おいしい言葉 補足

■『隈研吾 オノマトペ 建築』2015 隈研吾
氏にとって、プロセスにおいても現れにおいてもその足がかりとしているのがオノマトペのようだ。
そこにアフォーダンス的な知覚、身体、体験といったものの感覚を載せることでモノと人との関係を調整しているように思われるが、その感覚を載せられる(体験を共有・拡張できる)という点にこそオノマトペの利点があるように感じた。
出来上がった作品や手法を見ると一見モダニズム以降の定番のもののようにも思えるが、そういった視点で眺めるとオブジェクト・形態を設計するのではなく体験を設計しているという点で根本的な違いがあるように思えてくる。
いや、モダニズムでも体験は重要な要素であったかもしれない。では、違いはどこにあるのだろうか。うまく掴めているかは分からないけれども、氏の「物質は経験的なもの」という言葉にヒントがあるような気がする。
モダニズムにおいては建築を構成する物質はあくまで固定的・絶対的な存在の物質であり、結果、建築はオブジェクトとならざるをえなかったのかもしれない。
それに対して物質を固定的なものではなく相対的・経験的にその都度立ち現れるものと捉えることで、建築を関係性に対し開き、オブジェクトになることを逃れようとしているように思う。


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