-オル/おる-

ただのひともしくは紅茶。 好き:写真、美術、音楽、演劇、ダンス、映画など芸術全般、本、…

-オル/おる-

ただのひともしくは紅茶。 好き:写真、美術、音楽、演劇、ダンス、映画など芸術全般、本、ラジオ、眼鏡、紅茶、文房具、自然(特に空)etc。 好きなだけで詳しくはないです

マガジン

  • 半熟note

    なにかかっちりしたものではなく、半熟の状態のものを書きつけていく。 (仮)、未完、半熟、半透明、ジェル、どう呼んでもいいけど、そういうもの。

  • ある日はハチミツ、ある日はタマネギ

    • 19本

    楽しいときもあれば落ち込む日もある。感情とうまく付き合って味わっていけば、もうちょっと楽に生きられるかも。そんなことを考えるマガジンです。

最近の記事

アスファルトが凹むとき

アスファルトが凹んでいる。ヒビが入っていたり、割れていることもある。年度末になるとそこかしこで工事が始まり、そういった場所が復元される。平らなアスファルトに戻る。しばらくするとまたいつのまにか凹んでいる箇所が現れる。 アスファルトにヒビが入る瞬間を、凹む瞬間を目にしたことはない。いつどうやってヒビが入り、凹んでいるのか。疲労によるものなら、当然、人間の体重ではそうはならないわけで、比較的大きな車によるものだろう。1台でそうなるわけではなく、多くの車が通ったあと、最後の一撃と

    • 中瀬俊介個展「季節の種」を観てきた

      少し前の話。 3月7日。横浜は象の鼻テラスで開催されていた中瀬俊介個展「季節の種」(会期は2月28日〜3月12日)を観に行ってきた。自分への覚書きとして少し感想を書いてみる。 作家その人のプロフィールはこんな感じ。 ドラマトゥルクって? 中瀬さんの個展を観てみたいと思ったのは、僕がBaobabのダンス作品を10年以上にわたって観ているから。Baobabの映像を作り、ドラマトゥルクとして関わっている中瀬さんの作品をまとまって観られる機会はいままでなかったし、ご本人からも展

      • 下書きを書いて放置している記事がいくつかある。近々、最近見た個展の感想(というか自分のための覚え書き)を載せる予定。

        • 食べられるもの

          ここ数年ジムに通っている。最初は市民体育館の中にあるジムに通い、そこから24時間ジムに乗り換え、いまは24時間ジムとパーソナルジムに通っている。 いわゆる筋トレをしているのだけど、筋トレをしていると筋トレと同じかそれ以上に食べることの重要性(と難しさ)を実感するようになった。 考えてみれば当たり前で、筋肉が発達するには栄養がいる。栄養はどこから摂るのかといえば食べ物から摂るのだから、食べることは重要なのだ。 身体は食べ物から作られている。米、肉や魚、野菜などを食べる。それが体

        アスファルトが凹むとき

        マガジン

        • 半熟note
          2本
        • ある日はハチミツ、ある日はタマネギ
          19本

        記事

          半熟を書くこと

          ここに書くのか、Twitterに書くのか、マストドンに書くのか分からないけど、来年はもう少し見たものの感想とかふと考えたこととか書いていこうかと思ったり思わなかったり。 なにかかっちりしたものではなく、半熟の状態のものを書きつけていくイメージ。 (仮)、未完、半熟、半透明、ジェル、どう呼んでもいいけど、そういうもの。

          半熟を書くこと

          トマトの行方

          職場の近くでプチトマトがパックに入ったまま道端に放置されていた。 確認した限りでは1日半。最初に見つけたのが朝で、なくなっているのに気づいたのが翌日の午後1時ごろ。 買い物をした人が袋から何かに入れ替える時に忘れでもしたのだろうか(それにしては、パックは大きいのだが……)。 少し前にこんな記事を書いた。 おそらく今回は置かれ方から考えて、そのトマトは親切の跡ではない。ただ置き去りにされたのだ。 なぜそこにトマトが置き去りにされたのかも気になるけれど、どのようにしてな

          トマトの行方

          赤と緑についての連想

          生後まもない子のことを赤ちゃんというが、嬰児(みどりご)ともいう。赤ちゃんは肌が赤みがかって見えることからそう呼ばれる。嬰児はもともとは緑児と書いたのだとか。大宝令には3歳以下の子供を緑と呼ぶ規定があったことに由来しているらしい。緑のイメージは新緑や若葉から。 赤と緑を色相環で見ると補色の関係にあることが分かる。正反対に位置する色を同じ存在を呼ぶ言葉に使うのは面白い。赤ちゃん、緑児。 だとすれば、赤いきつねと緑のたぬきはどちらも子ぎつねと子だぬきだろうか。「赤いきつねと緑

          赤と緑についての連想

          ぼやぼや、まじない、瞬間凍結

          断続的に約10年くらい考え続けていることがある。それは、名付けられていない動作にはどんなものがあるだろうかということ。名付けられていない動作とは、歩く、座る、振り返るなど、その動作を表す言葉がない動作のこと。なんでこんなことを考えてるのかはひとまずここでは書かない(また別の機会に書くかもしれない)。ともかくそういうことをたびたび考えている。 たとえば、歯を磨くことは名付けられている動作だけど、もし同じ動作を歯ブラシを持たずにやったとしたら?歯を磨くような動作とは言えるけれど

