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「読書について」小林秀雄

小林秀雄は「全集を読むこと」を勧めています。

読書の楽しみの源泉にはいつも「文は人なり」という言葉があるのだが、この言葉の深い意味を了解するのには、全集を読むのが、いちばん手っ取り早いしかも確実な方法なのである。

一流の作家なら誰でもいい、好きな作家でよい。あんまり多作の人は厄介だから、手頃なのを一人選べばよい。その人の全集を、日記や書簡の類に至るまで、隅から隅まで読んでみるのだ。

そうすると、一流と言われる人物は、どんなにいろいろな事を試み、いろいろな事を考えていたかがわかる。彼の代表作などと呼ばれているものが、彼の考えていたどんなにたくさんの思想を犠牲にした結果、生まれたものであるかが納得できる。
 (中略)
その作家の性格とか、個性とかいうものは、もはや表面の処に判然と見えるというようなものではなく、いよいよ奥の方の深い小暗い処に、手探りで捜さねばならぬもののように思われてくるだろう。

「読書について」小林秀雄著

この『奥の方の深い小暗い処』についても、次のように述べています。

顔は定かにわからぬが、手はしっかりと握ったという具合なわかり方をしてしまうと、その作家の傑作とか失敗作とかいうような区別も、べつだん大した意味を持たなくなる、と言うより、ほんの片言隻句にも、その作家の人間全部が感じられるというようになる。

これが、「文は人なり」という言葉の真意だ。

「読書について」小林秀雄著

不幸にして私は、これが実践できていません。
日記や書簡の一つひとつまで取り入れた全集などは、鴎外や漱石、芥川と言った大作家と呼ばれる人たちに限られてきます。
大学生の頃、「ムツゴロウ」こと畑正憲氏が大好きで、文庫は一通り全部読みました。そのムツゴロウ氏も小林秀雄と同じような事を言っています。
彼が作家修行時代にやっていたのは、小説の神様と言われた志賀直哉の全集を、一字一句余さずに原稿用紙に書き写すことでした。
プロの作家として世に出て、人気作家となるためには、これほどまでの修練が必要なのです。
この逸話をみると、「ムツゴロウ氏は、志賀直哉の全集を読んでいる」と言えます。ここまでやることで、小林秀雄が言うように「志賀直哉の『奥の方の深い小暗い処』まで知悉している」と言えるからです。

ふと自分のことを振り返った時、「全集読破」と言わないまでも、かなりの部分まで読みこんだ作家と言えるのは、宮城谷昌光氏です。
有名な「重耳」「孟嘗君」はもとより、一番愛読したのは「天空の舟」「奇貨居くべし」「太公望」「晏子」などです。
ハードカバーだけでも40冊は超えています。それでも「全作品読破」とは言えません。
宮城谷氏は、まだ現役で活躍中だからです。当然ですが、日記や書簡は公開されていません。
自分としては、文体をかなり把握しているつもりなので『奥の方の深い小暗い処』までつかんだような気がしていますが、こればかりは何とも言えません。

この人生で「全集読破」できそうなのは、芥川ぐらいでしょうか。
高校時代から読み込んでいるのですが、未だに全集に手が出ません。
年齢と共に気力や体力も衰えてくるので、「全集読破」には余程の覚悟が要るでしょう。
死ぬまでの間に、一級品と言われている「奥さんへのラブレター」だけでも読んでおきたいのですが・・・。


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