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消滅可能性自治体と呼ばれて

娘と夫に挟まれて、自分の咳で目を覚ます午前5時。
昨日知人と交わしたDMを思い出しながら、
私がこの町に対して感じる抒情性のようなものは何だろうと思い、スマホで「抒情性」の意味を調べる。
スマホの向こうにある娘の可愛い寝顔をチラチラ覗きつつ、
背後から「ブーン」と唸るように響く夫の鼾を聴いている。
鼾が突然途切れたかと思うと、夫の口がピャッピャと動き
「タッ」とか何とか裏声で変な寝言を洩らした。
もうほんとやめて。笑いを押し殺すのがしんどい。
そう思いながら鼻でため息をつくと、
今度は目の前の娘が寝ながらかすかに笑っていた。
愛らしい人たち。
この世にこんな癒しが存在することを、
18〜19歳頃の私は想像すらもしなかっただろう。

首都圏にある私の実家の周りには、
商店街がなかった。
あるのは道路とオフィスと箱物の商業施設と、
新幹線とだだっ広い河川だけ。
私はそこで灰色の青春時代を過ごした。
人の温かみのない、空虚で人工的な自分の街が嫌いすぎて、
大学入学と共に行動範囲が広がった私は
都会とは逆方面へ逃避した。
大学へ通うのに、一度八王子まで出てから
東京の真ん中辺りまで引き返す必要があったのだが、
その途中で別の路線へと逸脱したのだ。
JR相模線という、寂れた路線の存在を知ったのはその頃だった。
電車を降りる時、開閉ボタンを押さなければドアは開かない。
無人駅の存在を知ったのもその時だ。
電車を降りるとすぐ目の前に田んぼが広がっていた。
神奈川県を横浜という虚飾の文脈でしか知らなかった私には
衝撃的な光景だった。
視界は少なくとも灰色ではなく、緑色だった。
田舎への憧れが芽生えたのもこの頃だったのかもしれない。

今住んでいるこの過疎の町には、
電車は1時間に1本しか来ない。
町内に駅は二つあるけれど、一つは無人駅だ。
私は有人駅の方の近くに住んでいる。
日中は町中でほとんど人を見かけないのだけれど、
1時間に1本の電車が近づく時間になると、
どこからか駅に向かって人が集まりだす。
私はそれを見て、ああこの町にはちゃんと
人が住んで生活を営んでいるんだなぁと安心する。
開いている店は少ないけれど、商店街もある。
美容室や理髪店があり、パン屋や文房具店や郵便局や
新進気鋭の洋菓子店もある。
私はこの町へ越してきて、
その風景の一部になれたことが嬉しい。

「喰われる自治体」などという、
不名誉な称号を与えられ
全国の晒し者になっている一面はあるけれど、
その論調は町で実際に生活を営んでいる私たちとは
やや温度差があるように感じる。
この町に流れる空気はもっと平和だ。
平和だからこそ、その空気を壊さないよう、
私たち一人ひとりが意識的にならなければいけないなぁと思う。
家は人が住まなくなると一気に傷みが進むというけれど、
町だって人が住まなくなったら同じことだ。
今と変わらない生活を営むには、人が必要なのだ。

世の中全体で人が減っている今、
町の衰退は免れないということは頭では理解している。
それに抗おうとする意思の源はノスタルジーでしかないことも、
悲しいけれどよくわかっている。
私たちの町が消滅可能性自治体と呼ばれていることも、
しかも周りの似たような地域よりも早いスピードで
その可能性が高まっていることも知っているけれど、
でも娘を連れてこの町へ移り住んできた以上、
そのスピードをできるだけ緩やかにしたいと私は願ってしまう。
その想いを文章にしたためたなら、
やっぱりそれは抒情詩になるのだろう。
いずれ消えゆく運命にあるからこその抒情性。
いいじゃないか、皆で守ろうとしたって。

ただそれは、一人ひとりが自覚的にならないと難しいことなのだ。
少なくとも私は、
町のCI(コーポレートアイデンティティ)が
おかしな方向へ定められようとしている時に、
必死でパブリックコメントを書いてそれに抵抗した。
自分一人が争ったところで
その効力はタカが知れていると思ったけれど
東京から来た変な人たちに町の未来を勝手に方向づけられるのは嫌だった。
私だって東京から来たのには変わりないんだが、
少なくとも今はこの町に住んで生活しているのだし、
娘を育てているのだから未来に対して物言う権利はある。

パブリックコメントは全部で5件しかなかった。
そのうち別紙にまとめられた長文の意見は
私の他にもう一人いた。
私以上のめちゃくちゃ長文だった。
誰が書いたのか、おおよその予想はついた。
それくらいの小さな町だ。
小さな町だからこそ、
ひとりひとりが意識的になって関わっていけば、
その影響力は自分たちの思っている以上に大きくなり、
変な虫に食い物にされることはもっと少なくなるはずだ。
そのためにも私は自分の恥をかき捨ててでも、
この町の人と関わっていきたい。
もっとこの町の人と話したい。

だから私に話を聞いて欲しい人は、
ぜひ私とお友達になってください。
私が代わりにあなた方の物語を書きます。

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