帰宅して玄関のドアを開く瞬間、「自分の時間の使い方が上手になったな」と思った。社会人になりたての頃は土日を活動的に過ごせない人間だった。 しかしきょうはすごい。朝から初めて行く皮膚科にかかり、初めての薬局で薬をもらい、一旦帰宅してレイトン教授の続きをプレイしながら身支度をし、初めて行く紀伊國屋ホールで演劇を鑑賞し、初めて行くラーメン屋で1,750円のセットを食べた。初めてだらけ! それからカフェで仕事をし、溜まっていたLINEなんかも返したりして、ひと段落。帰りがけにちょっと
童謡の「浜辺の歌」が好きだ。というより、海が好きなのだ。 砂浜や防波堤をぽつぽつ歩いたり、そこに腰かけて海原をぼうっと眺めていると、寄せては返す波のようにさまざまな記憶が浮かんでは消えていく。 かつて海のある街に住んでいた。私は海に向かうのが好きで、特に何をするでもなく防波堤に腰かけるのがお決まりだった。悲しいことがあった日も嬉しいことがあった日も、そうするとなぜだか全てが凪いでいった。思春期の日常に訪れるあらゆる激情も鳴りを潜め、潮風によって自分のからだの形に沿うように撫
田舎に帰っている。 どんどん街から離れていく車窓から、人々の暮らしが見える。自然の息遣いが聞こえる。 田んぼに囲まれた農道で、夕陽に照らされる幼子をカメラに収める父親。 家の軒先でひとり、譜面台の前に立ちアルトサックスを奏でるじいちゃん。 体育館前に体操着姿で座り込み、おしゃべりに花を咲かせる中学生たち。 収穫してきた作物を庭先で選り分けるばあちゃん。 広大な田畑の中でぽつんと赤く目立っている耕運機。 誰かが野焼きをしているであろう、白い煙、草の燃える匂い。 光に透けて黄
人と一緒にいて対話をしていても、全く自分の意見を曲げない人がいる。 芯があって魅力的、という場合もあるが、他人と共にあることの醍醐味は「互いに変化しあうこと」ではなかろうか。 私はやわらかな心の持ち主でありたい。 出会う人からの影響をしなやかに受け止めながら、自分のあり方を常に問い続け、必要に応じて変わり続けていたい。 見方によっては不安定に思えるかもしれないけれど、その方が一生楽しめそうな気がするんだよね。
いなり寿司ってこう書くのですね。 今日の昼はコンビニ飯だ~と思ってローソンでおにぎりコーナー眺めてたら、無性にいなり寿司が食べたくなって購入。パッケージを見ると、このように書かれていたのでした。 普段は特に意識していないけど、別の文化圏の人に説明しようとしたときに改めてその対象物の本質が露になる、ということ、時々出くわすけどその度に少し感動する。
職場の先輩のおうちに遊びに行き、私にとって何年ぶりかのお泊まり会であった。 写真は近所のスーパーで執り行われた豪遊(惣菜買いたいだけ買う遊び)を収めたもの。社会人になってもこういう学生みたいな遊びで心満たされることをつくづくアホだなと思うし、そう言って笑いあえる人と友人になれたことを心から嬉しく、そして誇らしく思う。 食べ過ぎたなと言い合いながら、ほろ酔いの足取りで銭湯へと向かった。身体の芯から温まるというのは実によいことだなぁと、これまた顔を見合わせて言い合った。風呂上
かつて私はひとりで牛丼屋に入ることができない人間だった。 ひとりで牛丼を食べている女を前にして、店員はどう思うだろう。他のお客たちはどう思うだろう。たまたま店の前を通り掛かった同級生たちはどう思うだろう。──こんなことばかり考えていたせいで、大学を卒業するまでひとりで外食をすることがほとんどできなかったのであった。 ところが今は、牛丼屋はもちろん、カラオケでもイタリアンでも立呑屋でもひとりで行けてしまう。おひとりさまマスターまっしぐらである。なお、この言葉に自虐の意味を嗅
妹の就活の相談に乗っていたら、まるで過去の私を見ているかのよう。同じことに悩み、同じ時期に躓き、同じ立ち直りかたをしている。大丈夫か…こんなところが似ていたって何も良いことはないのだよ、妹よ…。 私がみっともなくもがき苦しんだ姿をまさに隣で見ていたはずなのに、妹も同じように苦しそうにしていてなんだか申し訳ない。もっと早くに、何かしてあげられたらよかったかな。 同じ轍を踏まないための資料としてくらいしか姉の価値はないのでもっと活用してくれよな。 とりあえず近々、選考の一貫で
