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嫌いな教育論

はじめに

 今日の内容は、10年以上教師をしていて、理想だけでなく、実感も含めて、「これは納得いかない」「やりたくない」と思う教育方法について、書いていきたいなと思います。科学的にこっちの方が正しいんだとか、時代の流れ的にこうあるべきだみたいなのはあるんだろうけど、あくまでも嫌いというオレの感想だと思って読んでほしいな。やっぱりやるからには自分のやり方納得して向き合いたいしね。もちろん、オレが嫌いなだけだから、やっている人は否定しない。いろんな考え方で、いろんなやり方で、いろんな個性の先生が教育すべきだからね。横並びなんてつまらんし。ということで、書いていきます。

嫌いな教育

1 探してでもほめる教育

 昨今の教育はとにかく「ほめろ」の大合唱。ほめるところが見つからないのは、教師のせい探してでもほめろと言われることもある。そして、先生からだけでは足らないのか、帰りの会で今日の友達をほめるコーナーなんか作ったりする。決してほめる行為が悪いわけじゃない。オレもすごいと思ったらほめる。でも探してなんとか見つけた大したことないこともほめてたら、ホントにすごいと思ってほめたときに、その言葉が相対的に弱くなってしまう。「狼が来たぞー」状態で、言葉への信頼が低下してしまう。「いつもは厳しいけど、あの先生にほめてもらえたなら間違いない」というような言葉の重みをもった教師でありたいと思う。それに加えて「ほめられるからやる」みたいなのは違う気がする。ニンジンぶら下げて、走らされてる馬になってしまう。自分の思いで、やるべきことをする。それが主体性なんだから、ほめることによる外的要因で走らせても意味がない気がするんよな。

2 教えない授業

 これはアクティブラーニングとかいうブームに対して感じていることだね。実はオレはこの考えに対しては、一定レベルを越えた生徒においては大賛成。つまり自分で考えたり、答えを出したりする、ベースの学力がある人はこれがいいと思う。ただ、オレが受け持っている国語で言えば、そもそも根拠を見つけながら文章を読めないもの同士が議論しても、そもそもそれぞれの考えが未成熟すぎて意味がないという大問題が生じてしまう。小学校でロジカルな国語を身につけて進学してくる割合が大きくなれば変わるだろうが、今の教育ではそうはならなそうなので、オレの国語は論理的読解のベースを身に付けるために、「教える」授業にしていきたい。

3 怒るな 叱れの教育

 怒るとは感情の入った状態、叱るとは冷静な状態を指す。もちろん怒りすぎて我を失うようでは教員失格だけど、オレは感情のない言葉では人はなにも感じないと思っている。人の心を動かすのは「人の心」しかない。ほめるときも怒るときも、オレはしっかり心をのせて言葉にしたい。教師も人間。人と人のコミュニケーションを図りたいな。ちなみに「先生が怖いと思わせてはいけない」みたいな話もあるけど、これも納得いかない。怖いままで、理由が理解できなかったらあかんけど、スタートは「先生が怖いからやらない」でもいい。そこから、しっかり声をかけたり、関わりをもってその理由を理解させていく。そういうステップしか踏めない生徒も現実問題いるからね。

4 競争させない教育

 昔から話題になる「手を繋いでゴールする運動会」みたいなやつやな。比べなくていいんだよ自分は自分でいいんだよって。人としての存在価値はそれでいい。でももっている能力はやっぱり人と比べなきゃわからん。自分は頭がいいのか、運動が出来るのか、喋りが上手なのか。自分の特徴を理解せずに社会に出たら、どう戦っていいかわからんくなる。そして、競争のなかで切磋琢磨して、伸びていく。社会に出たら、業績とか数字でさんざん比べるクセに学生時代だけその現実から目を背けさせてもなんの意味もない。教育もできるだけ社会とシームレスにしていくべきだ。

5 至れり尽くせりの教育

 なんでもかんでも、親や教師がでしゃばるのは間違いだ。友達作りが苦手なら手伝ってあげる。ん?そんなんいくつまでやってあげるん?もちろんアドバイスや手助けはしていくけど、手の貸しすぎはあかん。家でやるべきことはちゃんと家にやってもらう。今の教育は欲張りすぎで、しゃしゃりすぎ。家庭のことは家庭に。個人のことは個人に。正しく返し、正しく手を引く。やってあげるだけが親切じゃない

おわりに

 最後にもう一度確認しておくけど、オレはこのオレの考えが「正しい」と言っているんじゃなくて、「こういう教育が嫌い」だと言っています。だからオレはそれに基づいたやり方で子どもと向き合っていきたい。こだわりが強くて、めんどくさいやつなんです、オレは(笑)でもこのこだわりが仕事への誇りにつながる。誇れない仕事してたらつまんないでしょ?ただ、考え方は変わっていくもんだから、オレ自身もずっとこの考え方かはわからない。定期的に自分の考えを整理しないとなぁ… 

それでは、今日も一緒にいい日にしよう。

おまけ(名言&TikTok) 

学校の勉強ができなくたって、
人間として社会人として
成功して生きていくことはできる。
でも、学校の成績という
物差しで測ったときに、
自分が何センチかということは
知っていろよと言いたい。

By 高橋 滋(法学者)

 別に勉強できないなら、出来なくてもいい。同じように運動できないなら出来なくてもいい。でも、何がどれくらい出来るのかは正しく知らないといけない。自分のパラメーターを正しくつかまないと、自分をいかしきれない。そういう意味で、自分と向き合うことから、目を背けてはいけないと思う。


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