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違和感の余韻 -その3

時計を見ると、入店してから25分。
彼がおからを口にしてから15分。
私たち以外に、客は1組しかいない。

この間、彼はおからを2回口にした。
興味津々の私は、彼に尋ねた。

私:舌のどこを使ってる?

彼:舌の横っちょから奥にかけて、
そこに残る「余韻」に集中するのよ...。
彼の左の眉が、また動いた。

彼の言葉が、「ビビッ!」と来た。
この瞬間、こころが何かを感じた。

「なんだこの感覚は...」と数日考えあぐねた結果、
あるキーワードにたどり着いた。

「違和感」だ。

事例に出会ったとき、
私が最も大切にしている感覚が、この「違和感」。

彼の言葉を借りるなら、
「了解不能な余韻」ということもできる。

思えば私は、
「了解不能な余韻」に浸りながら、
事例理解を深める作業をしているような気がする。

了解不能な余韻を感じるために、
前提としている考え方がある。

「相手を理解することは不可能である」。

この前提を置きながら...、

・「?」と感じる違和感
・違和感が残す余韻
・余韻が共鳴する情報
・情報がつながって、余韻が消える瞬間

...このプロセスを経て、合点がいった。
「アセスメントって、そういうことだったのね!」

今さらながら、
「そういうことだったのか...」と
妙に納得している自分がいる。

おからの彼に、感謝!

「見立て」と「味覚」の共通点-【完】



冒頭の画像は、taketaketjさんのものをお借りしています。
ありがとうございます。