          ぼやぼや、まじない、瞬間凍結

          親切の跡

          なぜそんなところに。 そこにあるはずのないもの、あるべきでないものがあると人は見てしまう。洗濯機の上に置かれた財布、電車の座席に置き去りにされたスマホ、ぶつけようもなさそうな場所に出来た痣。 電柱にキャップが貼り付けられている。ガムテープで。なぜそんなところに。 お昼を買いに出たときのことだ。キャップ(フタのことではない、帽子のほう)が電柱に貼り付けられていた。おそらくは道に落ちていたものを落とし主が気付くように誰かが目線の高さに貼り付けたのだろう。ここは住宅街だから毎日

          積ん読予備軍

          積ん読(積読と書く場合も)という言葉がある。買ったはいいがまだ手をつけておらず、積んだままの本という意味。ゲーム好きのあいだでは積みゲーという言葉もあるとか。 この積ん読というやつはある特徴を持っている。それは成長するということ。積まれた本が成長?そう、成長するのである。積ん読本Aの上に積ん読本Bが積まれ、さらにその上にはCが、さらにその上には……というように、積ん読はその高さを増していく。 床から1冊積ん読本の芽が出たらもう遅い。たけのこが成長するようなスピードで積まれ

          積ん読予備軍

          併読について

          読書のスタイルには、めちゃくちゃざっくり分けると2つのタイプがあると思う。1冊の本を集中して読み、読み終わったら次の本にいくタイプと同時並行で複数の本を読み進めていくタイプ。前者を単読派、後者を併読派と仮に呼ぶとするならば、僕は併読派に属している。たまに単読派に傾く時期もあるけれど、基本的には常時数冊を併読している。 いま併読している本は8冊。紙の本を4冊、電子書籍を4冊読んでいる。タイトルは以下の通り。 紙の本 ・小池昌代『黒雲の下で卵をあたためる』 ・森山至貴『LGB

          併読について

          外出スケッチ

          湿気に染まる風。雨雲が流れている。4分後には電車が来る。黄色い点字ブロックの内側までお下がりください。ホームに棲みついたキジバトが鳴く。決められた場所にぴったりと止まるドア。足跡が途切れ、土地は省略される。目的地までワープする、箱。今日の気圧は低い。

          外出スケッチ

          散歩スケッチ

          午後5時20分、ナトリウムランプの街灯はもう点いている。薄い雲が多くなってきた。ぼんやりと夕映え、雲の向こうにかろうじて白い月が見える。工事の跡、大量の土が台形に盛られている。うな垂れるショベルカー。風でコートが翻る、手が冷たくなってきた。ボタンを押して信号が青になるのを待つ。向かいで信号を待っている3台の車、バラバラだったウィンカーが同期する。青。新しく公園ができるらしい場所には、まだ土の色しかない。土にもいろんな色がある。坂を登る。いままで同じ高さだった車道が下に見えて、

          散歩スケッチ

          火を飼う

          立春も過ぎて、春独特のあの強い風が吹く日もあるけれど、まだ寒いなと感じる日は多い。いまもこたつでぬくぬくごろごろとしている。 うちのこたつは掘りごたつで、熱源は電気じゃなくて火。寒くなってくると豆炭(まめたん、音だけ聴くとゆるキャラのよう)という炭を大量に買ってきて、これに火をつけてこたつのなかに入れることで暖をとる。 朝起きてこたつに入ったときに火がないとがっくりくる。電気じゃないから、スイッチひとつで暖かくなるものじゃない。しょうがなくこたつから出て台所に行き、豆炭を

          【6】恐怖に関するいくつかの断章あるいは覚え書き

          せらせらさんが恐怖の機能や恐怖がどのように大事かについては書いてくれたので、今回はその記事の内容を受けつつ、僕が恐怖に関して考えていることや抱いている疑問をいくつかの断章に分けて書いてみよう。 断章なのでひとつながりの文章ではないけれど、以下の断章はそのどれもが知ることあるいは知らないことと恐怖について書いている。 知らないことで怖くないこともある せらせらさんの記事のなかに、分からない・知らない=怖い、知っている=怖くないという話が出てきた。これは感覚的によく分かる。

          【6】恐怖に関するいくつかの断章あるいは覚え書き

          【5】嫉妬を越えていく、その手前で

          嫉妬、これまた厄介な感情だ。七つの大罪にも入るくらいの感情なんだから、厄介でないはずがない。では、そんな厄介な嫉妬という感情とは常に敵対しなければならないのかというと、そんなこともないんじゃないかと思う。 それは私のものであったはずだ 嫉妬は、ある対象が自分のものであるはずなのに、そうなってはいないと感じるときに起こる感情だと考えていいと思う。 親を下の兄弟に取られてしまったように感じるとき、ある境遇によって誰かが恩恵に与っているのを目にし、「その恩恵は自分が受けるはずの

          【5】嫉妬を越えていく、その手前で