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自分を生きづらくする目標はいらない

今日もこんにちは。

前島公です。

本日は、自分で定めた目標に向かって真面目に努力することで、かえって自分が生きづらくなっていることに気が付かなくなってしまいがち、

というテーマで個人的に考えたことについて書いていきます。

日本人は真面目でよく働くのにも関わらず、生産性が低いと言われています。

この評価は随分前からあるので現代の日本にも通用するのか、わかりませんが。

ですが、個人的にも、真面目に目標に向かって取り組んでいるにも関わらずに、その成果が伴っていないケースを経験しましたし、

他人のそれも知っています。

そして、その目標のために自分を消耗してしまいがちになっていることも、、、。

例えば、ボクの場合ですと、中学生の頃の定期テストに向けての勉強がそれに当たります。

心配性かつ、内申点を取ることに必死になっていたあの頃のボクは、定期テストの勉強を1ヶ月前から始めていました。

今となっては驚きです。

ですが、勉強する時間に比例してテストの準備も整っていくと思っていたボクは、莫大な時間を投入することで、自分の要領の悪さを補填していました。

莫大な時間を投入することは、大事な青春時代の殆どを要領の悪い勉強時間に当てていた事を意味します。

年収がある程度まで達すると、幸福度も頭打ちするように、勉強時間で補填できる理解も頭打ちになっていたにもかかわらず、

テストが終わるまでボクの頭の中はそのことでいっぱいで割けるだけの時間の殆どを勉強に使いました。

不必要な参考書もいっぱい買いました。

買って勉強した気分になっていたのです。

勉強に侵されていた当時の自分は参考書以外に殆どお金を使いませんでした。

勉強は程々にして、家族との時間を大切にすればよかった、、、。

無駄な参考書は買わずに、美味しいものを食べたりといった新鮮な感情体験を買うための資金にすればよかった、、、。

なんて今では感じていますが、これも人生ですね。

最初から後悔せずに生きていくことが出来る人なんていませんから。

少し脱線してしまったので、話を戻すと、ボクは志望校に合格したいという目標に過剰に集中してしまい、

結果、当時の自分の時間・お金の使い方を悔やんでしまうものになってしまいました。

目標に向かって努力することは素晴らしいことですが、ときに立ち止まって考えてみてほしいです。

なぜ、自分はこの目標に向かって努力しているのか?
その目標が達成できたら自分の幸せになるのか?
時間・お金の遣う方向性はこれで果たしてあっているのか、使う価値はあるのか?

思考停止になってしまっては、努力の意味がありません。

限られた大切な時間、お金、エネルギーを有意義のあるものに使ってほしいと多くの方とボク自信を含めて強く感じています。

仮に目標なんてなくってもいいんです。自分を苦しめるような目標なんて。

大事なことはしっかりと今の人生を自分で考えて生きることだと思うからです。

今の積み重ねが自然と将来に繋がります。

焦らないでいいです。

それではまた。

続く、、、。


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