おいしい言葉 ~知覚を言葉に載せる
擬声語・オノマトペなどの言葉には知覚に開かれた曖昧さがある。
確かな定義として輪郭を与えるための言葉ではなく、輪郭を持たず、絶えず意味や価値、可能性を探ることに対して開かれている言葉である。
建築は物質的であるが、それを固定的なものとして捉えるのではなく、経験にたいして開かれ、その都度たち現れるもの、いわば体験的なものと捉えることによって建築を関係性に対して開くことができるのではないだろうか。
そのために、建築を物質的な側面で表せる言葉ではなく、体験に開かれた言葉によって考えることが有効かもしれない。
これを<何を>の文脈からどのように言えるだろうか。
擬声語・オノマトペは意味や価値を可能性として内包している。
すなわち、建築を体験した時に擬声語・オノマトペが浮かぶようなものは、そこに意味や価値を見出だせる可能性をもつと思われる。
どのような意味や価値が内包されているかはその言葉によるだろう。例えば「ぐるぐる」な建築には渦と淀み、流れに守られた避難所のレイアウトがある、といったように生態学的な意味との結びつきが見いだせるかもしれない。
その時、それをおいしい言葉と言って良いように思う。渦と淀み、流れに守られた避難所のレイアウトがある、といったように生態学的な意味との結びつきが見いだせるかもしれな。その時、それをおいしい言葉と言って良いように思う。
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