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私の心を殺す母との40年間

気が重い。とてつもなく重い。
何がそんなに重いのかというと、
明日は実母との旅行なのである。

私と実母の関係は、
一般的に見てそこまで折り合いが悪いわけではない。
むしろ、はたから見ると仲が良いように見えるらしい。
東北の過疎地に移り住んだ今もこうして家族旅行に出向くなど、
なんだかんだ言って家族仲良いよね、と友人には思われている。
しかし、それは私がひとり心を殺して付き合っているだけなのである。
なぜなら私が実母を苦手だからといって、
娘に祖父母との交流機会を与えないのは親としてのエゴだと思うからだ。
娘はたまにしか会わない祖父母のことを嫌いではない。
むしろ可愛がってくれる祖父母のことをそれなりに慕っている。
娘はまだ小さいし、普段は彼らのことを忘れて過ごしているから、
別に自分から会いたいと言い出すこともないのだが、
会えば人見知りすることなくすぐに甘えられるくらいには懐いている。

だが、私は彼らが、特に実母が苦手だ。
理由はどこから話せば良いのかわからないが、
まずもって実母とは全く価値観が合わないのである。
にもかかわらず、合わない価値観を無遠慮に押し付けてくるのだ。
話していても、母は途中から全て自分の話に持っていってしまう。
傾聴という概念は、恐らく母の中には存在しない。
それでも母は悪気がなくて、
しかもはたから見ると明るくて一生懸命な人だから、
そんな母の悪口を言う私は一層分が悪くなってしまう。
いわゆる毒親ではないのだけれど、
母といて私は長年自尊心を削られ続けてきた。
娘の心を無意識に侵食し続けるKYモンスター、
それが私にとっての母なのだ。

母の口癖はこうだった。
「ハイ、働いて家を出たら好きにしてくださいw」
私の意見は全てそうして流されていた。
つまり家の中では母が絶対的な権力者であり、
私に発言権はなかった。
そういう日々に私は自己肯定感を極限まで削り取られ、
自分はこの社会にとってお荷物でしかなく、
生きている価値などないと思わされるに十分だった。

そんな日々だから、私は自分のやりたいことに
自信を持つことができなかった。
お金にならない仕事などこの世では無価値であり、
自分の才能を信じることは痛々しい絵空事でしかないと、
自分で自分を否定し続けることしかできなかった。
この家では働いて収入を得ることこそが正義であり、
それ以外の絵空事は口に出すことすら憚られた。
だから私にはやりたいことがあったにも関わらず、
心にもない大学進学とその先の就職を目指す以外に道はなかった。
自分にできるのは国語と英語と絵を描くことだけだったから、
それさえあれば受けられる美術大学への進学を選んだ。
7つ受けたうちの第7志望の進学先だった。
本当なら受験したくもなかったが、
予備校の先生にバインダーで頭を叩かれて
無理矢理志望先の一つに加えた結果、
残念なことにそこしか受からなかったのだ。
浪人は許されていなかった。
結果的に私は大学1年目で周りに適応できず、
卒業まで5年かかってしまったのだから、
この時浪人していればまだ違う未来があっただろうにと
いまだに悔やんでも悔やみきれない。

結婚相手を決める際にも私は母の視点に立っていた。
自分の性格上サラリーマンとは合わないことがわかっていたので
それ以外で世間的に受け入れられる安定的な職業は何かと考えて
公的な仕事に就いている人ならいいだろうと思った。
その時結婚したのは「清掃業の人」だった。
決して収入は高くないが、公益性のある仕事ならば
きっと親も結婚を認めてくれるだろうと思ったのだ。
事実、親はそのゴミ回収の人との結婚を歓迎してくれたが、
私はと言うと正直迷いがあった。
自分が本当にその人を好きかわからなかったのだ。
そうして幸せになれる確証は持てないまま、
私は親への恩返しだけをその時の至上命題として、
結婚式当日はプレッシャーと睡眠不足で屍になりながら
無事親への感謝の儀を終えた。

この時まで私は全く自分が
母親の価値観に毒されていることに気づいていなかった。
たとえ自分の本心とは違っても、
親の言う通りに人生を進めていれば
いつかは幸せを感じられる時が来るのだと、
そう信じていた。

ところが私の期待は早くも打ち破られた。
結婚3年目の秋、ふいに虫の知らせを感じて夫の携帯を覗くと、
そこには私の知らない複数の女性とのやりとりがあったのだ。
私は震える手でLINEのトーク履歴を自分のスマホへ送った。
一人は確実に身体的な接触を持っていることがわかった。
ほかのふたりはどういう関係かはわからない。
おそらく一人は昔からの地元の友人で、
もう一人は悪友との飲み会でナンパした相手のようだった。
どちらも夫が平日休みの時に、二人で出かけた形跡があった。
私は悩んだ末に、その夫とは別れる方向へと舵を切った。
実を言うとそれまでの3年間も決して幸せではなかったのだ。
夫は子どもは欲しくないと言うし、
年収は私より低かった。
結婚したのに一人暮らしの部屋から引っ越す気配もなかった。
タバコはやめると約束したのに、隠れて何度も吸っていた。
ソシャゲに課金し、給料とほぼ同額の督促状が来たりもした。
私は、このままではいけない、いずれ破綻する時が来ると、
最終的に夫の浮気を好機と捉えて動き出したのだった。

そんな出来事があり、夫や義家族との話し合いの最中、
私は泣きながら母へと電話をした。
こんなことがあったんだよ、ひどいよね、
もし離婚するとなったら、味方してくれるよね?
母の返答は驚きのものだった。
私がここまで苦しんでいるのに、
離婚を反対したのだ。
「もう少し待って、よく考えてみて。
 後で後悔するかもしれないよ?」と。
この時私の中で、何かの糸がぷつりと切れるのがわかった。
もうだめだ、
私はこの人の言うことを聞き続けていたら、
このまま一生幸せになることはない。
そうして私は母の意見を振り切り、
当時の夫と離婚し、
今の夫と巡り会うことになったのだ。

今の夫と巡り会ってからは、全てが好転していった。
苦しかった正社員の仕事も辞めた。
将来家を買うために貯金していたお金も
惜しげなく使って美容にお金もかけたし、
ふたりで海外旅行にもたくさん行った。
自分の人生は自分のために使っていいのだと、
初めてそう思えた数年間だった。
そして幸運なことに娘を授かることができ、
今の夫と正式に再婚することになったのだ。
私は人生に悪影響を及ぼす実親から離れるため、
夫の故郷であるこの東北の町へと移住することを決めた。

からの、明日の旅行である。
気が重くて仕方がない。
できることなら、一生離れて暮らしたいのだ。
私は今が幸せだ。
この生活に侵食してきて欲しくない。

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