示しあわせた訳でもないのに、私が恋人と別れたのと時を同じくして、友人も恋人と別れていた。 二人とも恋愛経験豊富とは到底言えない経歴なので、ほぼ初めての別れ話(自分から振るパターン)というものを経験した結果、気力体力がすっからかんになってしまった。そのことが互いにわかってからこの日まで、失恋の痛みを共有しあいながら日々を乗りきってきたのだった。なお、この経験を通して「どんなに経験を積んだとしても、きっと別れ話は毎回ダメージがでかいはずだ」「世の中の皆さんはこのような辛い別れを
我が家は牛乳の消費量がえげつない。 5人家族の我が家で、母は2~3日おきに3本ずつ牛乳パックを買ってきていた気がする。いま考えるとゾッとする(経済的にもカロリー的にも)。 何にそんなに使っていたのかと思い返してみると、我らは牛乳を水であるかのようにごく自然に飲んでいたんだと気づく。水分補給としての牛乳…。 父がコーヒーを飲むときは必ず砂糖たっぷり牛乳たっぷりのカフェオレだったのでその消費量が最多ではあったが、娘の私もそれを真似てコーヒーを飲むようになった。以降、ミルクティ、
ということを恋人に言われた。 仕事を進めていくなかの要所要所で、「うん、このくらいでいいな」と自分にGOサインをテキパキ出せる人が仕事のできる人だ。というのが彼の持論だった。 私は自分のことを要領が悪いと思っていたが、彼に言わせればそうではなく決断がトロいとのことだ。ごもっともであるがゆえに刺さり具合が尋常ではない。至近距離の関係性でそんなこと言わないでください。正し過ぎて立ち直れません。 彼なりのアドバイスもくれたけど、なんかもう何も耳に入らず、自己肯定感爆下がりになっ
それは前触れなく唐突にやって来る。 目覚めた瞬間から泣きたい気分になっている朝、というものが皆さんにもおありだろうか。そばにいる人からしたらどう接していいかわからず困るだろうなと思うけど、私自身もなぜこんなことになっているのか未だにわからず困惑している。なんなら起き抜けにひと泣きしてからフツーの顔して電車に乗り込んだりしている。きっとそういう人は意外といるんじゃないかなって思っているのですが、どうなんでしょうか。 大人になるうえで大切なことの一つに「自分の機嫌を良くする術
天気予報が「今日は冷える」と告げるので、買ったばかりの秋冬物を意気揚々と着こんで出社したら午後の作業効率が最悪になってしまった。 暑い。 忘れていた。 うちのオフィスはどういうわけか冷暖房が大盤振る舞いで、大抵冬は暑すぎるのだった。まだ10月だというのに室内の空気はしっかりあたためられて、というより何だか単純にこもって澱んでいるような気もするが(換気出来てないやん!)とにかく暑い。 手足が火照って靴を履いていられない。お行儀悪く、こっそりデスクの下でスニーカーを脱ぎ脚を
秋に聞きたくなる曲、個人的No.1はフジファブリックの「赤黄色の金木犀」。あの香りが道端でふと漂ってくるだけで、どうしてあんなに切ない気持ちになるんでしょう。そしてその秋特有の何とも言えなさを、どうしてこうも巧く曲にしてしまうんでしょう。 今年も金木犀があちこちで咲く季節になった。今年の秋はひときわ、感情にダイレクトに効いてくる。そんな季節もあっという間に過ぎていってしまうんだろうな。 傷つく度に毎回平気なふりをしている人がいて、でも私には傷ついているのが分かる。だから平
お酒を飲める体質に生まれてよかった、と心から思う。 大人になって東京へ出てきて、一人で夜を渡り歩くことを覚えた。酒の場での出会い、その場限りの愉快な話題、そこで知る新しいお酒。大人になるって案外悪くないなって、お酒のおかげで思えているところがある気がする。 写真はいきつけのお店でカールスバーグを頼んだときに出してもらったキュートなグラス。次はどこでどんなお酒を飲もうかな。
毎日noteに日記を認めるようになってまもなく2週間を迎える。 これまで幾度となくチャレンジしてきたが95%が白紙のままのノートが溜まってゆくだけだった。我が家で日記にされた歴代ノートたち、ごめんよ…。 それを思えば、どうにかこうにかここまで続けられているだけでも進歩。 とはいえ更新が遅れがちなので、ちょっと気合いをいれねば。──というよりむしろ、肩の力を抜くべきか。書くからには推敲したいよなとか、あーこれも書きたいとか、欲が出てしまうので時間がかかり、結果更新が遅れる