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岩手県の民俗学(胆沢の民話)

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岩手県の胆沢という地域に伝わる民話や伝説を紹介しています。 民俗学的に価値のあるものだと思うので、目にとまった人の記憶に、少しでも残って伝わっていけばいいなと思います。
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#大蛇

胆沢物語『沼は静かに』【岩手の伝説㉑】

胆沢物語『沼は静かに』【岩手の伝説㉑】

参考文献「いさわの民話と伝説」 編:胆沢町公民館

【七章】沼は静かに

女性は静かに小夜姫の前に座ると、深く頭を垂れました。

そして自分はかつて、高山なる掃部(かもん)長者の妻として、栄華の生活を送っていたが、あまりの欲深と邪悪さから神仏に見放され、大蛇の苦患(くげん)を受け、この地に棲むこと実に九百九十九年、この年月のうちに眉目良き女を服すること九百九十九人なり、この度は姫君に巡り会い、未来

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胆沢物語『姫と大蛇』【岩手の伝説㉑】

胆沢物語『姫と大蛇』【岩手の伝説㉑】

参考文献「いさわの民話と伝説」 編:胆沢町公民館

【六章】姫と大蛇

翌日、吉実の妻は、小夜姫があまりにも美しいので、大蛇の贄(にえ)にすることを可愛想になりました。

そのことを夫吉実に話すと、吉実は顔を変えて、実は贄のことは小夜姫にはまだ話していない旨を告げました。

いづれ小夜姫に話さねばならぬことなのだが、どういう風に話し出したらいいのか、そのことで疲れた割に昨夜はあまり眠っていないこと

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胆沢物語『吉実の苦悶』【岩手の伝説㉑】

胆沢物語『吉実の苦悶』【岩手の伝説㉑】

参考文献「いさわの民話と伝説」 編:胆沢町公民館

【三章】吉実の苦悶

吉実一行が釣りに来た日は、贄(にえ)を上納する八月十四日の一ヶ月前に当たっていました。

数えてみると確か、今年の贄上納の当番は、机地庄兵ェ尉でありました。

※机地庄兵衛尉・・・つくえじしょうべえのじょう。おそらく机地という地域の庄兵衛という老翁。

そうすると、来年は吉実であらねばなりませんでした。

吉実はすっかりふさ

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胆沢物語『高山掃部長者』【岩手の伝説㉑】

胆沢物語『高山掃部長者』【岩手の伝説㉑】

参考文献「いさわの民話と伝説」 編:胆沢町公民館

【二章】高山掃部長者

さて話は変わりますが、その頃より数百年以前、この止々井沼(とどいぬま)のほとり、高山(上胆沢)という所に、掃部(かもん)という日本第一を自称する大長者が住んでおりました。

名は祗春(まさはる)といい、祗明、祗広、祗勝という三人の子供にも恵まれ、上下胆沢五十七郡の土地を領有する大地主でした。

屋棟は四十八、牛馬は三百五十

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万治万三郎【岩手の伝説⑯】

万治万三郎【岩手の伝説⑯】

参考文献「いさわの民話と伝説」 編:胆沢町公民館

昔々、上野の国、赤城の山に赤城大明神なるものが住んでおりました。

※上野の国・・・こうずけのくに。現在の群馬県。

※赤城大明神・・・あかぎだいみょうじん。赤城神社の祭神。

この赤城大明神は、十丈余り(三十余米)の大蛇に化け、附近の住民、男女の別なく襲って取り食らい、或いは住民が丹精して育てた作物を食い荒らすなど、実に目に余るほどの悪事の限り

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花淵さんと大蛇【岩手の伝説⑮】

花淵さんと大蛇【岩手の伝説⑮】

参考文献「いさわの民話と伝説」 編:胆沢町公民館

昔、花淵善兵工(ぜんべえ)という漢方医がおりました。

非常に腕が良いので評判になり、診察を乞いに遠くからも訪れる者もあって、先生先生と慕われておりました。

漢方医というのは、自分で薬を作ることをしていたものでした。

その薬の材料は、大抵山野に自生している草木から得ることが多いのでありました。

即ち野生の草の葉か根、または茎か実を乾かし、そ

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