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飽き性・軸がブレブレ、でもチャレンジ精神はあるんじゃない?

毎日noteを朝(午前?)に書くようにして4日目。毎日全く違う内容を書いている気がする。そして、たった4日だけど少し達成感というか継続していて偉いじゃん、という自信につながっている気もする。飽き性の私は続けることが得意ではないからだ。でも、文章を書くことは好きだから、「なんでも好きなこと書いていいんだよ」って言われれば毎日湯水のように書くことができる。推敲するとなると話は別なんだけどね。そして、いつかは飽きるかもしれないね。

飽き性である。というか、一つのことにどっぷりハマるより、いろんなことに興味を持つ。子供の頃は習い事は毎日違うことをやっていてそれが楽しかったし、今も興味を持つものはあるけれど突き詰めるオタク気質みたいなものはそんなにない。大学で学んだ分野に関してはかなりオタク気質を発揮したが、むしろそれくらいかなあと思う。

軸がブレブレ、ともいえる。

私はこれまで出版・編集に憧れてその職に就いていたのだけれど、会社と合わなかったり内容に興味がなかったり仕事が多すぎたり締切に追われたり、なんだか「好き」の気持ちより「好きだったはずだからやらなきゃならない」と思ってしまっていた。結果、自分の気持ちを押し殺していたからなのか、体調を崩して休職・退職するに至った。

ただの仕事に対して、憧れを持ち過ぎていた、ともいえる。現実を知った、ともいえる。
でも、もう私には他の出版社で編集をやるという気持ちは、時間が経てばたつほどなくなっていった。辞めた直後は他の出版社で編集してやるか、みたいに思っていたけど、離れれば離れるほど、業界の雰囲気や業種職種特有の気質や働き方、目標に納得できなかったり自分が幸せに働いているイメージが持てなかったりする。そりゃそうだ、私は2社の出版社で身を粉にして働いて、心身をボロボロにしたからだ。
別に、ここでは出版社や業界が誰にとっても悪だと言いたい訳でない(言いたい訳ではないが、その可能性は大いにあるかもしれない)。ただ私の性格や気質、求める人生と、今までの高々数年の経験を天秤にかけたら、自分がもう少し楽に働ける働き方や環境が出版・編集以外にあると思うようになった。

そしてそれは最近採用試験のために勉強していた業種職種だけではない。もっと他に、私に合う環境があるように思えるようになった。転職サイトを見て、もしかしてこういうところがいいのかもしれない、と前より思えるようになった。就活時より大事にするポイントが変わった。

この考えに至るまでのこと。転職サイトでとある出版社の求人を見た後、出版社の実態を知りたくなってOpenworkを見た。そうすると私が前職の会社で嫌いだった点が述べられていた。まるで、私の前の会社の口コミを見ているかのようだった。偏見みたいに括るのは嫌だったけど、やっぱり似てるのかなと思わざるを得なかった。

頑張って毎月ハイになって校了していて達成感もあったと思っていた3年間。でも、今また1か月の間に執筆者や取材先を探して取材して原稿を書いてデザインを考えて校了する、ということを、やりたいとは全く思えなかった。

これって飽き性?軸がブレてるの?
そう捉えることもできるけど、自分は学んで、変化した、のだと思う。
幸い私はまだ20代で若い。新卒枠は使えないし、東京都の2類に応募できなくてがっかりしたけど、まあ、平均寿命や私の人生を思えば若いはず。
急いで自分の憧れで決めつけて出版社で憧れの編集者となったけれど、そこから全く違う道を、自分に合う道を探していこうと思って、自分に向き合いながら、求人を見て応募を進めてみている。

出版社を退職した直後、恋人に「憧れの職業であった出版社の編集者になって働くことができたのはすごいことじゃない」と言われた。私はそこで成功できなかったから、悔しくて悔しくてその時それを受け入れられなかった。編集者になったって、投げ出して、名前を残すこともできなくて…。(※よく考えればわかるが、ヒット作をたくさん産み続けたり表舞台に立つことがなければ、編集者は名前を残すものでもない。裏方の仕事なのだ。)
また別の大学時代の友人には、就職した後に「昔からの憧れの職に就けるなんて本当にすごいよ」と言われた。だからこそ、出版社を2社辞めたことを伝えた時、そこから逃げるように辞めたのが恥ずかしくて、就職した時に「すごい」なんて言われてしまったからこそ、数年で投げ出す形になって「すごい」なんてもう彼女には思われないんだろうなと思って、嫌だった。

でも、今は恋人が言ったことが少しわかる。きっかけは、次の職に就こうと思って思い付きのようにたった2カ月の勉強で公務員試験を受けたことを主治医に話したら、「結果がどうであれ、チャレンジしたことをほめてあげましょう」と言われたからだ。次の診察時には試験の結果が出ていてそれも報告して、落ち込んだことも伝えた。でもやはり彼は「チャレンジしたことに意味があります。そこを褒めてあげましょう。気分転換はできていますか」と言う。もちろん心療内科の仕事だからだけど、落ちたって無価値じゃなかったんだと思ったし、結果が出ずともチャレンジすることにも意味があるのだと理解ができた。(出版社は辞めたけど、結果は出なくても自分の学びにはなったことがたくさんある。)

そもそも友人に「すごい」と思われたくて仕事をするのはやめたほうがいい。私は見栄っ張りだから、かなりそういうところがあったな、とやっと自覚できるようになった。バリバリのキャリアウーマンを夢見ていたから、正社員で、表舞台に立ってキラキラしたところにいて、出世していくイメージがあった。でも、それは自分に重なっていなかった。ただ、見ていて憧れているだけで、自分が本当にそうなりたかったのかと言われると決心もついていなかった。私はバリバリのキャリアウーマンに憧れると同時に、専業主婦もしくはパートタイマ―の「母親」にも憧れていたからだ。話は変わるが、社会も変わり働き方も変わり女性の役目(という言葉自体がなくなるほど)も変わり、その変遷のど真ん中にいるから、明確な憧れを抱くのは賢明なことではないのかもしれない。

飽き性で軸がブレブレ?軸なんてこれからつくっていくし、柔軟さがウリでもいいじゃん。やりたいと直感で感じたことを全部やればいいじゃん。直感型の人間、ストレングスファインダーでも「直観」って出てるくらいだし。だからこれからもいろんなことにチャレンジしていきたい。

・・・・・・・ほーーらセーブしないとすぐに2500字。最後まで読んでくれた方、ありがとう。スキしてくれる方、ありがとう。励みになっています。

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