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Deliciousuness おいしい知覚

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2016年に書いたものを定期的に少しづつアップしていきます。この論の目的は、これまで学んできたことを生態学の知見のもとに相対化し、設計に関わる環境の中に知覚される対象として再配置… もっと読む
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2020年4月の記事一覧

おいしい遊び 補足

■『知の生態学的転回2 技術: 身体を取り囲む人工環境』2013 村田純一 他 『予測誤差は、「現在の予期構造は、現実と符合していない可能性がある」というシグナルでもある。そして、予期構造を可塑的に更新させるための動因として、必要不可欠なものだ。そう考えると、自分の予期構造を裏切るような予測誤差の経験を、どのような意味連関の一部に配置するかということが、可塑性誘導の成否を決める可能性があるだろう。予測誤差を、痛みとか、焦りとか、ネガテイブな意味を付与する意味関連の中に配置する

おいしい生活 ~意識を超えた豊かさ

生活という言葉には何か意識を超えた豊かさにつながるイメージがある。 (「意識」は生態学的には自覚しているかどうかを問わない知覚による注意のモードであるが、ここではより一般的な意味で使っている。) 生活とはまさに日常における環境との関り合いのことである。それは、生きることの基礎であり(知覚の基礎性)、直接的なものであり(知覚の直接性)、文化や技術などの蓄積の基盤である(知覚の公共性)。 生活には本来、知覚の悦びや生きることのリアリティが豊かに含まれているものであり、建築に

おいしい生活 補足

■『知の生態学的転回3 倫理: 人類のアフォーダンス』 2013 河野哲也 他 『ギブソンは決して倫理や道徳について多くを語らなかったが、彼の描く肯定的世界観はそれ自体、特定の価値判断を前提としている意味で倫理的といえるだろう。だからこそ、このポジティブなギブソン的世界を「正しい」と認めることは、とりわけ科学者と同じ視点からその理論的妥当性を検証し得ない者にとって、実証的科学的判断というよりも、むしろ「そのように世界をみなすべし」という倫理的決断だとさえ言える。このように私た

おいしい構成 ~内在化と逸脱およびレイアウト

建築構成学は建築の部分と全体の関係性とその属性を体系的に捉え言語化する学問である。構成学は内在化と逸脱によってはじめて実践的価値を生むと思われる。 内在化は構成がどのような意味や価値を含んでいるかを示す。また、構成・形式からの逸脱は象徴につながり、それによって知覚に注意と持続性を与える。(象徴については後で再び述べる。) すなわち、おいしい構成とは内在化によって意味や価値を知覚させ、逸脱によって知覚に注意と持続性を与え活性化するものといえる。 また、構成は属性のレイアウ

おいしい構成 補足

■『建築構成学 建築デザインの方法』2012坂本一成, 塚本由晴他 『このような建築の内在的な構造は、比喩的にいうならば樹木が重力や太陽との関係をその成長の原動力としていることと似ている。[…]したがって、樹木の構成にも重力や太陽を媒介した構造―そのために重力や太陽に対して常に実践的でありうるような―が内在化されているのである。これと同様、建築の構成における重力や動線を媒介にした構造は、それを無視してしまえば建築空間が成り立たなくなるがゆえに本質的であり、内在的なのである。』

おいしい言葉 ~知覚を言葉に載せる

擬声語・オノマトペなどの言葉には知覚に開かれた曖昧さがある。 確かな定義として輪郭を与えるための言葉ではなく、輪郭を持たず、絶えず意味や価値、可能性を探ることに対して開かれている言葉である。 建築は物質的であるが、それを固定的なものとして捉えるのではなく、経験にたいして開かれ、その都度たち現れるもの、いわば体験的なものと捉えることによって建築を関係性に対して開くことができるのではないだろうか。 そのために、建築を物質的な側面で表せる言葉ではなく、体験に開かれた言葉によっ

おいしい言葉 補足

■『隈研吾 オノマトペ 建築』2015 隈研吾 氏にとって、プロセスにおいても現れにおいてもその足がかりとしているのがオノマトペのようだ。 そこにアフォーダンス的な知覚、身体、体験といったものの感覚を載せることでモノと人との関係を調整しているように思われるが、その感覚を載せられる(体験を共有・拡張できる)という点にこそオノマトペの利点があるように感じた。 出来上がった作品や手法を見ると一見モダニズム以降の定番のもののようにも思えるが、そういった視点で眺めるとオブジェクト・形態

