本当は何を書いてもいい
ほんとうは、noteやblogに、何を書いたっていいはずなんだよね。
自分でどんどんハードルをあげて、どんどん書きにくくなっている気がする。
自分なんかが発信しちゃだめだ。
発信しても意味ない、って思ってしまっている。
別に誰に何か言われたわけでもないのに。
それって、特に社会人になってから顕著な気がしてる。
アウトプットの質を気にしたり、周りにもっと優秀な人がいるから、自分なんかがやっても……って勝手に先回りして考えちゃう。
あと、自分個人で何かをゼロイチでつくって表現するような、クリエイティビティを発揮する機会があまりない。
30年生きているのに、自分には特別なものなんて何もないって感じている。
だから何かを表現しようとしたとき、さらに知識をインプットしようとしちゃう。もう勉強なんてしなくても、私は十分表現できる何かを持っているはずなのに。
日々の癒しのツールとしては、私自身ブログとかnoteとかyoutubeとか見るんだけど、自分ではそれをやってみようっていう気にはなかなかなれなくて。
それはやっぱり、日々すごくハイクオリティっていうなものを目にしてるから、ハードルが上がってしまってるのも理由のひとつかもしれない。
そういえば、ふと思い出したんだけど、
わたしが高校生の時(15年ぐらい前?)に前略プロフィールが流行ってた。(懐かし〜!)
ホームページ作りを友達集めてやったり。
すごい流行ったし、周りの友だちもたくさんやってた。
だけど、あの時ってクオリティもクソもなくてw
ホームページに置いてあるのなんて、メンバーのプロフィールと日記くらいしかなかった。爆笑
とにかくホームページっていうものを自分で作れるっていうことがすごく嬉しくて。
そこで公開してた日記も、今日学校で眠かったとか、テスト前だ〜〜とか、超どうでもいいような内容ww
今思えば、何をそんな毎日1時間2時間費やして書いてたんだろう!?っていう内容を書いてたんだけど、それが本当に楽しかったなー。ってことを最近思い出した。
だから、今こんなに誰でも発信できる時代だから、その分いろんな人の表現を見る機会があって。
それを自分なんかが発信してもな、とか、
うまいこと言わなきゃ、とか思ってしまうんだけど。
でも、下手くそな発信を自分に許可してあげるのが何よりも大切だなって思う。
ぶっちゃけどんなものを発信してもいいし、
書いてもいいし、それがどんなクオリティのものでもあってもいいんだよね、本当は。
私たちはその道のプロではないんだから。
そして、私の経験は私しか知らないんだから。
「こんな内容…」って思ったとしても、そこを通らないことには、発信の質も上がっていかない。
どんどん自分に許可していくことで、
誰かの表現を見た時、「こんな記事書いていいんだ」とか、そんなふうに思わなくなるなんて思う。
自分を許した分だけ、成長していけると思ったのでした。
まずは、楽しむことから。
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