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おいしい都市 ~集合的記憶と経験のレイアウト

都市は知覚によってどう捉えられるだろうか。

一つは、単純に都市から見た時に意味や価値を見出だせること。それは素材の扱いかもしれないし、生活の表出かもしれない。

また、技術や経験の蓄積としての集合的記憶を失いつつある都市は、集合することの意味や価値を見出すことが困難になりつつある。設計を新たな集合的記憶への道を示すような” 技術” として捉え直し風景へと埋め込むような可能性を模索することが必要だろう。

これはおそらく環境への定位にも関わる問題である。鳥瞰的な地図としてではなく、経験のレイアウトとして都市を捉えると、建築はそのレイアウトの調整である。それは定位の知覚、その都市であること、に影響を与える。

例えば萌芽、余白、流動、更新、喪失、参照、標、刻印、遮蔽、隅などといった言葉が頭に浮かぶが、定位に関わる経験の言葉を見出しつつ、建築を経験として都市全体の場所とはたらきの時間の中に適切にレイアウトするための技術を身に付ける必要があろう。

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