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「貨幣の信用」と「貨幣の価値」8  ―チョークで書いたルールの下に―

さて、「租税貨幣論」で発生する、(と想定されている)「貨幣の信用」は、政府と国民の関係が対等ではないため、ある日突然、政府が「貨幣と納税の義務の交換(取引)を一方的に操作をしたら『貨幣の信用』は(さすがに消滅はしないのですが)揺らいでしまう」ということを説明しました。

今回は、それ以外にも「租税貨幣論」には「貨幣の信用」を構築するには不備があることを指摘します。

それは、簡単に言うと税制度自体、「権力者の意思の下で作られた人為的にコントロール可能な制度」である、ということです。

前々回、租税貨幣論の前提と説明に次の①~④があることを示しました。

更に簡略化して書くと以下の通りになります。

①「スペンディング・ファースト」『政府』発行の貨幣を国民に配布。

②「『政府』が納税を国民に義務づけ」、配布された貨幣の一部を「『政府』が税として徴収・徴税する」

『政府』が国民から徴収することで、国民にとって是が非でも欲しい『価値ある貨幣』ということになる。

④国民は、貨幣を得るために「『政府』が提供する仕事に従事し貨幣を報酬として得る」わけです。

前章では「税率・税額」も為政者・政府の匙加減一つ、言いましたが、改めて①~④を読むと、それどころかその前提となる「制度、法整備、国民の義務の設定、貨幣には価値がある、という動機付け」の全ても「為政者・政府の匙加減の一つ」である、というが分かると思います。

全てが「為政者にとって都合よく改変することができる」ものであり、「国民にとって極めて不利な関係だ」と、私はみなさざるを得ません。

以前、私はこのように書きました。

“B.「これには100万円の価値がある」と「信用できない人が言っていた」として、あなたはそれに「100万円の価値があると信用できますか?」”

この

B.の「信用できない人」=「政府」

ということを私は言いたいのです。

さて皆さん、

何もかもが政府によって都合よく改変できる世界で、
政府が定めた空間で
政府が作った法の下で
政府が作った制度の下
政府が告げた「これには100万円の価値がある」、という宣言を、
皆さんは「信用する」ことはことができますか?


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