おいしい社会・歴史・文化 ~時間と空間を超えて

知覚は「あらゆるところに同時にいる」というようなものであり、知覚の公共性で述べたように、個人や、時間、空間などさまざまなものを超えることを可能にする。 言い換えると、(私、いま、ここで)を超える。(私はこれを建物が建築になるための一つの要件だと考えている。) 皆とともにいること、そこに住んでいること、歴史の中にいること、文化を共有していること。それらの中に存在する不変項(環境を特定する情報・性質)を抽出し、建築の中に再構成することによって、それらを共有可能なものとして建築

おいしい社会・歴史・文化 補足

■『知の生態学的転回3 倫理: 人類のアフォーダンス』2013 河野哲也 他 『生態心理学に基づくコミュニケーション理論の骨格をなす概念として、「知覚の公共性」がある。これは、知覚対象を特定する情報(不変項)は環境の中に実在するものであり、個別の知覚者の頭の中にあるものではないため、任意の知覚者がこの情報を探索・検知できるということである。』(本多啓) この知覚の公共性が個人や時間、空間などを超える基盤となる。 ■『コモナリティーズ』2014 塚本由晴 他 『それでは個は個

おいしい思考 ~概念を埋め込む

思考とは自己と自己との言語を介した相互行為であり、そこで生成された言語を自ら受け取りさらに言語を生成するという、知覚-行為のサイクルである。 それは自己を環境とした環境との関り合いの高速循環であり、圧縮された意味と価値、いうなれば概念のようなものを生む。それは直接的な物理的環境との関わりあいによって得られる意味や価値とは異なるが、人間にとっては特別な意味と価値を生むものである。 その概念は環境に提出されることで、身体的に関わる環境と同列の、生態学的に<生きること>の文脈上

おいしい思考 補足

■『アフォーダンスの心理学―生態心理学への道』 199(翻訳2000)エドワード・S. リード この本では、単純な相互行為から思考の獲得にいたるまでの人間の発達過程の流れを、環境との切り結びの視点から順に捉えていく。 (1)[ 自分] → [ 相手] [自分] ← [ 相手]・・・静的な対面的フレームの中での二項的な相互行為。単純な反応や真似など。自己と他者を理解し始める。表現や簡単なゲームもできるようになる。 (2)[自分]→→[モノ]←[相手] [自分]→[モノ]←←[相

おいしい都市 ~集合的記憶と経験のレイアウト

都市は知覚によってどう捉えられるだろうか。 一つは、単純に都市から見た時に意味や価値を見出だせること。それは素材の扱いかもしれないし、生活の表出かもしれない。 また、技術や経験の蓄積としての集合的記憶を失いつつある都市は、集合することの意味や価値を見出すことが困難になりつつある。設計を新たな集合的記憶への道を示すような” 技術” として捉え直し風景へと埋め込むような可能性を模索することが必要だろう。 これはおそらく環境への定位にも関わる問題である。鳥瞰的な地図としてでは

おいしい都市 補足

■『レイアウトの法則 -アートとアフォーダンス』 2003 佐々木正人 『建ち方というのは、ヴォリュームの形状と隣地までの距離の相関とか、道路や平や庭と建物の関係のようなものを指す、何気ない言葉なんですけれども、個別的でありながら、同時に横に繋がっていける共通性を扱うことができる次元です。そうしたものの取り扱いを通して、その場所や集団が内面化しているある種の規範に触れることができる。これが、風景や都市空間の社会性を構成するわけです。だから立ち方を蝶板として「都市」と「建築」の

おいしい創作 ~<建てること>を<住むこと>へ届ける

現代社会は工業化・分業化などによって<建てること>と<住むこと>が分断されている状況だと言って良い。 <住むこと>が<建てること>と分断された状態では、人間は住むことの本質の一部しか生きられない。だとすれば、現代社会においてどのように<建てること>を<住むこと>へ届けるか、というのが現代における一つの命題になる。その際、知覚の公共性と持続性が鍵になるように思うが、住む人が直接<建てること>に関わる以外にどのような方法が考えられるだろうか。 一つは技術によって届ける、という