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博士号とは? 日本で冷遇されている博士たち

いつも人のものを読んで刺激されている感じですが・・・(笑)今度は「博士号」についての記事を読んだので、書いています。
その記事によれば、友だちが博士号(PhD)を取って研究職で働いているけれど、300万円台くらいしか稼いでいないとのこと。実際、博士の平均年収は458万円だということです。(国税庁のデータということですが、私は国税に博士保有者と知られていないと思うので、私のように民間で起業している人などは抜けているのでは?と思われますが・・・)

そもそも博士って?・・・というところから説明します。「末は博士か大臣か」などという古い言葉がありますが、これを聞くと出世の代名詞のように聞こえます。ここで言う「博士」とは研究者や大学の先生のイメージでしょう。大学4年間の上にあるのが修士過程(通常2年間)、その上が博士過程(3,4年以上)です。大学(学部)以降の教育が盛んな欧米では、修士では大した専門性と見なされず、博士まで持っていてさらに専門的であると見なされます。
ちなみに私の場合、心理学の分野での博士号(PhD, Doctor of Philosophy)です。Doctorと言ってもいろいろあり、J.D.(法学分野)やM.D.(医学博士)、Ed.D.(教育学博士)、Psy.D.(心理学の臨床寄りの博士)などなどあります。まだまだ、いろいろあるかと思います。
さて、私の心理学の博士課程は全部で90単位だったかと思いますが、アメリカだとどんなに優秀な人でも3,4年はかかると言われています。学部から直接博士課程に入る場合と、私のように修士課程を経由して入る場合があります。修士は、博士より入りやすいので、博士を目指しつつも併願したり、修士である程度研究実績などを作ってから博士に入る、というのもよくあるルートかと思います。
上記単位の他に、かならず博士論文(doctoral dissertation)というのが課されるはずです。これは自分の専門はこれだ!という宣言のようなものであり、最後に口頭試問があり合否が確定され、合格なら博士号が授与され、不合格なら授与されないということです。
取りやすい取りにくいについても聞いたことがあり、私が取ったアメリカでは比較的「取りやすい」(私の大学院では、口頭試問をスケジュールするところまで行ければ、それは指導教授がゴーサインを出しているということであり、よっぽどのことがない限り通ると言われていました。が、緊張はしましたが・・・)一方、日本やヨーロッパでは取りにくい、つまり口頭試問まで行ってもそこで(独自の専門性などが認められなければ)落ちることはある、と聞きました。「お金を払えば取れる」くらいに言っていた人もいましたが、さすがにまともな学校はそんなことはなく、もちろん学費(奨学金等含め)は必要ですが、単位を取るための勉強やレポートなどはもちろん必須です。

なぜそこまでして博士を取るのか? それにはいろいろな理由があるかと思いますが、欧米ではステータスが高く尊敬が得られること。そればかりでなく持っていないと就けない職業や地位もあること。(典型的には大学教授などでしょうが、私が博士を目指した理由はアメリカで臨床心理士Clinical Psychologistになりたかったからであり、博士自体が欲しかった訳ではない、とも言えます。ちなみに、アメリカ・カナダでは臨床心理士・カウンセリング心理士Counseling Psychologistにはほとんどの州で博士号が必須なのです。)
ホテルの予約、航空機の予約、銀行口座にも”Dr.”とつけられるのでは、日本にはそんなのないですね・・・(むしろ知らない人もいて、「何それ?」となるのでちょっとがっくりとします・・・)
日本はそうではないですが、アメリカの大学では教授陣のPhD保有率が問われます。つまり、修士や博士号単位取得よりは博士号を持った人が大学で教えている確率が(「いい大学」であれば)高いのです。日本では多く、修士保有者が大学で教えているのが見受けられます(募集でも分野によるかと思いますが、そう書かれています)。

終わりなき勉強、競争のように思われるかもしれませんが、それも一側面、別の側面としては、勉強や研究が好きな人が辛いというよりは楽しんでやっていく過程でもあるかもしれません。
ところが、日本では上述のように博士は冷遇されています。本来ならば、修士より専門性が高いのですから、より高い報酬が得られるべきですが、どういうわけか日本では「博士は使いにくい」とか、「博士は頭でっかちで実際性がない」のように勝手に思われているような印象を受けます。
大学院時代やその後の学会などを通じてたくさんの博士保有者を知っていますが、決してそんなことはなく(分野にもよるかもしれませんが)、フレンドリーな人たちや、現実的なこともできる人たちが多いです。自分がやりたい、大切だと思ったことをやってきた人たちですから、自信や人間的魅力がある人たちも多いと思っています。ですから、「頭でっかち」は単なる思い込みや言い訳に過ぎないように思います。実際に知ろうとしてではなく、イメージで判断している(ステレオタイプ的に)感じです。
ここで引き合いに出すのも何ですが、将棋の藤井聡太さんはなんでもスーパーで買い物ができないとか・・・(スケートの羽生くんも自転車に乗れないとか、いろいろありました)。稀に、そのようなタイプの人もいるかとは思いますが・・・
また、日本で大学院というと「理系」のイメージがあるかもしれません。研究に身を捧げ、末はノーベル賞、のような感じです(これもあまりに限定的なイメージではありますが)。理系だと民間企業で研究職をしている人も多いでしょうし、これはサラリーマン的な状況なので、最初に書いた研究職よりは実入りは良いのではないかと思われます。
しかし、欧米で見聞きするのはたとえば社会問題の解決(貧困やジェンダーなど)に博士など、専門性の高い人が入り、かつちゃんとした相応の報酬をもらっているという状況です。欧米でも、そんなでもないという人もいるかとは思いますが、日本の平均的な現状はさすがにひどすぎるのでは、と思っています。
そのため、特に研究者や博士保有者の中でも優秀で野心もある人たちは、さっさと日本を出て行ってしまっているというのも知られた事実です。冷たく響きますが、自分が情熱を傾けてきたことが正当に評価されなければ、致し方ないというところでしょう。つまり、日本の現状は優秀でやる気のある人材を流出させてしまっているということです。
また、まともに仕事にならない(収入が得られない)というイメージから、博士を目指す人も少ないのが日本の現状で、悪循環に陥っているとも言えるでしょう。
最低賃金を引き上げた上に、さらに専門性をちゃんと評価し博士等の報酬を引き上げる―さらには労働人口が減り、高齢化も加速する。ほとんど「無理」「無茶」に思えますが、どのように構造を変えていけば全体のバランスが取れるのでしょうか?
遅すぎた、でなければいいのですが・・・

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