあり、
これから娘が育っていく町でもあるからだ
私はここでこうしていのちをつなぎ、
過去から連綿と続く歴史の一部になることができれば本望なのだ
それは自分の生きた証や痕跡などというものではなく
土地や時間の一部として同化することを意味する
私は私になりたいのではなく
風景や人の営みや歴史の一部になりたいのだ

昔から空気になりたいと思っていた
この町は私が空気でいることを許してくれる
だから私はこの町のために
自分には何ができるのかを常に考え
日々そのことで頭がいっぱいなのだ
付け焼き刃のパーマカルチャーになど、
うつつを抜かしている暇はないのである

これは名もなき一人の中年女性である私の
過疎地における現実の暮らしの物語である

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?